自論構築過程

バカにされてることに敏感なのがバカの証拠なんだよね

 

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

すでに、すごい人たちによって散々言われていることなので私がここに書く必要もないのですが、何度も忘れて嫌な目にあうので、戒めとしても残しておきたく、書いております。

バカと関わる時間は、本当に無駄です。
これは、多くの人が感じておられることでしょう。

私は、とにかくコーヒーを飲みながら空を見てぼけーっとしたりクーラーの効いた涼しい部屋で布団を股に挟んでゴロゴロしたりする時間をじゅうぶんに確保したいので、人生の1秒も無駄にしたくないのです。

バカに関わってる時間はないのです。

あいつ、あの馬鹿野郎が…とかほんとにあのレベルのアホどもっているんだな…とか思ってイラっとするのに1回1秒〜15秒くらいかかるとして、これを毎日繰り返すとしたら15 x 365で91分ほどになります。
年間に1時間半以上、貴重な時間を「バカのため・のみ」に割いていることになる。
実際は1日1回じゃないですからもっと増える。
布団を股に挟んで昼寝する方が、やっぱり1億倍良いですよね。

なので、バカを脳裏から遠ざけるために、バカとは何かを、まずは整理しておきたいと思い、ペンをとっております。

 

バカの定義

私が持っている「バカの定義」のうちの一つが、今回のタイトルです。

バカにされてる事に敏感なのがバカの証拠なんだよね

バカって、「バカにされてる」ことに異常に敏感なんですよ。
バカにされてることに「だけは」と書いた方が正確かもしれない。
バカだから、バカにされてることには気づかないだろう、って思ってたんですけど、どうやらそれは正しくないようなんです。

ただ、どういう風にコケにされてるとか、どの部分がそう思われる部分だとかは、具体的にはわからないみたい。
とにかく「プライド」みたいなことを気にします。
バカにされてる空気に「だけ」反応する受容体を持ってるんでしょうか。

「ナメられてる」とかも、よく言います。

冒頭に掲げた、

賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ。

これ聞いた時、スーーッと、納得という名の冷たい葛きりが喉越し良く落ちていくような気持ちになりました。

バカは、「経験」のみを元手になんでも考えるんですね。
だから(例えば)、海外旅行なんかしようものなら、「◯◯では〜」が、頭から一生離れない。

自分の行動こそが「歴史」だと思っていて、それが他人には通用しないことがわからない。

もちろん、経験は大切です、でももっと大切なのはその自分の経験を、歴史と照合して、普遍化することですよね。
「私はこうだった、だからそれはこうです」と断言できると思い込んでいるのが、バカである確固とした証拠だということになります。

さらにそこに、「だからあなたもそうしなさい」が加わると、「バカによる呪縛および攻撃」と呼んで差し支えないでしょう。

 

★★★今回安心なのは、この記事はバカは読まないってところなんですよね。もう、おそらくここまですら読んでないでしょう★★★

 

「印象でしか判断しない」
「自分のわかる範囲で善悪すら判断してしまう」

もバカの定義なんですけど、ぜったい長文を読んだりしませんから、最初の2〜3行で「バカについて書いてるな…」と思う程度なんです。

そうやって、バカから脱するチャンスを自ら放棄してるんですね。
でも怖いのは、最初の2〜3行で、それなりの感想を持って「意見」を述べようとするところなんです。Amazonとかのレビューには、そういうのがたくさん載ってますよね。

猛烈な誤読と誤解、それどころか未読。

「理解できないことは、理解できるように説明できない相手が悪い」くらいのことを、電光石火で思いつくのがバカですから。

あと定義としては

「好・嫌と善・悪の区別がつかない」。

これですね。
この世には主観しかないと思ってるというか。
それはつまり子供です。幼稚なわけですね、思索が。

「感想」でしかないものを、「意見」だと思ってる。
感想を持つなっていうことではもちろんなくて、反射的な感想を、人に修正を促す勢いでぶつけたりする神経は未熟そのものだとしか言えない、ということですね。

もう一つ、

「文面や画像を、そのままでしか受け取れない」。

これはバカという属性よりも純粋に、解読能力とか、リテラシーとか、形而上的な理解とか、そういうことに属することかもしれませんが。
「いやよいやよも好きのうち」はこれのもっとも単純化した形かも知れません。

「裏を読む」「真相を慮(おもんぱか)る」「心情を忖度する」、つまり「行間を読む」的なことができない。

何かが書いてあるとすると、それはもう「その通り!」だと思う。
出来たとしても、「真裏に感じる」、つまり「疑うのみ」しか出来ない。

真理とか本質とかを知ろうとしないので、内容に踏み込まず「怪しい!」とかもすぐ言います。
その判断基準は「自分の経験」ならびに「今理解できるかどうか」にあるようです(早い思考)。

俯瞰して物事を判断出来ないので、「なぜこれがここに、こういう風に存在するのか」ということまでは、思考が及ばないんですね。

なので、「比喩が通用しない」んです。

たとえば、「例えば野球で言うと…」と話を展開したとすると、バカの脳内には野球しか浮かんでこないんです。
いつの間にか、野球そのもののことを考えて、比喩の元となる話と結び付けられない。

うん、バカの典型的な定義として「比喩が通用しない」は、本当にあるかもしれません。

 

バカ、と人に言える理由

「じゃあお前は、バカではないのか?」ということに、なってきます。ここで言う「お前」とは、私のことです。

「お前、人様をバカ呼ばわりできるような人間なのか」と。
まったくおっしゃる通り、私もバカだと思います。
いえ、「私もバカなんだから、バカの言うことだから許してね」というエクスキューズではなくて(ないことはないけど)、あなたもバカだし、私もバカだということです。

もちろん「総合的バカ」と「部分的バカ」がいることは論を俟ちませんが、誰だって「部分的バカ」なはずです。

どんなジェネラリストでも、部分的に突出した「バカ要素」を持ってるはずですしね。

そもそも、相対的なものでしょう、「バカ」って。

今回、私がバカと思うのは、常に「私よりバカ」に対して、っていうことですから、私を「バカ」と思う人がたくさんいるのも当然なんです。

常に、たかが私。

そう、ここで今回のタイトルを思い出していただきたい。

せめて私は「バカにされて当たり前」くらいにはいつも思っていたいと考えています。

「あっ、バカにされてる!」とか「ナメやがって…!」とか思っちゃう時点で、「総合的バカ」の可能性が出てきてしまいます。

何度も書きますが、バカにされてる事に敏感なのがバカの証拠、なのです。

自分は常に、誰かよりバカなんです。
そして常に、自分よりバカはいる。
それは時間によっても変化しうるし、場所によって見え方が変わる。

ああ、それって観覧車ではないか…と思ったのです。

常に自分より下を見て、見える範囲を「バカ」と言う。
観覧車では、上のゴンドラは見えませんよね。相対的というのは、ぐるぐる一周以上回れば、下だったゴンドラが上に来るよね、ということです。

大抵は一周しか乗りませんから、下だったゴンドラが再び上になる、という経験はしません。
でも、観覧車の構造を思い出せば、自分の位置は常に相対的だと気づけます。

権威に弱く、幼少期の関係性をいつまでも引きずってるのもまた、バカの証拠なんじゃないかな〜と、思ったりする次第です。

 

というわけで、ここまで書いてもバカは、読んだあと、「そうなんですよね〜」なんて言ってくるんですよ。
バカじゃない人は、こういう記事は黙殺、しますから。

↑こう書かれると、普通は「そうなんですよね〜」とか、意見は言えないものです。

どうしてバカがそれを言って来れるかというと、上の★★★で囲んだところに書いた通り、ここまで読んでないからなんですね。

変に悪い言い方をする必要はないよな…とも思いながらも書くんですが、バカって、こちらから積極的に排除しないといけないと思います。

「まぁ、しょうがないよね…」で付き合い続けてると、いくらでも時間を侵食してきますから。
その上、向こうには一切の自覚がない。
他人の疲弊にはまったく無頓着です。

自分のことしか語ることがない(経験にしか学ばないから)ので、自分語りを死ぬまでやめません。

普遍性や汎用性のあることと言えば、テレビで観た情報か、1度だけどこかで調べた古い情報です。
そんなのに付き合う必要はない。比喩も通用しないので、「面罵」以外には攻撃のしようもない。それすら時間の無駄ですから、積極的に、回避しましょう。

 

それが、ここまで読んでくださったあなた(つまりバカではない人)が出来る、幸福への近道だと思います。

まさか農薬まいて撃退する害虫のように扱うわけにはいかないから、畑を捨てて、こちらが逃げるのです。

「あいつのせいで…」なんて、いつまでもバカの相手をして苦しんでいるのは、おかしいですよ。

バカを遠ざけ、切り捨てて、自分の時間を豊富に取り戻し、股に布団を挟んでゴロゴロしましょう。

私は、そうします。

 

 

 

 

 

※追記

私はわかってるつもりで書いてるんですが、わかってない方のために細く補足。
「バカ」とか「あほ」とか、他人を痛罵するとき、自分の中には、「快楽」が起こっています。

どんなに自分より素晴らしく、上位で、叶わない相手でも「あいつはバカだから」という時、嫉妬を原材料にして、猛烈な「快楽」が発生します。

バカであるがゆえに、この「快楽」を求める状態になってはいけません。
相手は本当に能力・思考ともに低位であったとしても、それに対して「バカ」と罵ってしまうと、その真実は「快楽」に置き換わってしまいます。
これは、現実を捕捉することよりも、数倍危険です。

他人を中傷して獲物が得られるなら、人間は安易にそちらへ傾いてしまうでしょう。
どんな状態であっても「人をバカ呼ばわり」する場合には、その数だけ悪魔が、自分の周りに寄っていきている、と自覚的にならなければなりません。

でないと、バカになってしまいます。

「バカと言う者の方がバカ」というのは、この真理を言っているんですね。

 

というわけで、グワッとこうしてバカについて考察をまとめるのは、「バカについて考える時間を日常からできるだけ消し去る」効果があるからです。

態度と行動を決めてしまえば、あとは対処するだけですから。

例えば「バカとは議論しない」。
いくら腹の立つ行動をバカがしていても、その場でバカと討論するほど徒労なことはありません。
「バカとは議論しない」と決めてしまっていれば、その場で「すいませんねえ」とこちらが謝った方が総体的な害は少なくて済みます。

「バカのブログは見ない」
「バカはミュートしておく」

など、SNS上でも色々と処方はあるでしょう。
できるだけ、自分に嫌な感情が起こらないように、対処することが必要です。

そして「ハエが寄ってくるのは、自分がウンコの可能性がある」という自省も、また必要かもしれませんね…。

 

 

 







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