「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」第46話『誰が為』先行カット紹介その2です。ジュリエッタによる妨害を止められなかった三日月。この表情とバルバトスルプスレクスは…。(制作P) #g_tekketsu pic.twitter.com/c4Pyn5wVRd
— 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ (@g_tekketsu) March 3, 2017
シノが死んで作ったチャンス。
狂信的にラスタルを慕うジュリエッタ。
あれを見るともう「洗脳されてる」と言ってもいいですね。
わざとあれを若い女性キャラにしてるというのはひょっとして「全部、言っちゃうね」な出家モード。
バエル(マクギリス)がキマリスヴィダール(ガエリオ)にやられようとした瞬間、石動(イスルギ)・カミーチェの乗るヘルムヴィーゲ・リンカーが割り込んで、身代わりにやられてしまいます。
なんでまず体当たりしないんだ、という感じもしないではないですが、遅かれ早かれ、っていうことですね。
そんな中、石動の命脈尽きるにしたがって、彼によっていわば「貴族と平民」について語られました。
あんた(ガエリオ)にはわかるまい…的な。
この「格差」こそ、「鉄血のオルフェンズ」のテーマというか、鉄華団が立ち上がった理由でもあったわけで、ここを解消しない限り、宇宙空間を含めて戦争は絶対になくならないんですよね。
そしてその解消は、解消について実行力を持っている側が常に「富」である限り、絶対にない。
さらにたぶん、完璧なるなんらかの力で貧富の差が一切なくなる世界になって(富が完全に平等に分配されて)も、新たなる火種はすぐに生まれる。
この愚かさというか人間の業というか文明の行き着く先というか、そこまで科学が発達して宇宙世紀になってても今とあんまり変わらないんだな、という印象を持ちます。
もしかするとそれがガンダム全てのシリーズに通底しているところ、なのですかね。
そこにするから…
しかし前々から思ってたんですが、今回の石動(階級は不明)の死で改めて思いました。
モビルスーツのコクピットを、腹とか、胸あたりに作るのやめた方がいいんじゃないですかね??
腹や胸は、銃撃や白兵戦で「まず、狙え」と言われている、標的として大きい場所です。
警察では命を奪わないために「足を撃つ」というマニュアルがあるそうですが、そんなことしてて撃ち返されたら取り返しつきません。
ドラマや映画では頭を一発で撃ち抜くなんていうシーンをよく見ますが、そんな最もよく動き、小さく、当たりにくい場所を狙うよりは「まず腹を撃ち、体を折らせて攻撃力を奪う」のが定石、のようです。
ということは狙われる側からしたら、頭部が最も安全ということになり、操縦席なんか別にどこでもいいんですから、せっかく人型ロボットなんだし頭にすればいいのに…と思うんです。
いや、マジンガーZとか、頭部に操縦席のあるロボットはたぶんたくさんあるんですけど、初代ガンダムはコアファイターという飛行機が胸と腰の間に挟まってそのまま操縦席になるというデザインで人気になったもんで、そのまま踏襲されているのかもしれません。
石動がガエリオに(モビルスーツの)腹を刺されて死ぬ、というのを見て、いやそれやったらもう人間と一緒やんけ…乱暴に思ってしまったのでした。
死には無駄と無駄じゃない、があるのか
いったん戦線が収束した鉄華団では「彼らの死を無駄にしないため」という言葉が飛び出ましたね。
これって、戦争モノではよく聞きますし、実際、日本がアメリカとの戦争に突入する際に、使われた言葉でもあります。
「これが出たらやばい」センテンスだと思います。
1941年、アメリカは中国からの完全撤退を日本にグイグイ求めます。
日本陸軍は恐ろしく強硬で「戦うべし」と常に言っていました。
負けるなんて、口にはできない状況。そんな中、昭和天皇は「この穏健な人ならそれを抑えられよう」ということで、東条英機を陸軍省に任命する。
でもその東条ですら、撤退を「支那大陸で生命を捧げた尊い英霊にたいし、絶対にみとめることはできない」と言い切ったのです。
つまり「同胞の死を無駄にはできない」ということですね。
勢いはわかりますし、「死んだことが無駄になる」と言われると、やっぱり死者の尊厳を傷つけるような感覚が、湧いてくるような気はします。
しかしその場合、戦争に負けてしまったら無駄もへったくれもないし、それを言っていた自分が死んでしまっては、無駄死にかそうでなかったかを伝える人間もいなくなってしまいますからね。
「死」に、「無駄」とか「犬」とかという、価値とか動物名を生者がつけてしまうことの危険性は、永遠に新たな紛争を生む原因の一つなんですね。
やっぱりアニメにゃ必須の要素か
少年達が集まっている鉄華団では、シノがヤマギに好かれている(それも友情以上のもの)状況が描かれましたね。
「身内でどうとかピンとこなくてよ」というセリフが、あまりにも普通に受け入れられている。
身内じゃなかったらピンとくんのかよ!!!
女性がほとんどいない空間、しかも戦場では、男色(男同士の恋愛や肉体関係)は古今東西、当たり前だったようです。
現代では当たり前ではないですが戦場という、命を賭けた毎日を過ごす中では、男同士のそういう関係は、信頼関係をより深くするためにも役立った。
戦場に女性がいると、「守る対象」になって気が散るというか、男性同士なら、恋人であり同時に自分を守ってくれる頼れる存在になる、という特殊な状況ですけどね。
日本の戦国時代から、それは当たり前だったらしいです。
徳川三代将軍・家光などは少年ばかり追いかけるから、周りに世継ぎの心配されてる。
ここから戦場は火星に映りますが…あの様子だとマクギリスはまだ、大きな隠し玉を持ってる感じですねえ…。