本作を含めて、「日本侠客伝」シリーズはあと2作となりました。
10作目を数え、ついに公開が1970年代に突入します。
もはや、時代が変わってきた感、すごかった時だと思います。
平成→令和とは全然違う、「昭和の盛り上がり」。
なにせいったんゼロに帰した敗戦から、あとは昇るだけ、という勢いがついていた時代の日本です。
高度成長期。
80年代に入ると「バブル景気」とのちに言われる、空前の好景気がやってきます。
それは「バブル」だったので弾けたわけですが、そこからずーっと「不景気」なんですから参りますね。
だけど、70年代の映画とかドラマ見ていても、セリフとしては必ず「このご時世だから」とか「こう不景気だと」っていうのが出てくるんですよね。
好景気を感じている人、はやっぱりいつも一部で、恩恵はあるものの、やはりかなりメディアに煽られた、それプラス後付けの、印象操作だったんじゃないかな…とも思いますね。この映画の中でも「この不況の時代にそんな大金が出せるか」というセリフが出てきます。結局「不景気」はずーっと変わってないんじゃないか、なんて。
作品の舞台は大正の半ばごろ。
大将時代は15年しかないので、6年(1917年)〜8年(1919年)ごろですかね。
主人公は、若松でゴンゾをやってる、玉井金五郎(高倉健)。
あれ?前作「日本侠客伝 花と龍」も、玉井金五郎でしたよね。
しかもゴンゾ(石炭仲仕)をやってる。
そうなの?ここへ来て、10作目は「続編」なの?
そう言えば彫り師で博打の胴を取れる、お京(藤純子)もいますね。
それにしては、初対面っぽいぞ?
前作では、玉井(高倉健)の方に「龍と菊」を掘ったのはお京、でしたよね。
温泉場の賭場でイザコザに巻き込まれ、直後に入浴してるシーンでは、その右肩は映し出されません。
通常ではない、不自然な角度での入浴シーン。
すぐには「続編か?」の答えはくれない。
揉め事の報復で道端で刺され、お京に救われる玉井。
おそらく、「輸血」してるシーンがあるんですけど、あんな感じだったのか…。温泉旅館で輸血…。
血液型もちゃんと合致してたんですね。超のつく奇跡。
日本輸血・細胞治療学会のサイトを見ると、血液型の発見は1900年。ウィーン大学のランドシュタイナーによります。それまでにも、血を他人に投与する方法はあったけれども、それで救命できた例は極めて少なかった、と。そりゃそうですよね。血液型も合ってないし、それ以外の病気も直接的にうつるし、なにせその輸血現場の衛生面が心配です。
輸血の歴史
http://yuketsu.jstmct.or.jp/general/history_of_blood_transfusion/
1900年に血液型(今日のA、B、O型に当る)がオーストリアで発見されてからまだ、この温泉旅館まで17年くらいしか経ってないんですけど、大丈夫だったんでしょうか。大丈夫だったんでしょう。
ここで「感染症にて玉井金五郎・死亡」とかにはならないですからね。
衛生面も完璧、血液型もバッチリ。
違うサイトを見ると、日本初の輸血成功は、九州大学外科、そして東京大学外科。
大正8年(1919年) 、だと書いてあります。
消化器・総合外科(第二外科)の歴史は…
http://www.kyudai2geka.com/html/shokai/shokai.html
ウィーン大学での初の成功。
この「日本侠客伝 昇り龍」が、同じ大正8年(1919年)だとすると…。はや数ヶ月のうちに、輸血は「町医者が」「デリバリー形式で」「温泉宿の一室で」「見知らぬ男女の間で」行えるほどになっていたのか…ニッポンの医学恐るべし。この辺り、公開当時(1970年)も医療関係者は、「いやいやいやいや!!おいおい!!」って言ってた人、いたでしょうね…。
さすがにそれは無茶ばい!!って。
2人の会話の中で
「あんた刺青師やったとな」
というのが出てきます。「あんたの体で、一度思いっきりの仕事がしてみたい」と言うということは、玉井とお京に面識はない。
この「日本侠客伝 昇り龍」は、前作「花と龍」の、続編ではなかった!!!
なんでしょう…前作にあった、彫り師の女が、惚れて報われない男の肌に彫り物を入れる…というところに、えも言われぬエロチシズムがあったのですね。そこに観客はグッと来たと。手応えあったんでしょう。
抜けるように色の白い藤純子と、塗り込めたように色の黒い高倉健の対比。
比喩としての、感情の交換。キスシーン一つない仁侠モノの中に、エロスを感じさせる設定です。
そして「龍が持っとる玉、菊の花に変えることはできんやろか」と玉井(高倉健)は言います。
そこ、前作「花と龍」とまったく一緒ですね。だいたい図案というのは、龍と言えば玉、と決まっているんですよね。松に鶴、紅葉に鹿、みたいな。そして「左肩に昇り龍、右肩に下り龍」で一対、なのだそうです。
左肩が完成した時点で地元に戻り、紛争をとりなそうと奔走する玉井。
友田(天津敏)率いる友田組と、出入りになってしまいそうです。
そんな中、様子を見に来たお京が、島村組に仁義を切るシーンが出てきました。
夜中(やちゅう)、伺いましてごめんください
火急の用件にて、ご当家、島村の親分さんのご高名になびき、推参いたしました。
地元の女親分・島村ギン(荒木道子)に、仲裁をしてくれと願い出たのです。
これは、刺青を入れてる途中の、惚れた玉井を守るための、一命を賭しての行動。
この「日本侠客伝」にはポイントとして「義理」と「悲恋」が出てくるんですが(悲恋は無いパターンもあるけど)、今回はお京にクローズアップされています。前回も書きましたが、この時期、すでに「緋牡丹」シリーズで大人気になっていた「女侠客」ならびに藤純子、「客を呼べる」という判断のもと、比重が重くなっているのは当然と言えるのでしょうね。
島村ギンの仲裁で、とりあえず喧嘩はおさまることに。
しかし手打ち式が再度、揉めかけたとき、「吉田先生」(片岡知恵蔵)が現れます。
吉田先生とは吉田機青。
前作「花と龍」で、若山富三郎が演じていたあの、重鎮ですね。
おそらく、この若松地域選出の、国会議員…っていう感じだと思われます。
そもそも友田と玉井の抗争は、石炭を荷揚げする仕事をしているゴンゾたち(石炭仲仕)の仕事場に、「炭積機」を導入しようとする友田の思惑から始まっています。
当然、人力で石炭を積み込む仕事である石炭仲仕たちは失業する流れになり、それを団結して食い止めようと、玉井は組合を作ろうとしていたのです。
探してみると、絵葉書資料館に、「炭積機」の写真がありました。
kyw945-Wakamatsu Port 炭積機 若松港
https://www.ehagaki.org/shopping/eaja/eaja_a10/eaja_a10_a40/eaja_a10_a40_a5/eaja_a10_a40_a5_a4/64041/
しかも「若松」と書いてあるので、まさにこの映画の舞台です。
こんなものが導入されたら、そりゃ人力の効率とはまさに桁違いになってしまいますよね。
産業が発展していく中で、現在の我々からすると、資本投資をして新規に事業を拡大していく…という観点で、友田(天津敏)の方が正しかったりするんです。どっちにしても早晩、石炭産業自体が、石油の安定供給によってほぼ、無くなってしまうわけですが。
大親分である吉田機青(片岡知恵蔵)の鶴の一声で手打ちは無事に終わりますが、やはり遺恨は残ります。その場で島村ギンから渡される、お京からの「下り龍の図案」。渡世の義理で去ることになり、お京は九州を離れます。間に合わなかった玉井金五郎(高倉健)。
東京浅草ではこのあと、お京は東京で、やさぐれて暮らします。病にも。
九州のみならず、おそらく全国の港湾で大きくなっていったであろう「ゴンゾ問題」、小倉(こくら)の侠客・島崎勇次(鶴田浩二)も加わって、怒りと恨みは友田組に向かいます。単身、交渉に向かう玉井。ピストル持って。かつてなかった形での殴り込みに発展します。
日本刀を奪い、友田組事務所で大乱闘になります。
高倉健の仁侠モノの、大立ち回りの魅力は、「ぜんぜん軽々しくない」というところではないでしょうか。なんか、しんどそうなんですよね。悲壮感、と言えばそういうことなんですけど、決して剣の達人というわけではないし、暴れん坊将軍みたいに、バッサバッサ、という感じでもない。もつれながら、苦しみながら、自らも斬られながら、なんとか目的まで進んでいく。
とどめを刺す直前、先生こと吉田機青がまた現れます。
友田は子分なので、許してやってくれんか、と。
重鎮吉田先生が、ギリギリの調停に応じようとしたのは「命を捨てて嘆願にきた、1人の女性のおかげ」だったのだそうです。
代議士・吉田の力なのか、警察も来ず、玉井も逮捕はされない。重鎮すげえ。
またしてもお京(藤純子)の働きだったのです。
最後に「下り龍を入れる」という目的は果たそうとするお京。
しかし病には勝てず、お京は絶命。
朝日の昇る頃、お京の描いた図案が、湾に沈みます。
今作は、今までのように「大暴れ→復讐→逮捕→収監」みたいな血なまぐさい結末ではなく、悲恋と情愛の、ロマンチックな終焉です。
悲しみとはかなさ、移りゆく時代には抗えない人たちの哀愁。
それらを感じさせる、シリーズ屈指の作品と言ってもいいかもしれません。
やはりパッケージを見ても分かる通り、藤純子の比重。
そして人物設定としての、実在モチーフであるところの、「玉井金五郎」の人気。
次回はついにシリーズ最終回、「日本侠客伝 刃」ですよ。
ーシリーズ11作ー
第1作『日本侠客伝』1964年8月13日公開
第2作『日本侠客伝 浪花篇』1965年1月30日公開
第3作『日本侠客伝 関東篇』1965年8月12日公開
第4作『日本侠客伝 血斗神田祭り』1966年2月3日公開
第5作『日本侠客伝 雷門の決斗』1966年9月17日公開
第6作『日本侠客伝 白刃の盃』1967年1月28日公開
第7作『日本侠客伝 斬り込み』1967年9月15日公開
第8作『日本侠客伝 絶縁状』1968年2月22日公開
第9作『日本侠客伝 花と龍』1969年5月31日公開
第10作『日本侠客伝 昇り龍』1970年12月3日公開
第11作『日本侠客伝 刃』1971年4月28日公開
…2020年は、「仁侠ものチャレンジ」に取り組むのでござんす。
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