モンゴル帝国は文永の役(1274年)、弘安の役(1281年)の2度に渡って日本に侵攻した。
服属を迫る皇帝、フビライ・ハンの使節を、鎌倉幕府は斬首にし、抗戦の構えを見せたが、独自の軍事力を持たない朝廷は、敵国降伏の祈祷を社寺に命じた。
慣れない嵐によってモンゴル兵は壊滅的打撃を受け、2度とも撤退した。
元寇への構えは西国における鎌倉幕府の支配を強くし、権力基盤が強化されることにつながった。
※蒙古軍が使った「てつはう」は、日本人が最初に遭遇した火薬武器だった。
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斎藤孝監修。
自然、歴史、文学、科学・技術、芸術、伝統・文化、哲学・思想の7分野からの、日本にまつわる365日分の知識。この本をさらっと読み、知ってるようで知らなかったことをさらっと初めて知りつつ、ああそうなんだね~なんて知ったかぶりしながらほんの少しだけ、書くことを1年間続けます。最低限「350ページ以上ある本を読んだよ!」の事実が残るだけでも、価値はゼロではないはず。いわんや「教養が身につくかどうか」なんて、知ったことかと。
1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365