風味絶佳.山陰 ホタルイカ(生冷凍)約1kg(約250g×4パック) 山陰沖産 ほたるいか
子供のころから、不思議に思っていることがある。
「ニワトリと卵」ではないが、それらを並べて、少し考えてみる。
5つあるので順番に。
1つめ、飛行機と紙飛行機。
紙飛行機は、紙を使い始めた時代からあると考えても不自然ではない。
紙で作る飛行機。
じゃあ飛行機が開発されるまでの間は、なんと呼んでいたのだろう。
有名なライト兄弟が有人飛行をしたのは1903年らしい。
まさか紙飛行機が、それ以降に考え出されたなんてことはないだろう。
最先端の工学と技術を用いたその映像を見て、「おお!同じようなものを紙で折ってみよう!」なんて思いついたわけではないだろう。
電気自動車だって、自動車があって初めて「動力を電気にしてみよう」と考案されるんだし。
その順番でないとおかしい。
しかしここでまた、ややこしい事実にぶち当たる。
ライト兄弟の実験における、「有人飛行」という言い方だ。
有人飛行ということはその前に無人飛行があるわけで、紙飛行機も無人飛行の一種だとしたら、飛行機が開発される前からそう呼ばれていてもおかしくないことになる。
しかし「機」というのはやっぱり腑に落ちない。
紙で作って「飛行機」と呼ぶからには「機械を模した」という意味が付加されていると考えるのが自然だろう。
そうするとやはり、「紙飛行機」という呼称は、飛行機が開発された後に一般的になったと考えざるを得ない。
紙の発明は紀元前2世紀ごろの中国だと言われているが、そんな頃に、自由に紙を折りたたんで飛ばすという遊びが出来るほど庶民に普及しているわけがないので、紙飛行機はさすがに一般的な遊びではなかったはずだ。もちろん空を飛ぶ機械など想像すらしたことがなかっただろう。
1903年を待つ間、つまり約2000年の間、人類は紙を折りたたんだあの形を「鳥」と呼んでいたのかも知れない。それがいつ「飛行機」を襲名したのか。
謎である。
2つめ、不動産と動産。
土地・建物など(定着物と言う)のことを不動産と言う。
動かせない資産、という意味で一般的によく使う言葉だ。
対して、現金・商品など、不動産以外の資産のことを「動産」と呼ぶ。民法第86条で定められている、しっかりした定義だ。
逆に言えば、土地・定着物でないものはすべて「動産」だ。
家電も楽器も食器もペットも「動産」である。
不動、はそのまま「動かない」という意味だが、それが動かないかどうかは「動く」状態のものを知っているから判定できることのはずだ。
あ、これは動く。あ、これも動く。お?これは動かない。
まず「動く」が基本になって、それが「不」の状態だから「不動」となる。
なのに民法ならびに我々の常識が「動く」と判断するものは現金・証券・家電・楽器・食器・ペットなど、すべて「土地より後に生まれた物」なのである。
土地ほど動かないものは地球上にないのだから、土地というものはそもそも「不動」で、「動」の方が奇抜で特殊のはずなのに、だ。
動産より先に不動産という概念が生まれたとは考えにくい。
人類は常に土地を奪い合ってきたのではなかったか。
例えば「定産(さだまった資産)」などという言い方があって、現金や証券などが「不定産」などと呼ばれるのならば、順序として正しい気がする。
3つめ、ホタルイカと蛍。
「蛍のように光るホタルイカ」。
我々は自然にそう解釈しているが、順番は合ってるのか?
「ホタルイカのように光るから蛍」ではないのか?
ホタルイカという名前は明治時代の生物学者・渡瀬庄三郎が名付けた。それまでは「コイカ」や「マツイカ」と呼ばれていたらしい。
光る属性を全無視した大胆さに驚くばかりだが、昔は全国的に、食べるような食材ではなかったようだ。地元で消費される以外は、長距離輸送が難しいので広く知られることもなく、松を育てる肥料として利用されていただけだった。だから「松イカ」か!!
昆虫の蛍は伊勢物語で、在原業平(ありわらのなりひら)の歌にその名が出てくるくらいなので伝統的に、平安時代までにはみんなそう呼んでいたと思われる。だからゲンジボタル・ヘイケボタルと名付けられたことにも納得がいく。源三位頼政(げんさんみよりまさ)の亡霊の表現として蛍の光を充てた、という説や『源氏物語』の主人公・光源氏(ひかるげんじ)から「光る」をいただいて命名したなど、諸説ある。
どうやらそのラインで、「ヘイケ」の方は「ゲンジ」からの後追いしたようだ。
とにかく厳然と、蛍→ホタルイカの順番であることがわかる。
その時間差は、約1000年である。
紙と飛行機ほどではないが、相当の隔たりがある。
さて、ホタルイカは生物学的分類としては「ホタルイカモドキ科」に属する。
本家ほんもとのホタルイカが、なぜ「モドキ科」なのか。
逆ではないのか。
まずホタルイカがあって、それに似ているからホタルイカモドキというのではないのか。ホタルイカがいない状態で、急に「あっ、ホタルイカモドキだ!」と思いつく人がいるだろうか。
実はホタルイカモドキというイカが、本当にいる。
ホタルイカに混ざると噂のホタルイカモドキを捕まえたいhttps://dailyportalz.jp/kiji/hotaru_ika_modoki
なんと
「ホタルイカモドキ科」には、
・ホタルイカモドキ属
・ホタルイカ属
・ニセホタルイカ属
・ナンヨウホタルイカ属
がある。
「モドキ」の他に「ニセ」までいるのだ。
「ナンヨウ」のなんとも分類っぽくシレッと紛れ込んでいるそのたたずまいにも逆に腹が立ってくるが、ホタルイカモドキはホタルイカとして流通してしまっていることすらあるらしい。
日本での発見の順番はホタルイカの方が先だ(1905年)。
1914年に似た種類のイカが見つかった。
これにホタルイカモドキと名付けた。
うん、この順番は合っている。
しかし、実はそれらより先にヨーロッパ沿岸において、ホタルイカに似た光るイカが発見されていたようなのだ。その種は、ホタルイカよりもホタルイカモドキに近かったのだという。生物の分類は学問の主流だったヨーロッパルールに従う、ということで、先に見つかっていた「モドキ」が上位になった。
そう考えると、地域も違うのに「モドキ」をつけられた方は迷惑だろう。
それぞれ和名なので、日本でしか通常、使用されない名前だとは思うが。
生き物そのものに「ニセ」も「モドキ」ありはしないが、「ホタル」を冠すること自体がそもそも「もどき」のような気もする。
4つめ、自由と不自由。
自由とは、何かから解き放たれ、縛りがなく、自分の意思のみに従える状態や考え方のことを言う。
不自由はその逆だ。精神的・肉体的苦痛を伴うイメージがある。
これも「不動産と動産」の関係と同じく、「先にあるのは不がついてない方」と考えるのが自然だ。
自然があるから不自然がある。
可能があるから不可能がある。
人情があるから不人情がある。
なのになぜか、この場合だけ
不自由があるから自由がある。
のような気がしてくるから不思議だ。
自由とは解き放たれ、求められ、本来の姿だとされるものの、「まず不自由があるからこそ」と規定している気がする。
「自由度」は、不自由というがんじがらめの中でどれくらいもがいて、縄をゆるめる努力をするかという尺度として語られる。
おかしいではないか。
まず自由があって、それがままならない状態を不自由と呼んでいればいいはずなのに、人間はこの苦しみ(不自由)と戦い、解放(自由)を得ねばならないのだ!という理念のもと、暮らしているような雰囲気すらある。不自由を我慢しているからこそ、休日や余暇には自由に過ごせる、オン(不自由)があるからオフ(自由)がある、とでも言わんばかりだ。
例えば、まず不自由を「定型苦」とでも名付けて、自由を「不定型苦」と呼ぶならば、生まれながらに抗いたい苦しみ(定型)から個々人の努力と工夫と意欲で不定型なものに変えていける、と理解ができる。
そもそも自由であるのか、そうでないのか。
生物としての限界から、やはり不自由から始まっているような気もする。
そもそも人間は自由なものなのだ!と粋がってみても、しょせん生まれた瞬間から自分では何もできない状態なのだから、そもそもも何もない。
説得力はゼロなのである。
5つめ、軍艦と軍艦巻き。
紙飛行機と飛行機…の関係のように見えるが、これには明確な答えがある。
「軍艦巻き」は銀座久兵衛で考案された。
昭和16年頃だと時期までわかっている。
昭和16年は太平洋戦争が始まった年である。
その前後だとしたら、日本は戦争に負けたことのない列強の一部として、アメリカに挑もうとしていた頃だ。
景気良く「軍艦」と名付けたことも納得がいく。
北海道からやってくる常連客がウニやイクラを持参したことから、食べやすい形として考えだされたそうだが、今では定番となった当主・今田寿治のこの工夫も、「ゲテモノみたい」と酷評されたことがあったそうだ。
本日は以上です。