シリーズ2作目。
なんと舞台は大阪へ。
大正9年。
主題歌は、村田英雄か。
俺が死んでも夕陽は紅い
泣いてくれるな夢だもの
春にそうこと野末に散ろうと
抱いて行こうぜ思い出だけは
「春にそうこと」って聴こえるんですけど、文意からすると「春咲こうと」なのかな。
わからない。
冒頭、大阪港で「残り物だから」とむし饅頭をディスカウントしてくれた女性がいるんですが、代金は「2銭」。
わざわざ「浪花編」を作る必要ってあったんですかね。
そう言えばゴジラも、第二作「ゴジラの逆襲(1955年公開)」では、大阪に現れました。
第1作「ゴジラ(1954年公開)」では丁寧に東京を壊し回ったのに、第二作は「浪花編」だったのです。
そして第三作はキングコングと激突し、第四作で名古屋に上陸します。
そういう日本の名所を巡るとなんとなく良い、っていう常識が、どこかにあったのかもしれません。
大阪弁という方言が持っている情緒、みたいなものが、まだとてもあった時代。
あまり今は使われない大阪弁が出てきて、こんなの意味わかるのか?っていうところが出てきます。
いきなり「けなるいワイ」なんて言われても意味わからないですよね。
私はたまたま知ってましたけど、リアリティがありすぎて無視するしかない。
けなるい=うらやましい、みたいな意味です。
それにしても今作も、長門浩之がとても素晴らしいわけです。
氏は京都のお生まれだったのですね。
大正9年(1920年)といえば、第一次世界大戦が終わって2年後。
直接的に戦闘には参加しなかったものの日本は5列強の一つに名を連ねるまでになり、翌年には「四カ国条約」
を米・英・仏と結ぶことになります。
太平洋での権益を広げ、中国にもどんどん進出する日本に、裏では欧米で「日本脅威論」が広がっていき、太平洋戦争につながっていくわけですね。
そんな時代ですが、今は戦勝国として好景気に沸いている背景があります。
湊町・そして商都である大阪は、活気があったでしょうね。
藤川宗次(高倉健)は大阪弁ではなく、横浜の人。
「松島遊郭」が登場します。
今でも健在の「新地」という言葉、「そんなものはない」という建前で「ちゃんとある」本音がビシッと息づいている好例です。
大阪新地の遊郭とは?五大新地を調査!値段や遊び方おすすめまとめ!
https://travel-noted.jp/posts/5229
死んだ弟を探してきたけれど、働くことにした藤川宗次(高倉健)。
そして知ることになる、沖仲仕の仕事を仕切る港湾事業に関する、ヤクザ達の暗躍。
いわゆる日雇い人夫を集める和田島組と、悪辣な淀政組の衝突。
この義侠心ある仲仕である和田島義雄が、村田英雄なんです。
もともと九州の人なので、博多弁っぽい感じがしっくりきてます。
村田英雄はこの「日本侠客伝 浪花篇」が公開された1965年を含め、1961年から1989年まで、連続で紅白歌合戦に出場しています。
1965年(昭和40年)は「柔道水滸伝」を歌ってるんですね。重厚で壮大なイントロ。意外とキーは高いのね。
そうか…「東京オリンピック」が前年、1964年なんですよ。
気運としては2020年よりも、スポーツそのものが大流行だったんでしょう。
やはり無理を通そうとする新興勢力と、古い体制ながらまず、筋を通す人たちとの争い。
好景気で仕事はいくらでもあるがゆえに、ピンハネして労働者から搾取する悪い資本家が出てくる。
セリフとしても
大変なのは港だけやない。日本全体が大きく揺れてるんだよ。近頃の新聞見たやろ。中小企業の倒産。失業者の増大。これは全てやな、私利私欲をむさぼる政治家の腐敗が根源なんや
というのが出てきます。
ドラマ設定の時代は大正時代の後半ですから、シベリア出兵にまつわる世情不安から米騒動が起こるというような、不穏な世の中の流れも汲んであるんですね。
そしていわゆる「大正デモクラシー」な場面も出てきたりします。思想・主義が世界を変えるのだ!と燃えてる人らがたくさんいた。
もうじきロシア革命からの流れでソ連ができて、共産主義傾向への締め付けも強くなってくる、というご時世も、少しからんでくるわけです。なにせこの頃まだ、普通選挙も行われてませんからね…。
第一回普通選挙は昭和3年(1928年)。女性が国政参加を認められるには、第二次世界大戦の終了を待たなければなりません。
だいたい、大正〜昭和はじめのヤクザ稼業が舞台の映画って、主要な女性が「女郎」「芸者」「女中」として登場するんです。ヤクザを支える、ヤクザと惚れあう、悲恋の対象となる、のはいつも、少し悲しい身の上の女性。悲しくも黙って男を見送る、そういう女性像が、昔はあったんですね。
後半、 新沢組に冬村(鶴田浩二)が5年ぶりに戻ってきたんですが、やっと返ってきてれた自分の男なのに、千代(南田洋子)は自分が苦界に身を沈めた我が身を恨んで
南田洋子は長門裕之(仲仕の川上寅松)の奥さんですが、大阪弁が上手い。
鶴田浩二も上手い。鶴田浩二は兵庫県西宮市出身。
南田洋子は東京の三田出身。ええ?すごい、上手すぎる。
長門裕之と結婚したのが1961年だそうなので、そこから大阪弁については普段から染み込んでいったのかもしれませんね。
こういう、大阪が舞台の場合、言葉のイントネーションが気になるのは関西弁の人らだけ、なんですよね。残念ながら、名演技、の中にある迫力ある大阪弁、という意味では、アウトレイジとかもダメなんです。そこは「言わない約束」みたいになってますよね、そんなのもうどうでもいいじゃない、みたいな。大阪出身の人すらもおかしくなってたりする作品があったりして、なかなかどうして、方言指導の人も大変ですよね。逆に、まったく普段からなじみのない土地が舞台のフィクションだと、微細はわからないから気にならない。
2019年、NHK朝の連続テレビ小説「なつぞら」を見てましたが、北海道の言葉、ぜんぜん気にならないもんね。
ムショ暮らしを終えた冬村に、自分のことはもう忘れてくれと嘆願する千代(南田洋子)。
侠客としての主人公・藤川宗次(高倉健)は、地元の人ではないので今回、悲恋と親との義理の間で悩む役回りは、冬村(鶴田浩二)が受け持つことになっています。
冬村(鶴田浩二)は、愛する女を殺したのが自分の親分であることを知り、親分を殺害。
同じ場所に襲撃に来ていた藤川宗次と共に、覚悟を決めて縛につきます。
その前に、二人で屋台で酒を酌み交わすことに。
その屋台のオヤジが、あの藤山寛美、なのです。
鶴田浩二、高倉健の二枚目スターが居並ぶところで、絶大なる大阪色を出して「終」。
なんとなく今回は、高倉健が「義理を果たしたことに苦しんで怒り爆発」という感じではないんですよね。
義理人情を語る「浪花節」、それが浪曲となり、名手となった村田英雄。
そういう流れで、浪花編、としてまとまったのかも知れませんね。
子供の頃は、「浪花節だよ人生は」という文の意味がさっぱりわかりませんでした。
「8時だよ全員集合」みたいな感じ?何これ?って思ってました。
今、歌詞を検索してみましたけど、やっぱりよくわからないや…。
ーシリーズ11作ー
第1作『日本侠客伝』1964年8月13日公開
第2作『日本侠客伝 浪花篇』1965年1月30日公開
第3作『日本侠客伝 関東篇』1965年8月12日公開
第4作『日本侠客伝 血斗神田祭り』1966年2月3日公開
第5作『日本侠客伝 雷門の決斗』1966年9月17日公開
第6作『日本侠客伝 白刃の盃』1967年1月28日公開
第7作『日本侠客伝 斬り込み』1967年9月15日公開
第8作『日本侠客伝 絶縁状』1968年2月22日公開
第9作『日本侠客伝 花と龍』1969年5月31日公開
第10作『日本侠客伝 昇り龍』1970年12月3日公開
第11作『日本侠客伝 刃』1971年4月28日公開
…2020年は「仁侠ものチャレンジ」に取り組むのでござんす。
Amazonにて行末万端よろしくお引き立てを、願います。