「ソクラテス以前・ソクラテス以後」と区別されるほどのソクラテスでさえ、没年は紀元前399年。
つまりわかっているだけでそれくらい前から、現象、目の前で起こっていることと「それ自体」の持つ本質は違うことに賢者は気づいていて、その懐疑的な姿勢と模索は、今に至るも続いている。
昔の人たちのものの捉え方(タレスは万物の根源は水ではないかと考えた、など)を、非科学的で迷信に満ちたもの、と言いすてるというのは実は、とても非科学的な考え方だと言わざるを得ない。
科学は、我々人間の目に「光の三原色を感知する能力があるから」こそ、色の全てがその三原色を元にして見えるということを発見した。
逆に言えば、「三原色を感知する能力しかないから、世界が、こんな風にしか見えていない」とも言える。
生まれた時にはすでに科学がそれを裏付ける証拠を与えてくれていて、我々はそれを当たり前のように享受している。
今でいう科学のカの字もない時代、「今目の前にあるこれらの物たちの、真実とはなんぞや」と思いつき考え出した人たちは、やっぱり偉人なのだと思う。その「思考」こそが、当時は「科学」と呼ばれるものだったのだろう。
(“▽”)(“▽”)(“▽”)(“▽”)(“▽”)(“▽”)
1日1個、一年続けたら自動的に少しだけ賢くなるんじゃないか実験。
デイヴィッド・S・キダーとノア・D・オッペンハイムのベストセラー。小林朋則氏訳。
歴史・文学・芸術・科学・音楽・哲学・宗教の7分野から、365日分の知識。
この本を読みつつ、知ってるようで知らなかったこともちゃんと知りつつ、ああそうなんだね~なんて思いながら、少しだけ書くことを続けます。最低限、「360ページ以上ある本を読んだ」の事実が残れば、それでいい。
「教養が身につくかどうか」なんて、知ったことか。
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365