カエサル※wikipediaより
慣用句として「ルビコン川を渡った」という表現を、聞いたことありますか。これは、ことわざみたいなモノとして、映画にも出てくるし、評論家も使うし、報道番組でも出てくることがあります。
もう後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行動を起こすこと
を言うそうです。
たぶん昔のことだし、川がいろんな境界線になってた時代、もう川渡ったら戻れないよ、っていうくらいに大事な戦線で…っていうイメージを持ってました。
確かに、それは正しかった。
ルビコン川という川があって、それを決行したのはカエサル。ユリウス・カエサル。英語読みで言う「ジュリアス・シーザー」です。紀元前の、イタリアの人。
グーグルマップで見ると、「ルビコーネ川」として表記されます。
ルビコーネ川
そんなに大きな川では、ないですね。
このルビコン川を渡ることが、どうしてそんなに「後戻りはできない」ことなのか。
その故事の内容を知らずに「ルビコン川を渡る」と言う表現だけを知っている人は、いまだに「イタリアの人だし、川を渡って後戻りできないんだから、イタリア→イタリア外という“渡る”なんだろう」と、思っているはずです。
いや、かなり多くの人が「戻れない渡川なのだから」、この「渡る」は「国内→国外」だと思ってるのではないでしょうか。
逆でした。
なんとこの「ルビコン川を渡る」は、「国外から国内へ」というパターンだったのです。
いやぁ、知らなんだ。
というかたぶん世界史の授業でも習ってもない。記憶にはない。
カエサルは、ローマの最高司令官として、国外で戦いまくってたんですね(ガリア戦記)。
で、戦って戦って、何年も帰らないうちに首都では「あいつはやりすぎだ」「放っておくと独裁者になるぞ」という反対派の声が大きくなってきて、「ローマへ帰ってきたらダメ」と言われてしまうんです。せっかく何年も、ローマのために戦ってきたのに、多くの兵士を抱えて、カエサルは「そんなわけにいくかハゲジジイども」と、帰国を決めます。
国境を越えて入ったら法律違反だぞ、という最後通牒(セナトゥス・コンスルトゥム・ウルティムム)を突きつけられた後なので、「この川を越えたらもう、そういうことだぞ!!」という決意が必要だったんですね。
当時、ルビコン川が、国境だったということです。
ちなみに、当時カエサルらが渡った川の位置はハッキリと判明はしていないようで、イタリアではいまだに論争の対象になっているようです。日本でいう、邪馬台国の位置、みたいなモノですねw
さらにちなみに、カエサルが「ルビコン川を渡った」のは紀元前49年。
卑弥呼がいたとされる邪馬台国の治世は『魏志倭人伝』に載ってるくらいですから中国に魏があった時代。ということは西暦220年〜265年くらいの間でしょうか。日本人からするともはや神話と混じってるくらいに感じる昔ですよね。それよりさらに250年くらい前だっていうんですからローマすげえ。
「古事記」なら紀元前49年は、崇神天皇の治世。9代目までは「人皇」とは言わず、神話なんじゃないかと言われている時代です。やっとこの崇神天皇くらいから「実在してたんじゃない?」と言ってもいいんじゃないか、という研究結果になってきているレベル。
この気持ち、たまに「三国志」を見たりしても思うんですが、日本の古代と西洋・中国との、古代の文化レベルの差。そして現代における西洋・中国との、日本の文化レベルの並びよう。それはつまり、明治維新からの日本のスピード感。
それにしても、語り継がれる歴史にしてはちょっとモチが良すぎませんか「ルビコン川を渡る」。
川を渡る、よりすごい移動って以後、あったはずなんだけど、廃(すた)れずに
もう後戻りはできないという覚悟のもと、重大な決断や行動を起こすこと
が、「ルビコン川を渡る」で現代でも表現できるという連綿。
渡ったのち、カエサルは国内を制し、スペインへ行ったりギリシアへ行ったりエジプトへ行ったりして、ローマ皇帝になるわけです。クレオパトラと旅行とかしてた。
国内⇄国外どっちだって同じだよ、っていうことはないよな…最近驚いたことの一つでした。
「ルビコン川を渡る」は、国内に入る時の決断を指す、のです。
↓これ読んで、ようやく知りました(;^_^A