大器晩成、って、たまに聞く言葉です。
「俺って、大器晩成だからなぁ〜」と自分で言う人はあまりいないと思いますが(いや、いるかも)、「彼は、大器晩成型ですから」というような言い方で、使われているような気がします。
「大器」が大きな器、つまり「大物」「傑物」「成功者」だという意味だとしたら、「晩成」は「晩婚」と同じく、「人生の、割と遅い段階で花が咲く」という意味なのでしょう。
「今は大したことないけど、将来、成功して、すごい人物になる」ことを意味するんですね。
いや、わかるんです、わかるんですけど、それって「型」として分類できるようなことなんでしょうか。
「大器晩成型」?
「型」だとしたら人間が、人物として成って行くパターンには、
「大器晩成型」
「小器晩成型」
「大器早成型」
「小器早成型」
があって、一番すごいのは「大器早成型」、ということになりますよね。
イチロー選手とか、プロ野球などのスポーツのすごい人って、かなり早い段階(ヒトケタ歳の頃から)でもうすごい。
もちろん、普段の努力と強運もあるんでしょうけど、あ、将棋の藤井四段、もそうですよね。ほんと驚きです。天才。14歳!!!???114歳じゃなくて!!!?
で、我々のような凡人は、たいてい「小器晩成型」か「小器早成型」。
というか「小器」に、早いも遅いもないのか。
冷静に考えてみると「大器晩成型」は、単なる「結果先送りの慰め言葉」とも言えなくないですね。
でも、血脈とか家柄とか遺産とか、そういう「出自など、自分個人以外の要素による高い地位への鎮座」がかなり難しい時代、例えば「項羽と劉邦」の劉邦(高祖・漢帝国初代皇帝)なんかが、「大器晩成」の代表格、と言えるかもしれません。
まぁ、後出しといえば後出しの評価なんですけども。
あいつは、俺が育てた、的な。
これは解釈、なんですけども。
「大器晩成」と言ってしまうと人間を類型するための言葉に聞こえてしまうところを、わざと勝手に読み下して、
「大器は、晩成す」と読んでみると、
「あのね、“大器”っていうのは、“晩成”するものなの。だから、早い段階で、その人を決めつけちゃいけないよ。そしてね、年取ってからが、その人の価値を決定する要素なの。」
という意味にも、取れなくはない。
ここまで考えてみて、「大器晩成」がどこから出た言葉なのか、少しだけ見てみましょう。
明道若昧。
進道若退。夷道若纇。
上徳若谷。大白若辱。
廣徳若不足。建徳若偸。
質眞若渝。大方無隅。
大器晩成。
大音希聲。
大象無形。『老子』四一章
読み下し文としては、こんな感じだそうです。
明るい道は暗きがごとし。
道を進んでいるようで退いている。
高い徳は谷のように深く。
大いに白いものは辱(よご)れているように見え、
広い徳は、足りていないように見え、
剛健な徳は、愉しんでいるように(怠けているように)見え
質実は渝(うつろ、からっぽ)のように見える。大きな四角には隅がない。
大きな器は晩成する。
大きな音は、その音が聴こえない。
大きなカタチは姿が見えない。
ここで「晩成」の意味は…、ということになります。
我々が知っている、「大きな才能は、完成するまでに時間がかかるんだよ」という意味とは、少し違っているように、感じます。
「大きすぎる器は、それゆえに、完成しているように見えない」
この「晩」、実は「免」なんじゃないかという説があるようなのです。
「預言者」と「予言者」が微妙に違うように(一緒だ、という説も)。
晩成の「晩」が、「人生の晩年」の「晩」ではなく、「免れる」「免じる」の「免」だとすると、
大きな器というのは大きすぎるが故に、縁が見えず、完成しているようには見えないものだ。
という意味に取れます。
人生の後半ですごい奴は完成する、みたいな意味じゃ、ないんですね。
デカすぎる器の人間の、まさに「器量」は、小物には見えない、という。
同じような言葉、どこかで聞いたことあります。
そう、
燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
えんじゃくいずくんぞ、こうこくのこころざしをしらんや。
『史記』?陳勝?
意味は、調べてください。
なんだかちょっと、いい感じに聞こえるけれど、いや、ちょっとひっかかるなあ、と思う言葉って、たまにあるんです。
なぜひっかかるかというと、「それを言う側のお前の、格をあげるために、言ってるな??」という、計算・打算が見えた時です。
「大器晩成型」はまさにそれ。
あまり考えても意味がないかもしれませんが。