鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人 第25回『天が望んだ男」

投稿日:2022年6月26日 更新日:

朝廷に食い込もうとする

頼朝の野望は、

大姫の死で頓挫した。

すべてを思いのままに

してきた彼は、

今、不安の中にいる。

死の影が忍び寄る

源頼朝(みなもとのよりとも・大泉洋)が自らの死を意識し始めました。
妙な「あの音」が自分に聴こえるレベル。

ドラマ放映回数も半分を超え「まさかここまで源頼朝が生きてるとは」とは思いますが、源頼朝なくして鎌倉幕府はなく、さりとて源頼朝が消えてからこそが鎌倉幕府、とも言えるのでこの配分は、ものすごく面白いし嬉しい、とも思います。

彼は「源頼朝主観」で「誰も信じられん」なんてことを言ってましたが、お前どんどん周りを、信用してたはずの部下や親族を、弁解も聞かずに残虐に殺してるじゃないか…不安になるのは勝手だけどそりゃ実は周りは「因果応報、あるかもよ?ないとおかしいよ」くらいに思ってても仕方がないレベルの専横ぶり、だったんじゃないでしょうかね。

彼がやってたように、平家の残党を中心に「源氏調伏(ちょうぶく)」の祈祷も、陰では行われているはずだし。

 

モメるのはいつも跡目相続

比企能員(ひきよしかず・佐藤二朗)、大江広元(おおえのひろもと・栗原英雄)らが「鎌倉殿を継ぐ者」について談義するシーンが出て来ました。

比企氏からすると、乳母人となって育てた源頼家(みなもとのよりいえ・金子大地)がいて、彼を二代目にしたい。流れからいうと当然そうなるはずです。

この二代目に、さらに娘であるせつ(若狭局・わかさのつぼね・山谷花純)を嫁がせているので、その間に生まれた一幡(いちまん)を三代目にしたいとも考えています。源氏の棟梁が鎌倉殿を世襲する、という論理から言えば、これは真っ当な思考です。長男→長男と継ぐわけですから、これに文句を言う人はいません。

「たとえ弟が産まれようと、それは家来である。他の御家人同様、生殺与奪の権は当主たる長男にある」は、源頼朝みずからが源義経(みなもとのよしつね・菅田将暉)、源範頼(みなもとののりより・迫田孝也)に対して見せた処断で、みんな心に刻んでいるはずです。

だけど、三善康信(みよしやすのぶ・小林隆)が「唐の国の堯・舜のように、政(まつりごと)は徳の高い人物がおこなってこそ、その都度、じゅうぶん吟味を重ねた上で決めた方がよろしいかと。」と諭しました。

堯(ぎょう)も舜(しゅん)も、徳の高さで優れた政治をしたという、中国五帝に数えられる伝説の王。
この2人に加えて禹(う)という人もいて、この3人は禅譲(ぜんじょう)をしたということになってるんですね。素晴らしいんだと。

禅譲とは「帝王がその位を、子孫へ伝えないで有徳者に譲ること。」を指します。徳治政治、つまり血脈ではなく徳が優先されることで、人民のためを思う政治をした、ということにつながります。

息子に自動的に代を譲ると、単なるボンクラのドラ息子が凶王になってしまい、世情が著しく乱れます。なので徳がある人が、英雄が、次の天下を治めるのだという理屈。これが中国大陸で受け継がれていくことになるんですね。

それはつまり、まったく関係のない部族の人らであっても天下を奪えれば、「徳がある」と自動判定されたと宣言することができるということになるんです。

逆に言えば「滅ぼされるなんていうのは、徳が失われたからだ」という正当化ができる。
中国の王朝は、そうやって変遷して来ました。

 

ところが、日本ではこれがいっさい、行われない。

天皇を継ぐには「血筋」だけが重要で、徳はそりゃあった方が良いに決まってますが、それ以外の要素はない。朝廷を滅ぼすという発想は現在に至るまでまったく出て来ません。現実には皇位を狙ったと思しき人物は歴史上、何人かいるわけですが現に成功してません。中国であれだけ派手に行われてきた易姓革命(姓を替える大変革)がまったくないというのも、日本の不思議の一つだと思います。

あるとするならば、「もともと日本にいた神々が、天皇系につながる神々に禅譲した」という伝説が残るのみ。なんで??と問われてもそれは「日本に降臨した天孫に、徳があったから」で説明は終わりです。

京の貴族たちも、五摂家などの地位は世襲されています。
それぞれ他の公家たちも「家業」を継いで、世襲で役職を守っています。
世襲されるべき役職に見合う官位を、子供の頃から順当に昇っていく。

思えば源頼朝も、右兵衛権佐になり従五位下になったのは11歳くらいの時ですから、エリート一族には約束された将来が待っているんですね(戦争さえなければ)。

それにしても上に出てきた、三善康信の「政は徳の高い人物がおこなってこそ、その都度、じゅうぶん吟味を重ねた上で」というのは、実はなかなかに大胆で、危険な発言だと思うんです。

鎌倉殿が生きている現在、その息子・孫に対して「徳がないかもしれないから」って言ってるのに等しい。

比企能員がグッと、怖い顔をしたのも当然です。

それにしても「今決めなくて良い」というこのやりとりが、のちのすべての争いの元になるんですから皮肉なものです。

そして比企尼(ひきのあま・草笛光子)は源頼朝の死を、完全に予感…してたんちゃうんかい!!!

 

いや…ほんとうは、源頼朝はこの時点で「今後、どうするか」においてはすべて、決めていたんじゃないでしょうか…。そう思います。

 

相模川での供養

稲毛重成(いなげしげなり・村上誠基)が、亡くなった妻のために相模川に橋を架けました。
「橋供養」というそうです。

稲毛重成という人は、畠山重忠(はたけやまのしげただ・中川大志)らと共に、平家打倒の戦いでも活躍した、秩父の武士。

この記事にも書きました。

キレるくらいならなぜもっと逆らわない!?

なぜ源頼朝が、他の御家人なら行かないだろうに、稲毛重成の妻の供養に出向いたかというと、この妻は北条政子(ほうじょうまさこ・小池栄子)の妹だったからなんですね。名前は現在には伝わっていないので「稲毛女房(いなげのにょうぼう)」と呼ばれているそうです。そんな乱暴な。

ということは北条ヨシトキ(小栗旬)の妹ということに。
だから北条一族、集合してたんですね。
源頼朝と北条氏のつながりの深さが感じられます。

それにしても「妻の供養に橋を架ける」という発想がロマンティックではないですか。
橋は「彼岸と此岸を渡る装置」。
その上、情の深さだけでなく経済力がないと、橋を作る人足も動員できないわけだし。
橋を架けること自体、地域の防衛に関わるわけで、勝手に作れるものでもないでしょう。それを許可されるということはやはり稲毛氏はかなり、源頼朝に信頼されてたんだろうなとわかります。

これが、関東大震災で液状化して出て来たという、相模橋です。

 

 

 

ちなみにスーパー「いなげや」は、この稲毛重成にちなんでいるそうです。

くすぶる火種

そしてボケジジイと化し始めた北条時政の言い間違いに動揺する、北条の人たち。
こういうところにも、のちの戦いの萌芽が続々と芽生え始めています。

りく(牧の方・宮沢りえ)が直接、源頼朝に直談判するシーンが出て来ました。
源頼朝が北条にも、比企にも、一定の疑念を持っている様子が窺われるも、「小さな盃」というりくの皮肉は、「器のちいせえ男ですこと…」っていう意味だったのでしょうね。

餅を喉に詰める鎌倉殿。
林の木陰で、久しぶりに北条政子と語り合う鎌倉殿。
「しみじみ押し」みたいなことで笑い合うようなシーンも、これで最後か。
まるで遺言のように、この先のことを託した源頼朝。

そう言えば「大御所になる」というセリフが出て来ましたね。
「大御所(おおごしょ)」で有名なのは徳川家康ですが、彼も将軍職を息子・秀忠に譲って「大御所」と呼ばれました。

もともと「大御所」は天皇の子・親王が隠居したときに呼ばれる名前だったそうです。
それがだんだん、摂政・関白の父親のことを指すようになってきた。

そこから転じて、「前将軍の居場所」を指す言葉になって来たんですね。
「居る場所」を尊称として用いるのは「陛下」とか「殿下」と同じです。

鎌倉時代には、朝廷にちなんで「小御所(こごしょ)」という居所も造られ、そこは次の世継ぎとなる子
の住居と定められたそうです。

芸能界などで大物・ベテランを指す「大御所」はもう、換骨奪胎なんの歴史的な意味も含んでいないということになります。単に家康の、「巨大権力を持ったジジイ」のイメージか。

 

わざわざ言わなくていい「大御所」というキーワードを出して、来年の大河ドラマ『どうする家康』を意識させる粋なはからい、というところなのでしょうか。

 

源頼朝の終わり

まさか鎌倉への帰路が安達盛長(あだちもりなが・野添義弘)と二人きりだとは思いませんでしたが、林道を進む途中、源頼朝に変が。

場所はここだそうです。

いろんな人がいろんな場所で「あの音」を聴く。
あれは「何かが終わる音」だったんですね。

落馬の原因はいったい、なんだったのか。

「落馬したから死んだのか」

「死ぬような状態だったから落馬したのか」

は実はずいぶん違うような気がするのですが、謎のままです。
やることまだまだたくさんあるはずなのに、本当に体調を崩しただけで死に至ったのか。

実際には年末に落馬し、年を越して亡くなったそうです。

というか、そのあたりの詳しい経緯は『吾妻鏡』にはいっさい書いていない。
13年後のページに突如、回想として現れる。思い出したように。

「源頼朝なくして鎌倉幕府はなく」なのに、そこをごっそり抜け落ちさせることの不自然さ。
もしかしたら書いておこう、という意見もあったのに、編者はそこを抜け落ちさせることにしたのか。

それとも「書いていないことで何かを悟る、後世の人たちに託す何か」がそこにあったのか。

 

 

今回の『鎌倉殿の13人紀行』は、ここでした。

旧相模川橋脚







-鎌倉殿の13人
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