不思議なタイトルだなぁ、と思って見てました。
原発事故避難いじめ 横浜市長、教育長の発言を謝罪
https://www.asahi.com/articles/ASK1T6FQ1K1TULOB016.html
市長というお仕事は、教育長の発言を、謝罪しなきゃならない立場だったりもするんですね。
自治体でトップの市長が「代わりに」謝罪しなきゃならないということは、裏を返せば本当に謝罪しなきゃならないのは教育長である、ということになるわけで…その「発言」というのは、これですね。
金銭要求「いじめ認定困難」=教育長が見解、原発避難-横浜
http://www.jiji.com/jc/article?k=2017012000839&g=soc(リンク切れ)東京電力福島第1原発事故で福島県から横浜市に自主避難した中学1年の男子生徒がいじめを受けた問題で、横浜市教育委員会の岡田優子教育長は20日、「(同級生からの)金銭要求をいじめと認定するのは困難」と述べた。市議会の委員会で質問に答えた。
生徒側は、いじめと認定するよう求めているが、岡田教育長は「第三者委員会の答申を覆すのは難しい」と述べた。
男子生徒はいじめを受けていた小学5年の時、同級生から「賠償金をもらっているだろう」と言われ、自宅から現金を持ち出して1回5万~10万円を渡していた。
市の第三者委が昨年11月にまとめた報告書は、「金銭授受はいじめから逃れるためだった」と指摘した上で、「おごりおごられる関係で、いじめとは認定できない」と判断した。生徒側は今月10日、いじめと認定するよう求める要望書を提出していた。
この会見が、そらもう鬼のように叩かれたわけです。
そりゃそうですよね。
生徒の手記を見ると、どう考えてもいじめです。
横浜市教育委員会は、いじめられて150万円もおごらされたのに「いじめという結論を導くのは疑問がある」という見解を示しました。
「おごりおごられる関係で、いじめとは認定できない」という判断を下したことに対し、そのニュースを聞いた横浜市教育委員会以外の全国民が「え?は?」と驚きました。
15,000円じゃないよ?150,000円じゃないよ?1,500,000円だぞ教育長!と、その金額の異常性に、みんな飛びついているんですよね。
1円でも脅し取られたら、いじめです。
たとえば150万円でも、スネ夫型の弩級の地主のお坊ちゃんが親の同意と監視の元、「全校生徒でスーパー銭湯行こうぜ先生方もどうだい?」と連れて行ってくれたら、それはいじめではありません。
いじめかいじめでないかは、その関係性や行動そのもので決まるものです。
もし市長に「なぁ教育長、おごってくれよ車買うんだから150万円」と頼まれたら、教育長はハイと渡すんでしょうか。馬鹿なのか。教育の長になると馬鹿でもできるのか。
さて、場所は変わって石川県。
金沢市教育委員会のアンケートでは、小学生と中学生のそれぞれ約3割が「いじめられる人も悪いところがあると思う」と答えたそうです。
「被害者も悪い」小中3割 金沢市教委アンケート
http://mainichi.jp/articles/20170127/k00/00m/040/007000c
それに対して。
「いじめられる側にも原因がある」に対するはるかぜちゃんの指摘が相変わらず鋭かった件
https://togetter.com/li/1038210
ほとんど素晴らしすぎてこれ以上書くことないんですが、問題はこの「原因」という言葉だと思うんです。
何にでも原因というものはありますから、「イジメの原因」もやはりあるでしょう。
ただしこの「原因」と、「いじめられる側にも原因がある」の場合に出てくる「原因」とは、言葉は同じでも、本質が全く違います。
途中のツイートにあった(読むべし)ように、「いじめられる側にも原因がある」の場合の「原因」とは、「特徴」とでも言い替えるべき言葉であり、そうなると「特徴?人に特徴なんか、あるに決まっとるがな…」となり、この「いじめられる側にも?」という問いは意味をなさなくなります。
はるかぜちゃんに対してでは無く、提示してくれた問いに対して思うところがあります。
たとえいじめられる側に「原因(素養?相違点?特徴?)」があってたとしても、
それでいじめることは正当化されないし、いじめた側を許す理由にはならないですよね!※当然ですが— Moreau (@Mo_re_au) October 18, 2016
だって、そりゃ誰にだって特徴はあるし、特徴が発端だったりはするけれど、それが「いじめられる側に落ち度がある理由」にはならないでしょう。
「いじめる側に特徴(や素養)はあるか?」という問いにも、「ある」としか言いようがないですからね。
つまりどんな原因があったとしても、そんなものはいじめに関係ないだろ、なんですよ。
「いじめられる側の行動や容姿」は、「いじめ」とは関係ない。
どんな要素を持っていたとしても、いじめは起こるからです。
もちろん、「いじめる側の行動や容姿・生い立ち・環境」も、「いじめ」とは関係ない。
よくドラマなどでは「いじめる側の家庭環境」なども描写されますが、知ったことか、と思います。
いくら不幸な身の上で、いくら愛情が足りなく育っている子であっても、「行動」に移す奴はクズです。
親に殴られてる子は人を殴る。
そういう、行動の伝播があるだけです。
殴らない人の方が圧倒的に多い。
いつも、そういう安易な報道を見ながら「お前より不幸だけど、お前のように開き直ってる悪ぶってるバカとは違う、真面目で明るい人をたくさん知ってるぞ」と思います。
学校には、ただ単に「いじめをするとエラい目に遭うぞ」という、脅しがないだけ。
「いじめをするな」という、強制力がないことが原因だと思います。
例えば「いじめの事実が発覚したら、教師全員の首、吹っ飛ぶ」という設定にすると、教師たちは全員で全力で、必死で、いじめの隠蔽をするでしょう。
どちらかというと、今がそれ。
どこかで聞いた知恵ですが、学校で問題があるとすれば、「市」ではなく「県」の教育委員会に直接言った方がいい、そうですね。
そう言えば今回も、恐ろしい判断を下したのは横浜「市」教育委員会でしたね。
「教室→行政」を直結させよう
例えば生徒の中で、「いじめを見つけたら匿名で押せるボタン」が教室にあるとします。
そのボタンを押すと、警察に連絡がいく。
職員室や校長をすっ飛ばすわけです。
いじめの内実は「恐喝」であり「暴行」です。
立派な刑事事件です。
いきなり、「教室→行政」を直結させるんです。
教師ごときに「これはいじめか、いじめではないか」という判断をする余地を与えない。
これしか、子供を守る手立てって、無いんじゃないですかね。
子供は、教室で、子供独特のヒエラルキーの中で生きています。
大人からは見えない。
見える場合ももちろんありますが、「見えるヒエラルキー」と「見えない差別」もある。
そして教育委員会にお勤めの先生方のほとんどは、学校でいう「エリート」なんですよ。
優秀な優等生だったんです。
だからこそ良い成績を納め、良い大学へ行き、勉強や良質なヒエラルキー内で、理不尽な挫折や不条理な苦衷も経験せず、ましてや金銭の要求などもされないまま、18歳のしょんべん臭えガキの分際で「子供に教育する立場になりたい!」などという夢を抱きそれを叶え、何十年もクビや減俸にビクつくこともなく過ごして来られた「勉強エリート」なのです。先生や教育長に、いじめられる気持ちや原因など、わかるわけがない。
いじめられる側の気持ちなど、わかろうはずもない。
たぶん、いじめる側の心象なども、全然見えないんでしょう。
「そんなものは存在しない」という景色しか、見たことがないから。
いじめは、存在します。
どんなところにも。
それは「いじめられてる側がそうだと思ったらもうそれはいじめだ」っていうことです。
子供がやるいじめの場合、未熟な子供の考えることですから、いじめも類型化します。
ワンパターンです。
「この行為を見たら警察へ!」と決めれば、その行為、なくなると思いませんか。
今、「いじめは存在する」と書きましたが、それは「競争」と不可分ではない気もします。
勝ち負けがあり、順序づけがあるのが社会でしょう。
第一、生まれた瞬間「どんな家庭に生まれたか」で既に差がついている。
でも、なんです。
これもはるかぜさんに言われてしまってますが、「いじめは人間の本質」なんていうことを、完全に最初から認めてしまって、「だからしょうがない」なんて言い出したら、それは人間ではなく、動物じゃないですか。
「だからしょうがない」
じゃなくて
「だから考えよう」
じゃないといけない。
学校なんか、たかだか何年間なんですから、卒業したらそいつらと関わらなければいいだけです。
同窓会なんか糞食らえです。
恩師なんかいるかぼけ。
つまり「たかが何年間かの間だけ、その行為が発生しないように考えよう」ってことだと思います。
いや、例えば17歳の高校へ行ってない子らがたむろする、繁華街のゲームセンターで何が起ころうが、これは難しい。
これはどうも、なんともやりようがない。
「お前らのヒエラルキーの中でなんとかしろ」としか言いようがない。「生き抜け」としか言いようがない。
その代わり、問題の解決の緒は警察に直結している。
そこで何かが起こったら「即・警察」ですから。
その方が、まともです。
いわば、健全に法が機能する。
学校という閉鎖空間は、エリートのまま生きてきた「元・優等生」の、なまじ「管理者ヅラ」の賢い先生方が、生徒のことをわかったような「つもり」で、「合理的判断」のようなことを、まま「保身ついでに」なさるので、往々にして間違っていてもそのツケが「生徒の苦しみ」に転化されてしまうんですね。
教師どもは「どうせ何年間かで、生徒は入れ替わるし」とか思ってんのか??
あまりに悲しすぎるから。
なんで、15年も生きてないような子が、中学校程度の小さい箱庭みたいな社会で苦しんで、自分で、「死にたい」なんて思わないといけないんですか。
苦しく思ったら、いじめてる相手なんか殺してやればいいんだ、とくらいに思いますが、そうもいかない苦しさなんですよ。
それに、気づかないどころか、気づいてるのに助けない教師って、一体なんなんですか。
先生が、一緒に見てて笑ってただと?
遺族の方々は、よく自制して、抑えておられるな…と思います。
あと、「テレビのバラエティ番組などがいじめを助長している」「教育上よくない」というクレームがテレビ局にあったりするそうですが、それを「テレビの真似なんかするんじゃない!」と教育するのはお前ら親の仕事だろ、と思うのは私だけでしょうか。