鎌倉殿の13人

『吾妻鏡』に、書いてないこと

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吾妻鏡-鎌倉幕府「正史」の虚実

吾妻鏡-鎌倉幕府「正史」の虚実

 

最重要史料。

鎌倉幕府について語られるとき、『吾妻鏡』を完全に排除して語られることはない。

なぜなら長らく「正史」扱いされて来たことと、まとまって、かつ順序立てて書かれているから便利、という点において他の文献では敵わないところがあるからだ。

鎌倉時代後期に書かれたので「『吾妻鏡』によると…」と注釈しておけば、とりあえず間違っていないということにできる。多くの人らは長らく『吾妻鏡』に書いてあることが本当だと信じていただろうし、それを元に創作劇も作られた。

だが実際はかなりの部分で虚飾があり、他の同時代の書物からごっそり引用された部分もあることが近年の研究で明らかになって来ている。

もちろん、それで『吾妻鏡』の価値が淪落するということはない。

「編纂された鎌倉時代後期、その時代の人々は先人の、組織の先輩たちのことをそう思っていたのだ」という確固たる証拠になっている。それは欠落していたり混同していたり、わざと曲解されていたり、といった人間くさい所業に現れている。その曲解こそがリアルだ。そう思えばやっぱりすごい書物だ。よく写本が現存してくれていたものだ、と思う。

のちに武家政権を関東に築く際、徳川家康は『吾妻鏡』をずいぶん熱心に研究したとされるが、その内容についてどれをどこまで、どのように信じていたかはわからない。もしかしたら戦国時代末期には、現代には失われてしまった「これは流石に嘘だよだって別の人の話だもん」などという常識が多数、あったのかも知れない。その時代に当たり前すぎたことは、わざわざ書き残さないので後世に伝わらない。

とは言え寛政年間くらいになると、その内容に疑義を呈する人らもいたらしい。
さすがにおかしくない?という人がいたにはいたが、まぁ昔のことだし別にいいんじゃない?ということで片付けられて来た感が強い。そうするうちにフィクションとの区別がつかなくなり、「八つ墓村と言えば山崎努(世代による)」「水戸光圀と言えば東野英治郎(世代による)」「遠山金四郎と言えば中村梅之助(世代による)」みたいな、創作物が先に脳裏に浮かぶことになって、今に至っている部分も多いだろう。

とりわけ、「二代目将軍・源頼家(みなもとのよりいえ)愚昧説」とか三代目将軍・源実朝(みなもとのさねとも)虚弱説」みたいな、初代・源頼朝(みなもとのよりとも)の直系後継者を「サゲる」スタンスは、事実とは異なるようだ。

どこまでが本当なのか

そもそもこの『吾妻鏡』という名前、書かれた当初にそう呼ばれていたかどうかは定かではないらしい。
その証拠がないということなのだが、現存する同時代の書物に「あれは『吾妻鏡という正史だ』」と誰も言っていないのだ。ではいつそう呼ばれ始めたのか。『吾妻鏡』という名前は1370年代(室町時代初期)に初出だそうだが、その頃には「あれはそう呼ぶべきもの」という認識があっただけで、本来の書名は「将軍記」とか「鎌倉記」とかそういう名前だったのかも知れない。

現代に作られる歴史漫画やドラマ・映画は、『吾妻鏡』とともに『玉葉』や『明月記(定家卿記)』『吉記』などの同時代の個人の日記だけでなく、『平家物語』『源平盛衰記』『義経記』などの軍記物もぞんぶんに参考にされる。

我々が「史実だ」と信じて知っているつもりのイメージがすべてフィクション、ということもあり得る。

たとえば源義経(みなもとのよしつね)の「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」は嘘である。
鵯越という場所は現実にある。逆落とし(急峻な崖を馬で降りる)という絶技も可能だ。

だが源義経による「鵯越(ひよどりごえ)の逆落とし」はフィクションなのだ。「八艘飛び」も「腰越状」も事実ではないという。

鎌倉幕府にとっては源義経の美技・超人譚などスピンオフも甚だしい枝葉末節なのでどうでも良かったのだろう。「判官贔屓」という言葉は残ったが、しょせん死人に口無し。
源義経は平家滅亡のキーパーソンではあるが、彼を討滅する鎌倉殿・源頼朝さえ顕彰出来ればそれで良い、という感じだったのではないか。

鎌倉幕府成立前、源頼朝は関東で兵を募っていた。
石橋山の合戦で死にかけ、房総半島に逃げた源頼朝は、現在の千葉を北上しながら兵力を集めた。

鎌倉に至る少し前には、上総介広常(かずさのすけひろつね)という、地域で一番の勢力を味方につけることに成功する。その数、2万とも言われる。

その際、集合した上総介広常が遅刻したことに源頼朝は毅然と怒ったというのだ。
どちらかというとこの上総介広常の軍が加わるか加わらないかは、源頼朝の生き死にに直結する大問題だ。
もし彼が源頼朝に反旗を翻したら、雪崩を打って裏切る関東武者はたくさんいただろう。

なのに源頼朝は「遅れてくるような者は要らん」と怒ったらしい。
すると上総介広常は「つまらんやつなら2万の軍で攻め滅ぼし平家に献上してやろうと思っていたが、さすがは源氏の棟梁になる男じゃ」と感服して付き従うことにした、という。

この、上総介広常を「ちょっとだけずる賢い、裏表があるっぽいやつ」にするキャラ設定、「いつか裏切るんじゃないの?」という前フリに見えなくもない。

でその前フリは寿永2年(1183年)に回収される。騙し討ちのように、上総介広常は殺されてしまうのだ。謀反の嫌疑をかけられて、呆気なく誅殺されてしまった。最大の功労者どころか、関東のキャスティングボートを握っていたはずの大勢力の長はあっさりいなくなり、その所領は千葉氏・三浦氏に分配された。

結果的にそうなったことに対して「幕府内の抗争が凄すぎてモメ過ぎて邪魔すぎるので殺した」とは書けないので、まず謀反の嫌疑をかけ、その邪心が生まれる背景として「そういえば前々からあいつはそうだった」エピソードを、創作して放り込んであるのである。

あの「金毛・九尾・白面」の妖狐を退治したと言われる豪傑も、「正史」の前ではチンケな野望を抱く田舎の領主扱いだった。

 

最大の謎

『吾妻鏡』の不可解さの中でトップクラスに重要なのは「源頼朝の死が書かれていない」ことである。
死が書かれていないどころか、最後の3年間はすっ飛ばしてあるのだ。

奥州征伐の時に梶原景高(かじわらかげたか)の詠んだ歌に感動しただの、「御台所の御嫉妬甚だしき」と北条政子(ほうじょうまさこ)の弩級のジェラシーだのについては書いているくせに、正二位・征夷大将軍・鎌倉幕府創設者・源氏の棟梁・河内源氏正統伝承者である源頼朝の「死」について一切無視するなんて絶対にあり得ない。そんなことは編集長が許さない。

なぜこれは欠損したのにそのまま流通しているのだろうか。
最初からなかったのか。書いてあったのに誰かがゴッソリ行きやがったのか。

やはりここには「北条氏が北条氏のために書いた」という事情がある。
『吾妻鏡』は決して「鎌倉幕府公式年代記」ではないのだ。なので「幕府記」とか「将軍記」などとは正式には呼ばれない。おそらく最初から、そのつもりでなど編纂されていない。

「源頼朝最後の3年間」が書かれていないのは、最後の3年間に源頼朝が成し遂げたこと/決めたことが、北条氏にとってとんでもなく都合が悪いからだ。

つまりそこには「初代が決定事項としたこと」と「今後の方針」が書いてあったということだ。

それは何か。

その後、記録(当時の幕閣は知っていて当然だったこと)を永遠に消し去ってまで、北条得宗家が採った政策の、真逆の内容だろう。

つまり源頼朝の死後に凄まじい御家人同士の闘争が起こる、遠因である。

そう「北条家だけに執権を独占させることはない」ということを含め、他の御家人に対する処遇だったと考えられる。

建久10(1199)年、源頼朝死去。

正治2(1200)年、梶原景時の変
正治3(1201)年、建仁の乱
建仁3(1203)年、比企能員の変
元久元(1204)年、源頼家、暗殺。
元久2(1205)年、畠山重忠の乱・牧氏事件
建暦3(1213)年、和田合戦
建保7(1219)年、源実朝、殺害。
承久3(1221)年、承久の乱

源頼朝は51歳で死んでいる。
もしあと10年生きていたら、少なくとも牧氏事件までの政変はすべて起こっていないだろうし、それによって幕府草創の重鎮たちも駆逐されていないので、和田合戦も畠山重忠の乱も起こっていない。
源頼家も源実朝も殺されたりしないので後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)との関係も良好に維持できたはずで、従って承久の乱も起こらない。

逆に言えば源頼朝が死んだからこそ、「それはおかしいぞ」と北条氏の専横に我慢を重ねる御家人たちが鬱積させていた憤懣が、爆発したのだとも言える。

比企能員の変も和田合戦も畠山重忠の乱も、北条氏が仕掛けた謀略だ。
尼御台(北条政子)がおられるとはいえ、鎌倉殿の遺志をことごとく無視するそのやり方は、そりゃ「いずれ北条めぶち殺してくれる」という思いを募らせるにじゅうぶんだったはずだ。

『吾妻鏡』は執権・北条貞時(ほうじょうさだとき)の頃に作られた。
この頃、善政を敷いていたと言われる北条貞時は、得宗家の正当性を誇示するためか、『吾妻鏡』の編纂を命じた。なので同書は、同時代に生きている将軍や執権、御家人たちに対しては急に筆が鈍る。活写もしない代わりに誹謗もしない。

ちなみに、北条貞時の息子、15代執権・北条高時(ほうじょうたかとき)の代に移って鎌倉幕府は滅亡する。もしかしたら北条貞時は、北条氏の記録を今こそ残しておかなければ…と息子を見ながら危機感を持ったのかも知れない。

北条氏の権力の正当性と平和への尽力・政治的な成果を示すために、半ば物語として紡がれた『吾妻鏡』だが、それでも「源頼朝の死」は、100年前の出来事だとしても思いっきり隠さないと辻褄が合わないレベルの、重大事だったのだろう。

書いてないからこそ重大なんだとわかる、皮肉な結果となっている。

 

本日は以上です。







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