サンリオ(SANRIO) 寄せ書き色紙 応援 アイドルうちわ
たまたま発見したりすることって、ありますね。
10年くらい前の、ブログを発見しました。
他人の、です。
あるアイドルを応援して、団扇を作ってライブ会場に足しげく通い、曲を覚え、夢に共感し、体調を心配し、ライブの感想を書く。
応援している者同士のコミニュケーションやファンミーティングなどの記録にもなっていて、熱心な活動が、朴訥ながら、文章から熱気が見えるような、そんなブログ。
そういうブログが、10年くらい前に、ふっつりと更新をやめてる。
アイドルが急に辞めたのか、グループがなくなったのか、なんらかの幻滅があったのか、それともご本人の熱がなぜか、一気に冷めたのか、体調を崩されたのか…。
ブログの更新途絶からは、まったくその理由はわからないし、アイドルを検索したりもしないですけど、突然、刀を持ってばったと倒れたまま動かなくなったかのような、寂しさのような、むなしさのような哀愁が、ブログの残骸から匂い立つようだったのです。
その気で少し探すと、こういうブログ、無数にあるんですね。
すぐに探すのを辞めましたが、特に「これこれこういう理由で、ブログ更新をやめます」とも書かず、だからと言ってブログ自体を削除することもない、「真の興味喪失」なのか「興味の碑としての保存」なのか、あるいは「裏切った人への当てつけとして記録」なのかもしれない、応援の墓標。
当のアイドルがその時10代後半くらいだったとしても、もう10年たってますからそれぞれに、違う人生を普通に歩んでらっしゃるのでしょう。
そして応援してたおっさん(おっさんかどうかは知らんけど)も、10歳、年をとって、それなりのおっさん道を歩んでらっしゃるのでしょう。
そういう人らがもし、どこかでばったり会ったとしたら(お互いに家族と一緒だったりして)、どういう反応になるんですかね。
例えば観光地で、長野の善光寺さんで並んでる時に前後になって、「ああ!」とか「おおお!!!」とか、それなりに特殊な感情になるはずですよね。
だけど家族の手前、お互いに「無視」なのかな。
ライブや物販で身近な接点を持つタイプの活動をしてたアイドルならば、常連となって来てくれてた人の顔は10年経っても覚えてるだろうし、だけど「忘れてるフリするのも礼節」みたいなところが、あったりするのかな。
ぐぐぐぐ…とか、お互いに、我々では想像し得ない感情が、こみ上げてくるんだろうか。
ブログのリンクを貼ったりはしないですけど、あんなに写真も文章も熱かったのに、ハタと更新が止まって無言が10年続いてるブログ、これは「廃墟」を見た時に似た感情、なんですかね。
ここに、人の営みがあったんだなぁ…という。
もちろん、画面での表示は綺麗なブログなんですけど、ブログパーツとか、「カウンタ」とか、それなりに「朽ちてる」わけです。
言葉遣いとしても、やっぱりなんとなく古さがある。
人が住んでないと家は急速に傷む、みたいな感じで、更新する意欲がそこに宿らないと、ブログも傷む、んですね。