読み方は「ちぞめ」ですが「血染めの唐獅子」ではないようです。
「血染の唐獅子」。送り仮名はナシ。
第4作目、舞台は浅草。
主題歌の歌詞が違います。
鳶に命の三番纏
ジャンが鳴り出しゃ捨身の稼業
取った火口は根性で守る
エンコ生まれの男伊達
背で燃えてる唐獅子牡丹
オープニングで、だいたいの設定を教えてくれてるんですね、親切。
時代は昭和初期です。
浅草が舞台ですからもうなんだか江戸弁というか、わざとらしいくらいに江戸っ子のべらんめえ口調が噴出してます。
ここには、「竹」という呼び名で、津川雅彦が出ています。ちょっと頭の弱い…江戸落語で言うところの「与太郎」的な役回り。本名は竹次郎なのか竹吉なのか…昔は、差別もされず隔離もせず、だけど躊躇もせず馬鹿にしつつ、そういう存在を優しく受け入れる土壌、というか余裕があったんですね。江戸っ子気質をベースにした本作では、そこまでこだわってると言っても良いのではないでしょうか。コミカルで愛嬌のあるキャラクターを含めて、会話の面白さには江戸落語的要素も含まれてる。
鳶をまとめる鳶政一家(とびまさいっか)に、もともとは博徒であったライバルの阿久津建設がエンコの旧いしきたりに横車を押して、大きい仕事を譲れと迫ってくる。
それにしても何度も何度も出てくる「エンコ」っていうのは一体なんなんだ。
どうも場所を示しているような気もする。「地元」っていうニュアンスで使われてる。浅草を指す言葉なのか。
これは、「浅草公園」からきているそうです。
現在では「浅草六区」と呼ぶことが多いようですが、バス停の名前にはまだ残っているように、「浅草公園六区」と呼んでいたんですね。
浅草では明治に入って、セントラルパーク並みの巨大公演を作る計画が持ち上がり、浅草寺の境内を壮大に使って一区から六区までが区画されました(1886年・明治19年開園)。今、歓楽街として残っているのがこのうちの「六区」で、戦争時の境内だったあたりは全て「公園」と呼ばれていたようです。今は公園はないですが、その敷地は現在の「浅草一丁目と二丁目」に相当するそうです。
この「公園」をひっくり返して「エンコ」と呼んでいるということですね。
「東京博覧会」が浅草〜上野の地域で開催されることが決まり、その工事の請負で、地元業者がモメている…というのが今回の物語のベース。鳶政一家の受注に、新興勢力である阿久津組が、悪徳議員と組んで横取りしてやろうと画策して…。
それにしても昭和初期の「東京博覧会」ってなんなんでしょう。
江戸時代から「世界には万国博覧会なるものがあるぞ」ということは知られていて、日本の民芸品などがパリやウィーンの大会に出品されたりしていました(薩摩焼とか。あの渋沢栄一が視察団として行ってた)。
それに倣(なら)って、日本国内では明治の初めから「内国勧業博覧会」が主要都市で開催されました(第一回は明治10年)。
1940年(昭和15年)に開催する「紀元2600年記念日本万国博覧会」というものすごい名前の博覧会の計画準備が進められ各国に招請状も送られましたが、日中戦争の激化にともなう軍部からの激しい反対で、中止されてしまいました。
この「昭和残侠伝 血染の唐獅子」に出てくる「東京博覧会」は、おそらく国主導の「万博」「内博」ではなく、東京府(この頃はまだ都ではなかった)の主導によるものでしょう。
実際には「東京博覧会」の名前では、昭和のはじめに開催されてはいないようですね。
東京博覧会(正式には「東京勧業博覧会」)は、1907年(明治40年)に開かれています。場所は上野公園でした。その後「東京大正博覧会」と呼ばれる博覧会が1914年(大正3年)に開催されいます。場所は同じ。
この大正の博覧会には「エスカレーター」が登場し、その速度は「秒速1尺」だったのだそうです。1尺は約30.3cm。エスカレーターの長さは10mだったそうですから、30秒くらいの移動だったのでしょう。有料でした。観客は「こんなもの、いる???」と言いつつも面白がったのでしょうね。
実際にはなかった博覧会ですが、新しい建設物がどんどん出来ている時期ですから、街が新しいイベントで盛り上がるのは当然です。そしてそれを請け負う建設業者が隆盛になっていくものまた、当たり前ですよね。
とは言え、昭和の始めと言えば実際は世界恐慌の影響で日本は大打撃。
企業は倒産、失業者であふれていたのも事実のようです。
小津安二郎の「大学は出たけれど」が公開されたのが昭和4年。時代は、大学卒業者の就職率が3割程度という不況に見舞われていた。
やっと帰ってくる秀次郎。
新興勢力と、昔気質の職人たちがぶつかり合っている最中、花田秀次郎(高倉健)が帰ってきます。
秀次郎は将校として出征していましたが、除隊してきます。彼は帰って早々、鳶政一家の頭に。
すると敵対する阿久津組に、風間重吉(池辺良)がいるわけです。
敵対組織同士だけど、義兄弟みたいな関係でもある花田秀秀次郎と風間重吉。
風間重吉の妹は文代(藤純子)。秀次郎とは昔からの好き同士。
もう消防車が走ってるような時代になっても、纏(まとい)を持って飛び出してくる「火消し」の存在は昭和初期、東京の街では見られたのでしょうか。というか鳶職というは、江戸の町では火消しからスライドしていったところがあるようです。
昔の家って、火事になると全部木造ですからよく燃えます。
燃えるので、ほっとくとどんどん延焼して町ぜんたいが燃えちゃいます。だから、「火消し」の役割は「建物を壊すこと」でもあったんですね。火が燃え広がらないように、隣の家とかを打ち壊してしまう。あるいは、火が来そうな方向の家を、解体してしまう。物凄い勢いで燃える木造の家に、水かけて消すなんてことはそもそも不可能なわけです。ポンプもないんですから。なので昔の火消しは壊す。壊し方もわかってないと出来ないので、火消しには建築の知識が豊富で、建設すら請け負える稼業だったんですね。その上、とうぜん高い場所での仕事が得意…ということもあって、鳶≒火消しという関係になっていく。
江戸の名物を詠んだ歌に
「武士・鰹・大名小路・生鰯・茶店・紫・火消・錦絵」
というのがあります。
火消しが名物ということは火事が名物ってことですから、それくらいに、江戸では町火消しは街の警備隊でもあったということなんでしょうね。
類を見ない悲しい別れだけど
悪どい阿久津組のやり方に、若頭だった風間は反発し、破門にされてしまいます。
頭をビール瓶で割られても声一つ出さず取り乱さず、「お世話になりました」と半纏(はんてん。足跡のロゴのメーカーじゃないよ)を脱ぎ捨てて出ていく風間。かっこいい。
我慢の限界が来た町火消しでもある鳶政の頭・花田秀次郎も殴り込みに行くことに。
せっかく帰ってきたばっかりなのに、文代(藤純子)にも泣きつかれたのに、初めて「俺もお前に惚れてんだぜ」と告白までしたのに、やはり死ぬ覚悟・殺す覚悟は変えられず、出ていくことに。ここで、泣き崩れる文代を見ながら「泣いてもらわなきゃ死にには行けねえよ」なんて言うんです。そうなの?シリーズの中でも今回のこの別れ、トップクラスに悲しくて情感ゆたかで、設定的にも演技としても素晴らしいと思うんですけど、「泣いてもらわなきゃ死にには行けねえよ」の意味がわからん。
風間重吉は、義理の弟になるはずの花田秀次郎の、助っ人をすることに。
この「昭和残侠伝」シリーズでは風間重吉は必ず死ぬことになってるので(それを条件に池部良は出演を承諾してる)、今で言ういわゆる「死亡フラグ」は、冒頭に「出てきた時点」だということになりますね。
将来の夫と、兄を同時に失う涙を流す文代。
そこへ、与太郎・竹(津川雅彦)がやってきます。
ばかっ、顔を叩かれて、あれ?なんだかまともに戻ったみたいな…。
殴り込みへの道中、テーマソングが流れます。
ここがかっこいいところ。
男同志だ誓ったからは
死んでくれようと二つの笑顔
喧嘩なじみのお前と俺さ
なにも言うまいその先は
背で吠えてる唐獅子牡丹親にもらった大事な肌を
墨で汚して白刃の下で
つもり重ねた不孝の数を
祭り囃子に詫びてゆく
背に血染めの唐獅子牡丹
ところでこの珍名はなに
ラストのシーンがいよいよ始まる…という場面で、改めて名前が出てくるんですが、「三日仏(天津敏)」という人がいるんです。
天津敏はこのシリーズに限らず、手を変え品を変え、憎たらしいカタキ役をやっている人。悪役のスターです。顔見たことない人はいないと思う名優。
いや、物語にはぜんぜん関係ないのに、なんで「三日仏(みっかぼとけ)」なんていう珍名をつけるわけ?Amazonプライムで見てるからいいけど、映画館で見るだけだったら「え?なに?なにぼとけ?名前なに?」ってなって気になって仕方がない。もう一回見たくらいでは聞き取れない。いや、そういう作戦だったのかもしれないけど。
それとも「三日仏(みっかぼとけ)」は当時の人たちにとって、どこか聞き覚えのある名字だったのかも。例えば何かの時代劇に出てて、悪役として有名なキャラクター、だったとか。わからん。三日仏て。
乱闘が始まり、双肌脱いで日本刀で、阿久津組の組員を次々に殺していく二人。
そこに竹(津川雅彦)も加わりますが、殺されてしまいます。
日本刀や短ドスでの斬り合い・刺し合いは、現代劇のピストルばきゅんで血のりどばっ、っていうわけにいきませんから、芝居の上では刺した刀をどう捌(さば)くか、っていうのがとても重要ですよね。
お腹の向こうに、刺さってるように見せて突き通す。私たちも「刺さっているとして」そのシーンを見る。それはお約束なのでそれでいいんですが、シーンとしての乱闘の流れを止めないようにしないといけないので、相当難しいと思うんですよね。切るだけならいいんですけど、やたら刺すので。
あまりに変な風になったら撮り直しでしょうし、そういう意味でも、すごい緊張感を感じます。
竹(津川雅彦)も死に、風間重吉(池部良)も死に、花田秀次郎(高倉健)は駆けつけた警官隊に捕縛され、連行されます。
前作「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」もそうでしたが、「連行されるシーン」で終わることが多いですね。
これは「仁義を通した行いではあるが、やってることは犯罪である」みたいなことを、暗に示しているような気もします。
愛する女房になるはずの文代(藤純子)に、声もかけずに歩いていく秀次郎。
ーシリーズ9作ー
第1作『昭和残侠伝』1965年10月1日公開
第2作『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』1966年1月13日公開
第3作『昭和残侠伝 一匹狼』1966年7月9日公開
第4作『昭和残侠伝 血染の唐獅子』1967年7月8日公開
第5作『昭和残侠伝 唐獅子仁義』1969年3月6日公開
第6作『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』1969年11月28日公開
第7作『昭和残侠伝 死んで貰います』1970年9月22日公開
第8作『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』1971年10月27日公開
第9作『昭和残侠伝 破れ傘』1972年12月30日公開
…2020年は、「仁侠ものチャレンジ」に取り組むのでござんす。
ご当家三尺三寸借り受けまして、Amazonにてごめんこうむりやす。