仁侠ものチャレンジ

昭和残侠伝

昭和残侠伝

全部で9作ある「昭和残侠伝」シリーズの初回。
主人公は高倉健、そして池部良。

このシリーズの舞台設定の多くは昭和の初め(第一作は戦後)。

観始めた瞬間に思ったんですが、例えば「平成のはじめ」と言われたら、もう30年くらい前のことになりますよね。覚えている世代の人は、ああ、そうだったなぁ…小学生だったなぁとか高校生だったなぁとか、あの仕事してたよなぁ親父まだ生きてたなぁとか昭和天皇崩御寸前のあの、自粛ムードとかを思い出しますよね。

だけど、思い出しつつも個人としては「平成のはじめ」と「昭和の終わりごろ」に、はっきりとした区切りなんかつけられないじゃないですか。

暦の上では、またはニュース映像としては「昭和/平成」は小渕総理の額縁持ち上げ姿とともに記憶の節目になりますけれど、学生は3学期の初めだったし仕事はじめの直後だったし、っていう感じでしたよね、確か。

街の風景や考え方や風習や気持ちの動きに、明確な区切りなんかなかった。

令和になってしまった今、昭和なんてもうかなり前…って感じるだけですけども、それでも「平成と令和の区切り」と言われたら、別に何もない。

2019年の4月末と5月の初めに、何かありました?何もないです。好きな人のことは好きだしビルの工事は続くし借金は残ってる。自分も街も何も変わらず、同じです。

…ということは、「昭和のはじめ」という舞台設定に、大正との区別なんか、ないんです。

大正時代は15年で終わりますから、「昭和残侠伝シリーズ」の多くの設定である「昭和のはじめ」に登場する人物は、ほぼみーんな明治生まれなわけです。30歳くらいの設定の人は、明治30年代生まれなんです。

明治30年、っていうことはですよ、さらに30年前になれば「江戸時代」だったんですよ!!!

つまり明治45+大正15+昭和アルファ、ですから、江戸生まれの年寄りがまだ、ごろごろ生きてた時代。
「昭和のはじめ」って、そういう雰囲気です。

その観点で見ると、単に「古いなぁ」という感傷だけでなく、何を受け継いで何が失われつつあるか…みたいなところが、想像まじりで楽しめるのではないでしょうか。ちょんまげ結ってたじいちゃんが、まだ生きてた時代ですから。

1965年公開の第一作「昭和残侠伝」。

主人公は寺島清次。
「昭和残侠伝」は、主人公の名前がずーっと同じ、という変わった設定です。これってどういう意図だったんでしょう。同じく人気シリーズの「男はつらいよ」も「トラック野郎」も登場人物の名前はずっと同じですが、それはまさしく「人物も同じ」ですよね。

「昭和残侠伝」シリーズの場合、人物(つまり設定)は毎回違うんです。
人となりはまったく別人なのに、名前が同じというややこしさ。さらに不思議なことに、第一作で登場する主人公(高倉健)の名前は、今言ったように寺島清次なんですが、この名前はこの第一作だけ。

同じ名前で設定だけが変わるというトリッキーな継続は、第二作「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」から改めて始まります。二作目から続く名前については、次回、「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」の頁で紹介します。

さて、このシリーズには「型」があります。
型というのは、シリーズ物にはよくあることでしょう、そしてその型をこそ、観客は喝采した楽しんだ。パターンがあってこそのカタルシス。先ほども出てきた「男はつらいよ」も、映画シリーズとしては1969年からスタートしていますが、やはり型がある。寅さんが柴又へ2回帰ってきたり、旅先あるいは地元でワケアリの女性にグラッと来たり。フラれてまた、どこかへ出て行ったり。そもそも「男はつらいよ」は「昭和残侠伝」だけでなく日本の「仁侠もの」のパロディとしての性格が強いですね。啖呵売であるとか、テキヤだって立派なヤクザ稼業だったわけですから。渡世人であることについては、車寅次郎も花田秀次郎も変わりありません。あ、書いてしまいましたが「昭和残侠伝」第二作目から主人公の名前は「花田秀次郎」になります。もしかするとこの辺も、パロディというか、どこか聞き覚えのある音感を残すために作られたのかも。

この「ストーリーの型」には実は理由があって、映画量産体制を作る、という意図があったんですね。毎週のように新しい映画がかかって、映画館がトップクラスの娯楽だった時代。効率よくスターを配して興行収入を上げるという、賛否両論ある、時代の産物。

ちなみに「トラック野郎」は、「下品な寅さん」を標榜して作られたと言ってもいいでしょう。
トラック野郎の主人公(菅原文太)の名前は「星桃次郎」。
この「◯次郎」の系譜が、高倉健から渥美清を挟んで菅原文太に渡っているのが面白い。他にもいるのかも。

冒頭で「昭和のはじめ」という話を書きましたが、第一作の時代設定は「終戦直後」です。
終戦したはいいものの、徴発されて大陸や南方の戦線へ出向きそのまま行方知れずになった兵士というのは本当にたくさんいました。兵士、と言ったって職業軍人ではありません。戦争どころか喧嘩もしたことないような一般市民が、銃剣持たされゲートル巻いて、動員されていたのですから。主人公の寺島は戦火をくぐり抜け、なんとか運よく復員してきました。

終戦直後は日本はどこでも、闇市が立っていたんですね。
その名残は今でも、駅前などにあったりします。近くの駅前とかに、不自然に並んだ商店の並びがあったりしませんか?
ジャンルも区割りも、どうもいわゆる商店街とも違う…ショッピングモールとは雰囲気が違うぞ…いゃ、え!!宝石屋の隣に魚屋!?みたいな。

あのパターンは皆、闇市の名残りです。

簡単に紹介しますと東京の自由が丘にある「ひかり街」という場所、完全に闇市の末裔です。サイトには闇市のやの字も書いてありません。書く必要もないですしね。
「伝統あるショッピングアーケード」
「ジュエリー、ファッションから和菓子や惣菜まで」
「戦後すぐに創業した老舗から最新の流行に敏感なおしゃれなお店まで」
との文言が並びます。

今に至るまで、都会の一等地で商売を守り続ける人たちがいる…ましてや爆撃で焦土と化した東京(「昭和残侠伝」の舞台は浅草)で、商売に関わるいざこざを勝ち抜くなんて、生半可な覚悟でできるものではなかったでしょう。

命を賭けるにあまりある、侠(おとこ)たちがいた。

「昭和残侠伝」の型が、第一作から見て取れます。

・まず、地元へ帰ってくる。
・結ばれないが惚れあった女がいる。
・組織同士がもめてる。だいたいがマーケットの取り合い。
・仁義を立てて、もめ事をおさめようとする。
・調子に乗った相手の横暴が極まる。
・堪忍袋の緒が切れてして皆殺しにする。

簡単に言うとこういう感じです。

瓦礫がぜんぜん片付いていないような状態の街で、強いものが勝ち、また強いものに頼らざるを得ない人らがたくさんいた時代、ここに「戦前にはなかった価値観」が生まれようとしていたのかもしれない…という片鱗が見え隠れします。

経済的な価値観、金がモノをいう時代…そしてモメるのは、結局ッ!いつも金のことッッ!!昭和の戦争からの復興に、ヤクザが活躍したことは歴然たる事実ですが、ピストルもままならない、日本刀での斬り合い…想像するとそっちの方が怖いなぁ。

ジョン・ウィックなら「パン」と一発で絶命するところ、こっちは血飛沫と断末魔。

この時点ではまだ、珍しくも古めかしくなかったと思われる「仁義を切る」という行為。
前半に出てくるこの辺りも、見どころとなっています。

書き出してみたいと思います。

A:「ご当家、軒下の仁義、失礼ですが、お控え下すって。」

B:「ありがとうござんす。軒下の仁義は失礼さんにござんすが、控えさせていただきやす。」

A:「さっそくながら、ご当家三尺三寸借り受けまして、稼業、仁義を発します。」

B:「手前、当家の若い者でござんす。どうぞお控えなさってください」

A:「手前、旅中のものでござんす。ぜひともお兄いさんからお控えくだすって」

B:「ありがとうござんす。再三のお言葉。逆意とは心得ますが手前、これにて控えさせていただきます。」

A:「さっそくお控えくださってありがとうござんす。手前、粗忽者ゆえ、仁義前後間違えましたる節は、まっぴらご容赦願います。向かいましたるお兄いさんには、初のお目見えと心得ます。手前、生国は大日本帝国日光筑波東北関東は吹き下ろし。野州は宇都宮でござんす。家業、縁持ちまして身の片親と発しますは野州・宇都宮に住まいを構えます十文字一家。三代目を継承いたします、坂本一太郎に従います、若いものでござんす、姓は風間。名は重吉。稼業、昨今の駆け出し者でござんす。以後、万事万端お願いなんして、ざっくばらんにおたの申します。」

B:「ありがとうござんす。ご丁寧なるお言葉申し遅れまして失礼さんにござんす。手前、当・神津組四代目川田源之助に従います若い者。姓は江藤、名は昌吉。稼業未熟の駆け出し者。以後、万事万端よろしくお頼もうします。」

A:「ありがとうございました。どうかお手を上げなすって。」

B:「あんさんからお手を上げなすって。」

A:「それでは困ります。」

B:「ではご一緒にお手を上げなすって。」

AB:「ありがとうござんした」

これが緊張感をもって、「立派な渡世人かどうか」を測るバロメータになってたとしたら、もうこれは江戸時代の風習、と言えるでしょうね。「オヒケーナスッテ」とポーズくらいは見聞きしたことあるような気はしますが、もうこうなってくると「控える」っていうのは一体なにをどっちが控えることを言うのかが分からなくなってくるほどです。

…と言うか、タイトルからして「残侠伝」ですから、すでにあった「侠客伝」シリーズよりは、もう「侠」の部分が減ってきてるということを表してます。時代の流れを。
音が鳴ってて、残響がある、となると、だんだん音は減衰していってるわけですから。

男気とか任侠道とか、そういうものが時代とともになくなっていく中で、「昭和になっても残っている!!」という意味の「残侠伝」なのでしょう。

戦後でそれですから、令和の今、「侠」はどこに、どれくらい残っているのでござんしょうか。

第2作「昭和残侠伝 唐獅子牡丹」に続きます。

ーシリーズ9作ー

第1作『昭和残侠伝』1965年10月1日公開
第2作『昭和残侠伝 唐獅子牡丹』1966年1月13日公開
第3作『昭和残侠伝 一匹狼』1966年7月9日公開
第4作『昭和残侠伝 血染めの唐獅子』1967年7月8日公開
第5作『昭和残侠伝 唐獅子仁義』1969年3月6日公開
第6作『昭和残侠伝 人斬り唐獅子』1969年11月28日公開
第7作『昭和残侠伝 死んで貰います』1970年9月22日公開
第8作『昭和残侠伝 吼えろ唐獅子』1971年10月27日公開
第9作『昭和残侠伝 破れ傘』1972年12月30日公開

 

 

 

…2020年は、「仁侠ものチャレンジ」に取り組むのでござんす。
Amazonにてざっくばらんにおたの申します。

 

 







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