物知りだと思われるカンタンな方法を4つ、ここに提示します。
途中、重要な命題も1つ登場しますので、ぜひご活用ください。
4つあるうち、上の2個は「卑怯な手」であり「姑息な手」です。
後の2つは「王道」です。
遅効性ですが一生モノだと思います。
では参りましょう。
1、知らないことは黙っておく<邪道>
知ってることをたくさんしゃべると「このヒトこれに詳しいな、よく知ってるな、物知りだな」と思ってもらえる。
これはわかりますよね。
問題は「知らないことに面した時」なんですよ。
知らない話題になった時に「なにそれ!知らな〜い!」とすぐに言ってしまう人は、「物知り」だとは絶対に思ってもらえません。
あとで話題が進行し、部分的に知っているところが出てきたとしても、ファースト・リアクションである「なにそれ!知らな〜い!」のインパクトはすでに大きく、「あまりものを知らない人」という印象を残してしまっています。
知らないことは、できるだけ「ふんふん、ふんふん」とうなづくだけにして、その反応を印象付けないようにします。
声もできるだけ発しないように。
そして、知っている話題になったら一気にしゃべりまくるのです。
これで、「ああ、あの人は物をよく知っている人だな」と思ってもらえます。もちろん「これ、知ってます?これについてはご存知?どれくらいご存知?」などとグイグイくるタイプの人たちがいる場では、なかなか通用しません。
「あの人は自分の知ってる範囲だとよくしゃべるが黙ってる時は知らないことの時だな」と思われては失敗です。
つまり「聞き上手」として、相手が気持ちよくしゃべっている空間を作れる、というのも重要だということですね。
2、情報の入手先を言わない<邪道>
例えば、夏に知り合いが浴衣を着てきた時などに、その生地について本人が「これは、徳島の阿波しじら織っていうものなんですよ」と、チラッと話してくれたことがある、あるいは誰かに話していたのを、あなたが耳にしていたとします。これを、覚えていた場合。
翌年、同じ浴衣を着ているその人に「阿波しじら織…」とボソッと言いましょう。
「え!!よくご存知ですね!!」となったりすることがあります。
本人は、あなたに対して言った、やあなたが聞いていたことを、覚えていないんですね。
ここで、「なに言ってんですか、去年教えてくれたじゃないですか!!!」と「言わない」ってことです。
どこでそれを知ったか(今回の場合はその本人から)を言わない。
すると、「この人の情報源は奥深く広く、トンデモない脳内図書館を持っているんだ…」と思ってもらえます。
もちろん、前年に自分で言ったことを覚えている人の場合には通用しません。
その場合は、「そうそう、去年聞いたんでね」と、さらっと言えばいい。
「いける時にだけいく」。
これが1と同様、戦略の基本です。
「テレビで見たんだけど」という枕詞をつけて話す時は多々あると思いますが、みんな、同じテレビ番組なんか見ていません。
「テレビで見た」とか「ラジオで聴いた」「ネットで見た」ということを付け加えないだけで、実は多くの人は「このヒト、物知りだな…」と、微量ながら密かに思ってくれたりします。本当に。
さてここで「物知りだと思われてなんの意味があるのか」という命題が浮かんできますよね。
そうまでして「物知りだと思ってもらう」必要があるのかと。
落語「つる」は、町内で「生き字引」を自負する人が「つるという鳥はどうしてつるという名前になったか」の答えに窮するという面白い噺(はなし)ですが、物を知っている人というのは、知識の量が多いだけの人ではないんです。
「知識」には、「考え方」「思索の方法」が含まれていることがあるからです。
単なる情報(データ)なら、今やネットで検索した方が早いし正確でしょう。
でも、例えば「つる」と「やかん」(これも落語)の共通性について…となると、その噺を両方知っていて、その時代の雰囲気の楽しみ方も知りつつ、そこに共通項を見出しながらも違いの考え方をわかっている人でないと、答えることは不可能でしょう。
ですから、人に頼られるレベルが上がる、という可能性があるわけです。
「巨人の○○選手ってどこ高校だっけ?」と問うと高校名はもちろん、そこから前にいたチームやら成績やら、怪我の遍歴まで教えてくれる「野球図鑑」みたいな人っていますよね。私ももしプロ野球選手のことを聞くなら彼に、と思っている人は2人ほどいます。
でも彼に「今後のプロスポーツ全般について」を尋ねようとはあまり思わないんですよね。
ましてや「プロ論」についてなど。
「物知りだと思われる」は、低いレベルであればその程度のことなのかも知れません。
まぁいいじゃないですか、続けましょう。
「物知りだと思われるカンタンな方法」です。
3、本をたくさん読む<王道>
賢くなるには、今のところ、本を読むしかないと思います。
もちろん、電子書籍でもいいでしょう。
漫画でもいいと思います。
インターネット上にはとんでもない情報量が渦巻いていますが、自分に入ってくる情報など、たかが知れています。
新しい本だって毎日200冊、発売されているそうですよ。
私たちにとって、古典も含めて本を読む時間は、かなり限られています。
1日5分、本を読んでいる人が、周りにどれくらいいますか?
やはり賢い人は、本を読むスピードも速いです。それはなぜか。
「言い回し」ごとを、ブロックとして読んでいけるので、速いのです。
例えば「おはようございます」と書いてあるところを、「お、は、よ、う」と読む必要は、ないということですね。
「おはようございます」という文字列の雰囲気で、それはもう「1、2」くらいの間で読んでしまいます。
速い人はこれを「1、」以下のスピードで読んでいる。
読んでいるというより「見ている」感覚ですね。
ですから「おはようございます」が「おはうよございます」になっていても、「おほようございよす」になっていても、あまり気にしません。
今の文尾、「気にしません。」も、「気にしま」まで読めば、あとは文字をパッと見た印象で、「します」になるかどうかを判断しているんですね。「気にし」となると「します」か「しません」しかないですから、前の文脈を考慮すると、「しません」になるのが必然だと、判断できます。
そうやって、(たぶん)読書量を増やしていくんでしょう。
たまに「俺は本はぜんぜん読まないよ」という人がいらっしゃったりしますが、1ナノも自慢にならないことをどうしてあんなにドヤ顔で言えるのか不思議です。
どうせこの世にある書籍を全部を読むのには間に合わないんですから、ちょっとだけでも本を読んで、知識や語彙を増やしたり、考え方の幅を広げるというのは、すべての人に重要なことだと思います。
上にも書いたように、「考え方」を増やすというのは、算数で言えば方程式を増やすってことです。
数字を、何千億まで数えるのとは違います。
方程式が増えるということは、そこに入る変数がどうなっても、答えを出せるということです。
つまり「考え方」をたくさん持っていることは、人生が豊かになるということと、直結しているんです。
人生に悩み、苦しみ、いつもストレスを抱えている人は、使える方程式が少ないんだと思います。
本を読むということは、知識や語彙も増えますが、これは嫌でも勝手に増えます。
頭が良くない我々は、「いつの間にか、考え方の方程式よ、増えろ〜」と念じて、なんでもいいから本を読むしかない、んだと思います。
4、一点突破する<王道>
正攻法である「3、本をたくさん読む」はまっとうです。王道ですね。
真摯な態度、と言えるでしょう。
でも「物知りだなぁ」と言われるには、も少しだけ手っ取りばやい方法があります。
これは「雑学の本を読む」です。
当たり前だろと言われそうですが、ちゃんと「雑学の本ばかりをしっかりと長く読み続けている人」というのはなかなかいないんじゃないでしょうか。クイズ王くらいか。
そう、雑学の本を集めまくって読みまくれば、必ずクイズ王になれると思います。
なりたくない、という人もご安心ください。
クイズ王、と呼ばれるレベルになれば、もうその知識欲は「雑学」にとどまらず、科学や哲学・宗教に至るまで幅広く深い思索レベルに達していることと思われます。
さらに、もっと簡単に「物知りだなぁ」と思われたい場合は「1つのジャンルだけをものすごく知る」、これでいけます。
なんでもいいんです。
そのジャンル、の中の、1つのテーマだけ、でも構いません。
例えば「映画に詳しい」という称号を得るには、古今東西のあらゆる作品や監督や撮影技法に至るまでを網羅して知っている必要がありますが、「小津安二郎監督の作品にだけ異常に詳しい」状態になると、それだけでそこそこの評価を得ることができます。
「ゴダールの作品にだけ異常に詳しい」でもいいでしょう。
その時に重要なのは「なんでも小津安二郎に例えることができる」能力です。
「もしこれ、ゴダールが撮ってたら…」と、すぐに言えるスキルです。
それができれば、最近の映画やディズニー作品であっても、なんとなく語ることができる。
しかも「小津やゴダール」に詳しくない人の、なんとなく上位に立てる。
ガンダムの全てに詳しくなくていいんです。
まずは「初代ガンダム」だけ詳しくなればいい。
サッカーの全てに詳しくなくていい。
フロンターレだけ詳しくなればいい。
ロックミュージックの全てを知る必要はない。
グレートフルデッドにだけ異常に詳しくなればいい。
それらに例えて語るとき、「一点突破の詳しさ」は、オーラを発しますよ。
よ〜く見ていると、それをやっている人、結構いますから。
具体的な方法です。
「自分にはなんの知識も取り柄もないなぁ」なんて悲しくなることがあるとしたら、まずは「そのジャンルの本を5冊」、闇雲に買い求めましょう。
「どれがいい?」とか人に聞いてるのはアホです。
「どれがオススメ?」などと聞きたくなるのは、近道を求めてサボりたい気持ちが出てるからです。
なんでもいいから5冊。
その全部を読むと、たぶん3冊目か、早ければ2冊目の途中くらいで「あれ?同じことが書いてあるぞ?」となってきます。
同ジャンルなんですから、情報として重複することがあるのは当たり前で、絶対にどの本にも乗っている事項というのは「そのジャンルでは外せないくらいに重要」である確率が高いですから、覚えることは必須でしょう。
そうしているうちに「このページはあのことについて書いてあるんだな」と、4冊目くらいには、見出しを見たら読み飛ばせる感覚になってくる。これを私は「球が止まって見える」と呼んでるんですが、そうなったらもう、少しはそれについて話せるようになっているのではないでしょうか。
難しい単語も見覚えが出てきますし、著者の関連書籍も気になったりして。
そこで辞めても、全然いいと思います。
意外にこれ、もっと知りたい!となったら、さらに突き進めばいいでしょう。
お金の使い方として、良いと思いますよ。
居酒屋でおしっこ出すために毎日ビール飲んでる連中よりは、人生が豊かになる気がしてなりません。
「物知りだと思われる方法」、姑息なのを2つ、まっとう(?)なのを2つ、思いつくままに書いてみました。
よそで言わないように(怒)