鎌倉殿の13人

三浦氏の拠点は鎌倉以上の要害の地(写真11・動画1)

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三浦氏は藤氏?

三浦氏の祖は、藤原資盈(ふじわらのすけみつ)と言われる。

藤原宇合(ふじわらのうまかい)の系統で、ということは藤原式家の人ということになる。

藤原資盈は讒言を受けて左遷されてしまい、筑紫国(福岡県)に行かねばならないことになったが暴風によって三浦半島に漂着してしまったらしい。ずいぶんと流されたものだ。難波(大阪)から出発したとして、太平洋に出た上に順調に黒潮に乗ってしまったのか。それとも最初から、筑紫へ行くと何らかの実害があることを知っていて、とにかく坂東の方向へ逃げたのか。

太宰府の長官(太宰大弐)に任命されていたそうだがこれが左遷の結果か。
いや、すでに太宰府には着任していたけれど謀反に参加しなかったので告げ口され、追討の命令まで出てしまったので海に逃れた。
すると太平洋に出た時点で順調に黒潮に乗ってしまい、三浦半島にまで到達してしまったということか。

三浦の地にやってきた割と上位の貴族、一族に後任がいなくなったため、彼はそこの領主として認められた。

三浦氏は平氏?

もう一つ、三浦氏の祖は平為通(たいらのためみち)だとも言われる。

彼は平良文(たいらのよしふみ)の孫。平良文は平高望(高望王)の息子なので、平将門(たいらのまさかど)の叔父にあたる。
そうなると三浦氏は純正の平氏(桓武平氏)だということになる。系図も複数あるし、こちらが説としては主力のようである。だけど祖は平良兼(たいらのよしかね・平良文の兄)だという説もあり、平将門の叔父であることに変わりはないが、多分もう正解は永久にわからない。

三浦のボスはもともと藤原資盈だったが、そこで台頭した平氏が三浦氏となっていった、という感じなのだろうか。

上掲の、藤原資盈が主神の神社が「三浦氏の総鎮守」海南神社だ。

行ってまいりました

「三浦氏の総鎮守」海南神社

湊町・三崎港がすぐそこ、という場所にある海南神社。

 

訪れたのが日曜日だったため何か催し事があったのか、「説明オヤジ」と思しき初老の紳士がとにかくずっと境内で喋っており、一杯ひっかけている状態なのかなかなかににぎやかで(その人だけが)、落ち着いて参拝…という雰囲気ではなかった。
残念とまでは思わないが、平日なら静かで落ち着いているのだろう。

さすが三崎。
三崎港と言えばマグロ。
マグロヘッドが奉納(?)されている。

神社仏閣の御由緒書きを見るのが好きなので読もう。

三浦七福神『筌龍弁財天』
三浦総鎮守 海南神社

治承四年(一一八〇)頼朝の挙兵に際し三浦大介義
明、義澄父子は当社に参詣し「神事狐合」(白と赤の狐
が闘い白狐が勝った)で源平の争覇を占い、神意によ
り源氏の再興を信じ頼朝側に荷担し、和田義盛と供に
衣笠城に立籠り、畠山重忠ら平氏の軍勢と戦いました
が落城、義盛の一党は久里浜から海路房州に逃れんと
しました。その時、折悪しく暴風に襲われて海上を漂
流、まさに兵糧尽きなんとした時、龍神に祈ったとこ
ろ筌(せん)(竹で編んだ籠で水中につけておきいったん入っ
た魚は出られなくしてある漁具)という漁具が流れ来
たのでこれを用いて魚を採って飢えをしのいだとの事
があり、後に、建久三年(一一九二)鎌倉幕府が開府し、
義盛は別当職に就任しましたが或る春の一夜、筌が昇
天して龍と化した夢を見て一念発起し、陣地であるこ
の地に筌を弁財天として祀ったのがこの筌龍弁財天の
縁起とされています。
弁財天には、二臂弁財天と八臂弁財天とがあります
が、この弁財天は八臂で八本の手を持ち、左手に弓、
刀、斧、羂索を、右手に箭、三鈷戟、独鈷杵、輪を持
ち、また琵琶を引き、大漁満足、福徳財宝、容色端正、
弁智増上、芸能上達などの御神徳を叶える弁財天とし
て変わった形の女神です。

平成三年十二月

三 浦 市

ラストの1文の、急に投げやりな事実だけを言い切る雰囲気が好きだ。
あんなに親切だったのに急に教えるのが面倒になった、みたいなムードが漂っている。

その説明書きの横には、「金毘羅宮」があった。

なかなかの階段である。

見渡すと、境内にはたくさんの社があった。

本殿、金毘羅宮、御霊神社、疱瘡神社、龍神水神社、福徳稲荷神社、海南高家神社。
さながら「ここへ来ておけば間違いない」というご利益のテーマパーク感があって素晴らしい。
平家の呪いも、源家の恨みも、ここへくれば雲散霧消する。

御霊神社は、鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)を。
疱瘡神社は源為朝(みなもとのためとも)を祀っている。

鎌倉権五郎景政は平氏だが、源為朝は源頼朝の叔父で、その名の通り源氏だ。
源氏と平氏は、実はごった煮である。

じつは源氏も平氏もごった煮。

その上、ここには立派なご神木まであった。

御神木
頼朝公手植えの雌雄の大銀杏
この大公孫樹は鎌倉時代
(一一八五)に源頼朝公
当社に敬神の念篤く
祈願成就の記念として
寄進せしと伝えられる
(樹齢約八百年)

2023年からすると1185年は838年前ということになるけれど、「樹齢約八百年」と誇らしげに言われるとなると確かにまぁ「約」だしいいか…という優しい気持ちになれる。

謎の大石、力石

「力石」なるものも置いてあった。

力石
力石は昔、力試しに用いられた
大きな石であります。
こちらの一番大きな力石には
「萬代石 豆州大島岡田港島田傳吉持之」
と刻まれています。

急に「昔、」って大雑把な由来になるところが好き。

そりゃこれを持ち上げるって相当の膂力だ。
嶋田傳吉くんが持ち上げた記録。

豆州というのは伊豆。
そこの大島、岡田港出身の島田傳吉という男、実はいろんなところで巨石を持ち上げたことが記録されている。

千葉県市川市の八幡神社
東京都世田谷区北烏山の幸龍寺
東京都江東区の富賀岡八幡宮

など、関東各地のそれぞれ大きな石に「島田傳吉持之」と掘ってあるそうだ。
この島田くん、力自慢をほうぼうでやってやがる…なんだこいつ…。

島田くんは幕末から明治にかけて生きてた人のようで、どうも興行一座の一員だったっぽい。力自慢は「芸」だったのだ。

明治18年7月23日発行の「静岡大務新聞」に興行の予告記事が掲載されており、そこに島田傳吉の名があると。

いやぁすごい。
そういえば先日も、富山県で動かないと言われていた石たちが勝手に移動されていて住民が不気味がる、というニュースがあった。

盤持ち石移動、誰が? 40~100キロ6個、重い順に
住民、不思議がる

https://www.hokkoku.co.jp/articles/tym/896590

だけどやっぱり、「なぜか闘志に燃える怪力」っていうのがどの時代にも、現れるものなのだ。

神社の巨石が突然移動…北陸がパニックになった怪現象!渦中の“張本人”が真相を激白
https://post.tv-asahi.co.jp/post-207254/

 

それにしても驚くのは、そんな怪力男ではなく「力石」そのものの魅力に取り憑かれ、調査し、走破し、記録し、情報を公開してくれている人がいることだ。

力石に魅せられて 姫は今日も石探し
https://chikaraishiworld.blog.fc2.com/

素直に感服するほかない。
うーんすごい…。

 

拠点としての三浦

入り組んだ入江の連続は外敵が攻めにくく、その割に山も近く急峻な斜面もあるので守りが固い。
肥沃な海洋資源もあり、弥生時代から続く他地方との交流も盛んな場所でもある。

赤坂遺跡
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/278730

ここを拠点に三浦氏は勃興し、平氏ながらも源頼朝に従う道を選んで鎌倉幕府の重要なポジションを占めることに成功した。

そもそも平治の乱(1160年)で源義朝(みなもとのよしとも)に従っていたが彼が敗れ、三浦一族は故郷まで逃げることに成功する。この時、源義朝・源頼朝父子もそれに伴って逃げていれば歴史はどうなっていたかわからない。

源頼朝の、恨みの根源。「野間大坊」

源義朝に従っていたということは生き延びた後も、乱に勝利した平清盛(たいらのきよもり)を筆頭とする平家の全国規模の圧力を、苦々しく思う立場であったということでもある。
平氏って複雑ね。

京から遠いという理由で平家も「逃げた三浦氏を絶滅させるのじゃ」みたいな大軍は編成せず、何となく田舎者だしもう言うこと聞くだろ、みたいな感じで在長官人として放任してたのだ。

源頼朝が挙兵して、まだそのころ平家に従っていた畠山重忠(はたけやましげただ)に攻められ、衣笠城で討ち死にした当主・三浦義明(みうらよしあき)。89歳の高齢だったそうだがその「衣笠」は今、横浜横須賀道路(通称横横道路)の、「衣笠IC」で知ることができる。

三崎港へ行くのもこの「衣笠IC」で降りる。
降りなければ横須賀に着く。

三浦半島の根元にある鎌倉を首都と定めた源頼朝が、「地元」の三浦氏を頼りにしたのは当然で、海南神社までイチョウを植えに来た…というのも本当っぽいなと感じた。

 

 

 

 

※海南神社の境内には、人懐こいニャンたちがたくさんいた(すぐ逃げられたけど)…。

 

 

そしてふと見上げると、アグラかいて生魚をじかに抱いたおじさんがこちらを見下ろしていた…こわ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※おまけ(猫動画)







-鎌倉殿の13人
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