浪花篇、関東篇と来たら「北陸」から「NY」まで行くのかと思ってたら第4作は「神田祭」。
東京に帰ってまいりました。
「血斗」です。なんて読むんでしょう。
けっとう、ですよね。
文字の発音そのままだと「ケット」ですけれど、「斗」は、「闘」の代わりに使われているようです。
ところで「血」って、ずーっと見てると、国会議場堂の上みたいに見えてきますよね。
で、この「斗」、ほんとに「闘」という意味があるんでしょうか。
そもそも、「けっとう」だと、「決闘」ですよね。
「決める闘い」ですから決闘って。
決闘の歴史は古く、「決闘裁判」っていうのもあったんですよね。裁判官の責任のもと、たとえば証拠不十分の殺人犯に、被害者遺族が決闘を申し込むことが認められていました。日本にあった「仇討」と似ている感じはしますが、権利を認め、非合法なものは許さず(私闘は禁止)、土地の所有権争いまで解決する手段として使われていたそうです。
正々堂々と戦って、勝ったものが正義、みたいな感じですよね。
日本で決闘と言えば宮本武蔵と佐々木小次郎、巌流島の決闘、でしょうか。
歴史をよく知る人たちからは「おい武蔵、それのどこが決闘やねん」の声も上がる中、勝負を決する男たちの熱き思いが偲ばれます。
その「決闘」を、さらに「流血まったなし」の雰囲気で「血闘」に変え、それをさらにさらに「血斗」に書き換えた本作のタイトル。
しつこいようですが、まだ「斗」にこだわってみます。
北斗、南斗、元斗、西斗…。
それぞれ神拳、聖拳、皇拳、月拳…と名のつくのはよく知られているところ。
北斗の拳の話です。
星に関連するような時に使われるのかな…という「斗」なんですが、これはそもそも「ひしゃく」を象(方ど)った文字なのだそうです。
料理に使う、ひしゃくに似た形の器具を「おたま」と呼びますが、あれって正式名称は「おたまじゃくし」なんですよね。なぜそんな名前かというと、カエルの子供であるおたまじゃくしに似てるから、そう呼びます。
漢字だと「御玉杓子」とも書くわけですが、「科斗(かと)」とも書きます。
「科斗(かと)」はまさに、カエルの幼生のことなんです。
ややこしいんですけど、古代中国で、木簡とか竹簡に書かれていた文字を、オタマジャクシっぽい形だ、ということで「科斗文字」と呼ぶんだそうです。かともじ。なので全部、カエルの子供が最初、なのでしょう。カエルの子供は難しく「蝌蚪(かと)」とも書くようです。どちらにしてももう、「斗」が何回も出てきてますよね。ぜんぜん、星っぽい意味は、そこには無いみたい。
そもそも、「一斗缶」の「斗」、ですよね。
一斗は十升、ですから、単位名でもある。おたま(科斗)もそうですが、「漏斗(ろうと)」も、軽量に関係する漢字として使われてる。訓読みとしては「斗(ます)」と読むそうです。ますます計量っぽい。
けどこれは「四角」みたいな意味の方らしい。
和室にある、障子の骨組みが方形(四角)になってるあれを「マス」って言うんですね。
「血闘」の「闘(とう)」が「斗(と)」になっている今回の作品タイトル。
やっぱり、「とう」と「と」は同じではない、と思うんです。
どうして「闘」が「斗」になったのか。
実は「闘」は、比較的新しい字なのだそうです。
元々は、旧字体としては「鬪」なんだそうです。
かまえ、が違いますよね。
見たことあるかまえ。そう「勝鬨橋」の「鬨」でしか見たことないやつだ。
字、小さいでしょう。見えてます?
書いてみます。
門書いて、豆書いて、寸。
旧字体の「鬪」、まず最初の「ただの棒」が心もとない!!
どこかで閉じたい!!
しかも「王」二つ。
そうなのか…。
左は「もんがまえ」ですが、右は「とうがまえ」と呼ぶそうです。
ここでさらにお知らせです。
この「鬪」(右側)、実は「俗字」なのだそうで、康煕字典(こうきじてん。清の康熙帝の勅撰字典。1716年)には乗ってない「新しい、庶民的な、かんたんな、使いやすい字」だと。おいおい。
ほんとうは、「鬭 」と書くのが正しい(見えてる?)
書いてみましょう。これです。
いやいや、書いてみたけど、まず書き順がわからんわ。なにこれ。これが「闘う」の元の字??
この、鬥(とうがまえ)の中に入ってる字、これは「斲(たく)」。
たく!!!!!!
なんだこれ!
これは、左手に盾。右手に矛。つまり闘いの様子を表してる。
それがいつの間にか「豆と寸」になっちゃったわけですね。もはやかわいい。
中国でも現在の略し方で、「闘」は「斗」としてるんだけど、それは中国ではどちらも発音が「トウ」だからだそうです。
日本は「ト」だけど、中国では「斗」も「トウ」なんですね。
あの「斲(たく)」を含んだ「鬭(とう)」が略される過程で、左サイドが「豆」になり、右サイドが「寸」になった。
その途中、「鬦」みたいなパターンも考案されたらしい。
中身が、「寸」に変わる途中なのか、「斗」になってる。
発音としてはずーっと「トウ」なので、ええい、略し方!一番かんたんな「斗」でいいだろう!っていう方向性が決まった、ということなんでしょうかね…。
すごい変遷。
というわけで、決闘→血闘→血斗について興奮しすぎてしまいました。
読ませていただき、紹介させていただきました。
「闘」 の略字が 「斗」 なのか?
https://open.mixi.jp/user/809109/diary/1808525778
今回は「火消し」。
やっと「日本侠客伝 血斗神田祭り」の話題に入るのであります。
火消しっていつまでやってたんですかね。
そのまま、地域の「消防団」として引き継がれたんでしょう。
火事と喧嘩は江戸の華。
ある種特別な存在として、江戸の火消しは物語の題材にも、たくさんなっていますよね。
今回の時代設定は大正10年。
まだ関東大震災が起こっておらず、平和で江戸情緒すら残る時代。
やはり東京が舞台の昔の物語というのは、関東大震災と、太平洋戦争。
この2つが節目となって、前後で「何かが変わっちまった」的な余韻を感じさせるものが多い気がします。
今回は関東大震災の前ですから、第一次世界大戦が終わって3年ほど。
大日本帝国も戦勝っぽくなって、その前に日露戦争にも勝ってるし、神国・大和男児の戦いは正しい、という思いを否定することもなかなか難しい、というような趨勢だったのではないかと察します。
纏(まとい)を持って伝統を重んじる火消し。
最先端の移動手段「自動車」を駆り、時代を闊歩しようとする新興勢力との衝突が、今回の物語のベースです。
東西南北藤山寛美。
大阪弁丸だしのタケ(藤山寛美)が「仲間に入れてくれ」とやってくるんです。
なんで?理由を知りたいわけではないですが、神田っ子のキップが炸裂する江戸火消しに、なんで藤山寛美が…。
そう言えば「関東篇」の最後に屋台のオヤジ役で出てきましたよね。
ここまで次々作にガッチリ出てくるとは…違和感こそあれ、大阪弁で周囲を和ませ、威勢のいい江戸っ子たちに、アクセントを加えています。
タケは時代遅れになりかけている火消し稼業に志願したけれど、「ガマンがねえな」と断られます。
なんとなく藤山寛美のシーン、共演者がどことなく、ほんとに笑うのをガマンしてるように…も見えますね。
ガマンとは、彫り物のこと。
痛いのを我慢するからガマン、なんですね。
やはり火消しは、火事の際には身軽に裸になって屋根に登り、消化作業を先導する江戸の花形ですから、入れ墨は自慢だったようです。軍隊などにもみられるように、死んだら個人を判別するのにも便利…という一面もあったようですが。
身軽さから、火消し稼業は「鳶職」の原型にもなっていきます。
江戸の火消しは、「解体」が主な仕事です。
「消火」ではなく「解体」。
火事の多かった江戸の市中では、早く近隣を解体しないと無限に火が広がってしまう。
燃えた家に、水をかけて火を消しましょう、なんて悠長なことをやっている時間はなかったようです。
火消しは、家の構造もわかってなくちゃいけない。
家、壊すのが上手いってことは建てるのも上手い。
というわけで、建設業を担うことになっていくってことですね。
男いき、男ダテ、の象徴だった、火消しの彫り物。
今でも神田祭などでは見ることができますね。
実態は知らないんですが、今でも、決して祭りで彫り物を披露するのはヤクザだけじゃない気がします。
普通の人でも「祭り用」に、彫り物入れてる人がいてもおかしくない。
そういう気風、なんですよね。
昔の女子たちは嬉々として見物に行った…そうです。
それにしても藤山寛美のシーン、たっぷり時間が割かれていますねえ。
妙な関係性(悲恋)。
呉服屋の土地・権利書を、放火や公文書偽造までして奪おうとする悪どいヤクザ・大貫猪三郎(天津敏)。
ヤクザではないものの、筋を通す火消したちがそれに対抗します。
ヤクザの助っ人として、客として滞在していた元・大阪淀半一家の長次(鶴田浩二)。
旅人として助っ人しなきゃならない立場ではありながら、伝説の侠客として弱いものいじめはせぬ、という筋を通そうとする長次。同じく大阪弁の「とうはん」と呼ばれる病身の女性(野際陽子)。
恋仲ではない。
二人でこの神田界隈にいる、ということは…逃げてきてるんですね。ウチの病気はな、薬では治らへんのや。
お父ちゃんが二人の仲を認めてくれたら、そしたらきっと治るんや中略
お父ちゃんがアホなんや。
自分かて極道のくせして…
つまりこれは長次が、大阪淀半一家の娘と、駆け落ち同然で逃げているってことですね。
それを知らせる廻状(かいじょう)が全国に届いており、大貫に「面目ない」と頭を下げていたのはそういう理由だった。
そして、彼女を呼んでいた「とうはん」というのは、大阪の商家などで使われていた「その家の長女」のことです。
「とうさん」→「とうはん」になっていると思われます。
基本としては、お嬢さんは全員「とうはん」なんですけど、次女ができると次女は「こいさん」と呼ばれます。「小さいとうさん」がぐんぐん略されて「こいさん」になってしまう。
ちなみに商家では、旦那は「ダンサン」ですよね。
ダンナサンが略されてダンサンになる。
ダンサンの奥さんは「ゴリョンサン」。
これは、「御寮さん」の略。
大きな商家では、店にあたる棟と生活棟は別ですから、「奥さん」も同じですけれど、住んでいる場所を表しているのがそもそもの意味だと思います。「お館様」とか「殿下」とかと同じ構造ですね。
まだ、名前で呼ばずに「とうはん」と呼んでいるということは、二人は夫婦でもなく、恋仲ではあるものの結ばれてはいないのではないか…という関係性、だと言えます。
身内は、自分の娘のことを「お嬢さん」とは呼びませんから、「とうはん」「こいはん」などという言い方をするということは、ある程度の距離がある、ということを表しています。
火消しの頭が、卑怯な大貫一家の手の者に、夜陰に乗じて襲撃され、その事情を知った長次(鶴田浩二)。
新三(高倉健)は呉服屋「沢せい」を助けることを続けるため、筋を通して町内の顔役たちの後ろ盾も得ました。
事情を飲み込み、新三と長次がそろい踏みの場面。
ここで歌が流れます。
意気に感ずも
情けに死ぬも
ままよ男が決めた道
たかが五尺の体じゃあるが
明日を夢見て燃える心が消さりょうか
前作に引き続き、北島三郎「男の情炎」です。
今回、悲恋は二つあるんです。
自分の親分を裏切ってまで逃げてきた長次と、とうはん(野際陽子)。
店を助けるために、やましい気持ちはない、と言い切ってしまったために、思いを遂げられそうにない新三。
とうとう神田祭の日。
お囃子が鳴り、御神輿が表通りを通る晴れやかな日。
なんと淀屋半次郎一家の隻眼、ヤス(長門裕之)が神田に現れます。
もちろん、兄貴分である長次を殺し、とうはんを連れ戻すため。
ややこしくなってきました。
弟分(長門裕之)にとうはんを預けて、安心が得られた長次は、大貫一家への殴り込みを敢行することに。
しかし拳銃で撃たれ、返り討ちにあってしまいます。
この乱闘シーン、長次(鶴田浩二)の吐く息が白いんですが、これはどういうことなんですかね。
神田祭は5月。早朝だとしたらまぁ、白い息が…ってことはないか。
この「日本侠客伝 血斗神田祭り」は公開が2月の3日なので、撮影が冬だったということは大いにあり得ますよね。でも、殴り込みはスタジオ内のセットではないのでしょうか。白い息を吐くのは、拳銃で撃たれたところだけ、なんですよね…不思議だ。
長次が殺され、ついに怒りが爆発する新三。
鳶口(とびぐち)を持って単身、大貫一家を襲撃します。
鳶口。
いや使い慣れてるからってそんな道具では…長ドス持ってた百戦錬磨の侠客・長次も殺されたんだよ?大丈夫か??思ったら途中で敵から日本刀を奪取。
そして火消し一同が、一気に加勢に駆けつけ、形勢は逆転。
新三は大貫を仕留めます。
義理を立て、愛した女を逃し、死んだ長次(鶴田浩二)。
「沢せい」の花栄(藤純子)のために、自分を犠牲にして守った新三(高倉健)。
「木遣り」がうたわれ、纏が舞い、警察へ出頭するのか…というシーンで今作は終わります。
木遣りって、これです。
このCM探すのに、ずっと「浅田飴」で検索してた。出てこないはずだわ。
それにしても今回、藤純子の芸者姿の素晴らしいこと!
おさらい「斗」の原型「闘」。
ところで「血」って、ずーっと見てると、国会議場堂の上みたいに見えてきますよね。
ーシリーズ11作ー
第1作『日本侠客伝』1964年8月13日公開
第2作『日本侠客伝 浪花篇』1965年1月30日公開
第3作『日本侠客伝 関東篇』1965年8月12日公開
第4作『日本侠客伝 血斗神田祭り』1966年2月3日公開
第5作『日本侠客伝 雷門の決斗』1966年9月17日公開
第6作『日本侠客伝 白刃の盃』1967年1月28日公開
第7作『日本侠客伝 斬り込み』1967年9月15日公開
第8作『日本侠客伝 絶縁状』1968年2月22日公開
第9作『日本侠客伝 花と龍』1969年5月31日公開
第10作『日本侠客伝 昇り龍』1970年12月3日公開
第11作『日本侠客伝 刃』1971年4月28日公開