円山派の祖。
石田幽汀に師事し、30代半ばから「応挙」を名乗った。
玩具商の頃に携わった「眼鏡絵」と呼ばれる仕掛けからも影響を受けていると言われる。
応挙の絵は人気が高く、多くの門人を抱えた。
※足のない幽霊を描いたのは彼が最初である。
(“▽”)(“▽”)(“▽”)(“▽”)(“▽”)
斎藤孝監修。
自然、歴史、文学、科学・技術、芸術、伝統・文化、哲学・思想の7分野から、日本にまつわる365日分の知識を得よう。この本を読み、知ってるようで知らなかったことを初めて知りつつ、ああそうなのか〜なんて言いながらほんの少しだけ、メモのように書くことを1年間続けます。最低限「365ページある本を読んだんだ!」という事実が残るだけでも、価値はゼロではないはず。いわんや「教養が身につくかどうか」なんて、知ったことかと。
1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365