見たもの、思うこと。

小山田騒動を蒸し返す〜煽ったイナゴどもは平然と次の狩場へ〜

投稿日:2023年3月7日 更新日:

小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える (集英社新書)

 上掲の書は、片岡大右氏の労作である。

この本に書かれていることを日本語として理解できれば、あの騒動と誹謗中傷がいかに奇妙でひどいものであったかがわかる。
誹謗や中傷に加担した人間に良心というものがあるのであれば、エンコを飛ばして詫びたくなってくるのではないだろうか。

 

【以下、敬称略】

本書の後半に記されたこの文が、すべてを端的に、その経緯を表してくれているように思う。

回想の一部が無惨に切り取られ、匿名掲示板に集う人びとによる悪意に満ちた拡散の果て、際立って恣意的なあるブログ記事が不当な信頼を得たことで、小山田圭吾の歪曲的な人物像が広範囲にわたり共有されるに至った。(p.243)

結論から言えば、小山田圭吾の「悪質ないじめ加害」は嘘であり著しい誤解でありそれを事実のよう語ってしまった本人のせいであり、それらは誰しもにある思い出したら頭を抱えるような情けない過去であり、その嘘を思惑を込めて世に放った「ロッキング・オン・ジャパン」のせいでありその他編集者らのせいであり、間違った方向に拡散して加害感情を慰めたブログオーサーのせいであり多くのネットイナゴたちのせいであり反政府活動を正義と信じて疑わない「オリンピック潰し」たちのせいであり、決して「五輪音楽担当解任」「音楽活動中断」「デザインあ降板」に値するようなことではなかった。

いまだに「小山田圭吾ってヒドいイジメの加害者だったらしいね」という文言のみが頭に響いているのは情報弱者であるとさえ言える。
無知であり蒙昧であり人間に対する深い考察ができない不誠実な人間であり自己の日常においての不平不満が他人への物陰からの攻撃で解消されると信じ込んでいる、ただの思考能力の低い卑怯者である。

ザ・インフォデミック

2021年、新型コロナで延期になった東京オリンピックの音楽監督に就任した小山田圭吾が、「昔、ひどいイジメをしていた」という情報の拡散とともに解任、音楽活動も中断、「デザインあ」からも降板することになった。

昔の「いわくつきインタビュー」が当然のように掘り起こされ、2021年になって主に初めてそれに接した人たちから「そんなひどい男を、世界的なイベントで、公的な立場につけるなんて!」「表立った舞台にいること自体がおかしい!」という文脈で、凄まじいバッシングが起こった。

見事なほどに、美しいとも皮肉を言いたくなるほどの典型的な「エコーチェンバー」が起こったのだ。

エコーチェンバー現象
https://ja.wikipedia.org/wiki/エコーチェンバー現象

ところが、上掲の書に挙げられた時系列を確認してみると「2021年になって初めてそれに接した人たち」が接した「それ」とは、雑誌のインタビューそのものではなかった。

無垢な人たちが接した「それ」とは、悪意を持って改竄され、ネット上で偏執的にコピペされ続け、さらにそれを「著名人ブログネタ」に貶めて楽しむ連中が常備していた、歪んだ文章だったのだ。

オリンピック音楽担当降板騒動、そして音楽活動の中断にまで至る騒動を作ったのは、本当にロッキング・オン・ジャパン1994年1月号の「問題のインタビュー」以来、いや振り返った「当時」からすれば27年前の悪事、だったのだろうか。

そんなものは、存在しない。

この騒動や問題は必ず、人を変えて繰り返されるはずだ。

上掲の書に出てくる、問題行動と思われるムーブをかました人物を挙げていく。

山崎洋一郎

ロッキング・オン・ジャパン編集長。現・「ロッキング・オン」代表取締役社長。リニューアルした同誌でコーネリアスの「20000字インタビュー」を掲載。同誌ではアーティスト側に原稿のチェックをさせない方針だった。偽悪的な言質を取って掲載したのは、小山田圭吾を「ワルな面もあるロックの貴公子」というフィーチャーの仕方をしたかったという思惑があったらしい。なぜなら当時、同誌編集部内にすら「小山田圭吾でしょ?フリッパーズ・ギターでしょ?渋谷系(笑)?」というような、嘲笑的な雰囲気があったから。その雰囲気は、編集部員による「場末のクロストーク」で赤裸々になっている。

井上貴子

ロッキング・オン・ジャパン編集部員。上記の連載(同号)において「いやあ、今回の2万字インタビューのイジメ話、ロープでぐるぐる巻きにしてオナニーさせてウンコ食わせたというくだりを読んで、私初めて小山田を見直しました。」と語っている。つまり、それくらいの悪事を働かないとロックじゃない、という勘違いした空気に包まれていたことを物語っているし、コーネリアス及び小山田圭吾は音楽雑誌の編集者にすら、音楽性が理解されていない状態だったことをも示しているように思う。

村上清

「クイック・ジャパン」編集者。現・「太田出版」書籍編集部編集長。1995年の同誌に「いじめ紀行」という連載を持つ。有名人となった「いじめっ子」側にスポットを当て、タブー視されてきた「加害の娯楽性」を強調すれば説教くさくない画期的な「いじめ論」になると大いなる勘違いをして同企画を立ち上げた。悪辣な言葉を期待し、インタビューの露悪的な印象を強めるよう意図した。その意図に反して、シリーズ本文を読んだ読者らは「とんでもない加害者に嫌悪感を持つ」という村上の思惑通りの感想は持っていない。この「いじめ紀行」という企画は当初、いじめっ子だった人といじめられっ子だった人の対談企画だったらしい。

山下智恵

毎日新聞記者。上記の雑誌の記事を丹念に検証するわけでもなく、「2ちゃんコピペ」を転載したに過ぎない個人のブログを根拠に、五輪組織委員会を糾弾するべく不正確な記事をかいた。毎日新聞は英語記事でも海外に発信、誤謬と偏見を恣意的に全世界に拡散した。おそらく、迷ってなどいない。

はるみ

ツイッターに小山田圭吾を責める文言を書き連ね、上掲の『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』が上梓されるや否や、アカウントを消して逃亡(https://twitter.com/harumi2015)。今もどこかで平気で息をして次の獲物を狙っている。このアカウントによる無責任かついい加減で悪意に満ちたツイートを、同じく無責任かついい加減に毎日新聞は取り上げ記事にしている。毎日新聞及び同デジタル報道センターは、政権と五輪組織さえ批判できれば何でも良いのであり、部数が増えればどうでもいいのであり、それが事実であるかどうかなどは「昔の雑誌記事をザッと読めば裏どりは十分」という姿勢だと疑わざるを得ない。

クソガキどもを糾弾するホームページ

少年犯罪の容疑者の実名を掲載するというアングラな性格をもつこのサイトは、「ホームページ」を名乗ることでもわかるように、往時のテキストサイトの趣を保持している。そして名誉毀損による日本の法適用を逃れるため、台湾で運営しているらしい。「内容もすべて真実です。」と記されているが、真実かどうかなどわかるはずはない。多大なる嘘を含むとして、信用されるレベルのものではない。サイト内の「クソガキ犯罪人名簿」の中には、小山田圭吾の名前がまだ掲載されている。改変された「2ちゃんコピペ」をそのまま貼り付けてあることが、「内容もすべて真実です。」という文言がデタラメがを含むことを証明している。とは言えサイト主の弁として「音楽雑誌だというのにどうしてこういう醜悪な回想談を載せるのでしょうか?理解に苦しみます。」とも書いてあり、それに関しては当時の雑誌の編集方針にこそ、やはり問題があったのだと改めて感じさせてもくれる。

クソガキどもを糾弾するホームページ
http://web.archive.org/web/20140911112028/http://personalsite.liuhui-inter.net/aoiryuyu/01no1c534.htm

孤立無援のブログ

2006年には「電気熊はアンドロイドの夢を見るか?」というタイトルのブログだったらしい。そこに「小山田圭吾における人間の研究」というエントリが書かれた。このブログのオーサーは「ビートルズはたいしたことなかった」などのエントリをアップしている、意味のない逆張りで注目を浴びることを旨とする人物のようで、「小山田批判」で脚光を浴びたことはずいぶんな成功体験になっていると推察する。現在は、上掲書の作者である片岡大右をイカサマ、ペテン、エクストリーム擁護だと誹謗し続けるエントリを上げているようだ。ブログには固定ファンがいるのだろうからそれはそれで良いが、法的措置を講じる!開示請求をする!として情報を集めるメールアドレスが「quickrockinon-japan@ヤフーメール」になっているのは、やはり「我こそは小山田追求の旗頭である」という矜持があればこそ、なのだろうか。

孤立無援のブログ
https://koritsumuen.hatenablog.com/

2ちゃんねる

言わずと知れた巨大匿名掲示板。現在は5ちゃんねる。ここに書き連ねられた有象無象の書き込みの中から「2ちゃんコピペ」なるものが生まれた。ファンはうんざりしつつスルーする過去の代物に成り果てていたらしいが、「何とか有名人の悪事を論(あげつら)ってやりたい」と願うPV乞食たちには格好の漁場となった。事実かどうか・原典は何か・当時の時代の空気はどうか、などの検証は一切行われない。コピー&ペーストで十分な「言論素材」が出来上がってしまっていた。

ネットイナゴども

これら、主要な役割を果たしてしまった人たちに加えて、もちろんSNS上で脊髄反射してしまった「正義の徒」が、佃煮にするほどいる。醤油で煮ても不味そう。適当に書き散らしてそのまま無邪気に放置している人たちもたくさんいる。もちろん、アカウント自体が放置されている可能性も高い。「芸能人のゴシップなどそんなもの」とも言えるが、目の前に意図をまぶして投げ出されたエサがあれば反射的に食いついて感情を爆発させる、という手軽な娯楽で脳内麻薬を分泌させるレベルの人たちによって、あくまで無邪気に、無垢な正義感によって、罵倒と共に嘘は拡散されていった。

あの時代から、共に歩む人たちは?

当時のインタビューの時代(フリッパーズ・ギターはもちろんそれ以前)からファンの人たち、または同時代の空気感、ロッキング・オン・ジャパンに蔓延する同調圧力オブロック、みたいな感覚を実体験している人は、このエコーチェンバーには参加していないと信じたい。そう、無理なのだ。

「あの空気感」「あの人となり」を知っている側からしてみれば、この2021年の騒動には「そうとうに無理がある」「しかし止められない」という虚しさ、悔しさがあったはずである。スルーが最適解、だったのだ。

当時は、雑誌の記事を直接読んだ人たちが感想を書き込む場所も多くなかった。
インタビューに含まれているニュアンスや文脈を少なからず理解し、全体的に「悪い印象のみ」で読後からの人生を歩んでいる読者は少ないように思えるし、それでファンを辞めた人もおそらく少ない。今現在も、当時小山田圭吾を追いかけていた人の中にある記憶は、決して悪いものではない。

だがファンであるがゆえ、コアなファンの人たちは、先に挙げたブログの存在も、2ちゃんコピペの存在も知っていたそうである。
ファンは情報を求め、公式の発表を待ち望み、怖いもの見たさで自ら検索するものだからだ。

だがSNSの発展を待つまで、それら悪意のコピペを擁護する機会も方法もほぼなかったし、「寝た子を起こすな」という感情であったことは想像に難くない。
Corneliusおよび小山田圭吾の音楽的活躍と才能・貢献は、そんな昔話で毀損されるほど小さいものではないと、確信していたからだ。

小山田圭吾の「イジメ記事」に対する「知ってたけどまぁ、うん。そうね…」という生粋のファンたちの曖昧な態度とスルーは、死後に次々と明るみになっている「ジャニー喜多川の性加害」と似てるところがある。似ているのは加害と被害の深刻性ではなく「ファンは寝た子を起こさない」という点においてだ。

後者はしっかり追求されるべき、証言する証人が生存する現在進行形の被害であり(加害者は亡くなっているが)、小山田圭吾のイジメ加害は「事実そのものがそもそも曖昧で、無内容」なのだ。

しかし、ネット上で初めてそれ(イジメ記事)に触れた人たちが手にした「絶対安全圏から著名人を殴り引きずり下ろせる魔法の呪文」は、いったん膨張するとシュリンクさせるのがそうとうに難しい。冷静であろうはずのジャーナリストを抱えたはずの大手メディアも、新興のネットメディアも欲しいのはPVであり注目度である。

センセーショナルであれば嘘でもいい、というのがメディアの行動原理であり、彼らは深く考えない人たちを誘導する技術に、やたら長けている。上掲の新聞記者の「最初は書いていいものか、迷いました」というテクニックも、その一つである。

本人に落ち度は?

もし、小山田圭吾本人に非があるとするならばやはり「なんでそんなことインタビューで言っちゃった?」というところに尽きる。黙っていればよかった。わざわざ露悪的なことを言う必要はなかった。もちろん、今さらそれを言っても、詮方なきことではあるが。

そしてそれなら、他のメディア(音楽雑誌以外)で、明確に、「当時」に、否定しておくべきだった。
あんなのは全部嘘でーす、とハッキリ文字に、残しておくべきだった。
それをしていれば、2021年の段階でそれ(否定記事)も同時に発掘され、ロッキング・オン・ジャパンの偽悪的な戦略だけが指弾されたかも知れないからだ。

それ(発言の明確な否定)を「カッコ悪い」とか「そんなことしてもしょうがねえし…」的なスタンスで忌避してしまったことが、当人の非と言えば非だったかも知れないし、落ち度と言えば落ち度だったのかも知れない。

部分的には、小山田圭吾は1994年3月に出演した仙台WAVEのイベントで、それは事実ではないと訂正していた。隠し録りのテープを持っているファンがいるらしい。

ファンは今と違ってメディアに登場する機会が少ない彼の情報を追い求めていたので、直に会えるイベントでは隠し録音をしていたのだろう。その録音も今なら「盗録は証拠にならない!のだ!」などと炎上してしまうのだろうか。

ロック界における異様な立ち位置

どう見ても可愛いお坊ちゃんにしか見えない当時の小山田圭吾には、カテゴリとしての「渋谷系」がまるで、悪口のようにも適用されたりした。

ブリット・ポップの洗礼前夜のような時期に「なんだ、このヤワなナヨナヨしたやつは」という恐ろしい誤解があったことは否めないはずだ。

一部の人たちからは、小山田圭吾/フリッパーズ・ギター/小沢健二、これらのファンの中枢はいまだに「オリーブ女子(笑)」とバカにされているのである。

そういう空気が濃かった当時、本人や周囲に、修正したくてもできない、するべきではないという判断があったことも想像には難くない。
だってまさか、20年以上経ってこんなことになるなんて、誰も思わないから。

そして彼の音楽的な立ち位置の異様さ・気高さは、現在いささかも、変化してはいない。

 

オリンピックが絡んでいなければ…

そして、片岡大右の著作では毎日新聞のくだりで軽く触れられた程度だったが、「小山田圭吾騒動」に欠かせないのは、東京オリンピックそのものへの怨嗟、それを主導する自民党政権への拒否反応、政治的な偏向による無思慮な攻撃性である、と断言できる。

小林賢太郎の降板などは、何とかオリンピックに関わる著名人の過去の瑕疵をほじくり出して政権批判のタネにしてやろう、というドス黒いすら悪意を感じる。

どんな常識を働かせたら、かのラーメンズ、1998年の「ネタの中のセリフ」で「2021年のオリンピックにふさわしくない」という烙印を押せるのか。

オリンピックを邪魔するためなら何でもいい、政権与党に反対できるなら何でもいい、という勢力がいることは枚挙に暇がない。

現時点でも東京五輪には不正と汚職、疑惑が渦巻いている。
談合や収賄で、角川や電通が連日取りざたされている。
主に金の問題で、まだまだ暴かれる部分が出てくるはずだ。

“お茶汲み”する職員に1日20万円…五輪費用3.6兆円オーバーの“裏側” 組織委元職員が告白【報道特集】
https://news.yahoo.co.jp/articles/af486c88ebf1f96ee546118fdf8465ccd3c22eb1

こんな状態だからこそ「ミュージシャンが嘘で叩かれても仕方がない」のか????

コロナ禍に世間があえぐ中、小山田・小林両名は「オリンピック=自民党=攻撃対象」という短絡を日々原動力にしている連中にとって、無料SNSサービスでの無料書き込みが無料の趣味になっている連中にとって、極めて叩きやすい対象であった。彼らにとって両名を引きずり下ろすことは正義であり、政治であり、まっとうな行動であった。

音楽やお笑い、または演劇に興味がない層も「自民党が主導し推薦する人なら間違いだらけ!犯罪者!不適当!アベシネ!」と盲目的に非道の烙印を押すことに迷いはなかった。彼らは必ず次の犠牲者を生むし、何の責任も取ることはない。

悪いのは常に「自分の不遇を招いた自民党」のせいであり、自分のせいではないからだ。
そう考えれば楽になるから、政権与党の反対勢力に、幼稚に共鳴する。

この構図がある限り、わざと起こされるインフォデミックは、必ず起きる。

そして、林智裕が『「正しさ」の商人』で喝破したように、

「風評加害を繰り返す人は、「客観的かつ正確な事実を求めて流言に受動的に惑わされた」のではなく、「主観的かつ自分たちが望む『真実』を求めて流言を能動的に広めた」のだ。

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、「実話BUNKAタブー編集部」のアカウントは、

というようなツイートを複数、いまだに残している。

もちろん、こういうのは読者の質に合わせた「簡単なお商売」なのだから、この種の下卑た、露悪趣味な雑誌を喜んで生きる参考にしている気分になっている人らというのはそれごとすべて無視するしかないわけだが、とにかく人を傷つけようが嘘を言おうが注目を集めさえすれば良いという了見の雑誌・出版社って、そこで働く人はその給料で子供を育ててるのか。

こういう雑誌の編集者って、子供にどうやって自分の仕事の説明するんだろう。
「今日はお父(母)さんねえ、芸能人の嘘を派手に書いて読者を騙したんだよ〜はい、お土産!」とかやってるんだろうか。ただただ静かに「てめえらの血はなに色だ(南斗白鳥拳)…」と唸るしかないし事情通ぶって、社会の裏側を知ったような顔をして、これらの雑誌に関わるべからず、とも思う。

それにしても上掲雑誌の紙面を見たが、その適当で悪ぶった筆致(こちらが真面目に怒ったら「ヤだなぁ冗談ですよぅ〜」と肩を叩いてきそうな仕草)が、何かに似ていると感じた。

うん、そう、まさに、90年代の、ロッキング・オン・ジャパンにあった、あの感じなのだ。

件のインタビューが掲載されたロッキング・オン・ジャパン巻末の「場外乱闘」を引く。

汗と純情で日々精進に励む一本気ロッカーにはイヤミな存在でしかないコーネリ小山田であるが、これは“イジメ”なのだと考えると非常にわかり易い。都会人のカッペいぢめなのだ。すると関西出身で「頑張って」とか言われるとすぐに「おうっしゃあ」となってしまう僕などは小山田による屈折イジメの恰好のターゲットであるわけだ。しかし、小山田のイジメは本人も言っている通り、「直接手を下さず、横で見てニヤニヤしている」という至ってヒ弱なものだ。したがって私が直接インタヴューをやり、撮影にもつきっきり、常に顔面をつき合わせる事によってそのイジメは無効となる。「撃てるもんなら撃ってみろ!」と犯人の前に仁王立ちになるモミアゲ刑事、それが俺の役割だ。なんだ、そりゃ。

何というか、全体に漂う軽薄な、文字数を埋めるために弱い内容を薄めて書かれている感じ、「したがって」以降の文意の読み取れなさ、あとは「コーネリ小山田」とか「ヒ弱」とか最後の「なんだ、そりゃ。」とか、身内ウケでしかない調子に乗った口調がただただ、うすら寒い。

この感じ、上記雑誌と通底する部分がある。
いちいち無理にオチをつけようとするところとか。

偽悪的・露悪趣味的な言論の路線は当時のロック雑誌にも色濃く存在したのであり、意外に現在、その系譜はああいうデタラメ多めなテキトー雑誌に引き継がれているのかも知れない。現在のロッキング・オン・ジャパンがそういう感じなのかどうかは知らん。

 

 

今回は以上です。

 

 

****************

if you’re here. コーネリアスファン私設検証サイト
https://ifyouarehere.studio.site/

kobeniの日記
https://www.kobeniblog.com/

シンポジウムが行われるそうだ。

『小山田圭吾の「いじめ」はいかにつくられたか 現代の災い「インフォデミック」を考える』刊行記念シンポジウム
https://ifyouarehere.studio.site/info/symposium

 

※追記

改めて、事実関係の検証とインタビューを掲載した本が発売になった。

 

 

 

 

 

 

140字以下の文章すら理解が難しい人たちが、こぞって本ごと「批判再燃」とでも言うべき寝言を繰り返している。おそらく読んでなどいない。

彼らの「いじめはよくない!」という文脈に連なる文言は、単なるイナゴのざわめきに過ぎず、この問題を理解していないという告白と等しい。
希薄な加害者意識は陰に隠れると、さらなる投石願望を生むものなのだな、と、恐ろしさを感じさせた。







-見たもの、思うこと。
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