落語・オン・トンネルヴィジョン

幕末言い方だけやんデスマッチ【百川】

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幻の料亭・日本橋「百川」: 黒船を饗した江戸料理

 

場所がそのまま、タイトルになっている「百川」。

「ももかわ」と読む。

明和・安永頃(1760~70年代)に創業されたと言われる料亭だ。
現在、コレド室町が建っている脇の、福徳神社のあるあたり、「浮世小路(うきよしょうじ)」と呼ばれた場所にあった。
「しょうじ」と読むのが正しいらしいが、落語「百川」では「うきよこうじ」と読んでいる。

関東では「小路」を「こうじ」と読むことが多く(上野広小路など)、「しょうじ」は上方に多い(森小路など)と聞いたことがある。
江戸では「しょうじ」は珍しい読みだと言えるし、噺家や市井の人々が混同するのも当然だろう。
これは、ここに屋敷があった喜多村家が金沢出身だったので、加賀での読み方が通ったのだという。

この「料亭・百川」、明治初年まであったとされる有名店なのに、書かれた資料はそう多くはないそうだ。

料亭としての百川は格は高いが、「八百善」よりは安い。
いや、「八百善」がベラボーに凄すぎて比べられないという感じらしい。

「會席 即席 御料理」と書かれた料理屋番付が残っている。
江戸時代、相撲の番付に模した様々な番付が作られ、庶民の楽しみになっていた。
温泉地の番付もあるし、名産品の番付もある。「日々のおかず」の番付もあったりする。

スターであった力士はそれぞれ出身地と並べて四股名を書かれたことから、全国の物品や土地を並べて比較するのは、わかりやすくて人気のあるやり方だったのだろう。

現代でもテレビでは延々と「○○ランキング〜!」とか「ご当地○○ベスト5〜!」とかやってるくらいだから、日本人の了見はそう、変わっていないのかも知れない。

吉田屋小吉という版元から出版されたとされる番付には、前頭4枚目として「浮世小路 百川」の名がある。トップの大関(当時は横綱という職はない)が「深川土橋 平清」だ。

江戸東京博物館ホームページ
江戸割烹番付
https://www.edohakuarchives.jp/detail-11922.html

江戸時代のある時期はそういう番付だったが、明治22年発行の番付にはやはり「百川」の名はなく、大関も「浅クサ代地 川長」になっている。

早稲田大学図書館
料理屋番付

https://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/bunko10/bunko10_08058_0022/index.html

ミシュランの星を取ったレストランが入れ替わるように、料理屋の名声も時代によってどんどん変わっていったのだ。

 

「百川」の大偉業

市中でも指折りの高級な名店は数あれど、今に至るも「百川」がその名を残しているのには理由がある。

明治に入って、急に店が無くなったにも関わらず、だ。
しかもその閉店の理由がなぜか、よくわかっていない。

著名な文人墨客、幕府の要人をも接待したような粋な高級料亭が、経緯もわからずなくなってしまうなんてことがあるだろうか。

上掲の書『幻の料亭・日本橋「百川」』に詳しいが、浦賀にペリーがやってきた時、横浜で幕府がアメリカ提督以下を接待するという大事業が行われた。場所は横浜。

幕府の威信をかけた、なんとアメリカ側300人、日本側200人の大宴会である。
この料理・給仕を、百川が請け負ったというのだ。
応接掛五人衆に数えられる松崎満太郎は、横浜近在の料理屋や職人を当たったが流石に適役を見つけられず、500人の宴会を取り仕切る役割を、「江戸・浮世小路 百川」の主人、百川茂左衛門に依頼した。

いわゆる「本膳」を松崎は要求した。

嘉永7(1854)年2月、横浜に久里浜から移築した100畳分にも及ぶ大きさの「内儀所」で、大宴会は行われた。
箸を使えないアメリカの船員たちはナイフ・フォークを持参していたという。

けっきょく、ペリー一行は出汁と醤油で上品に煮られた野菜を「味、うっす…」と思っただろうし、なんだか生魚を薄切りにしたような刺身は、ほとんど食べなかったのだそうだ。

江戸の外食文化 資料
https://www.eonet.ne.jp/~shoyu/mametisiki/reference-18b.html

それにしても料理代はなんと3両。3両と言えば今に直せば約30万円である。
30万円 x 500人、つまり一晩で1億5000万円が潰える饗宴だった。

これはすごい!
さすが百川じゃ!

と、幕府はとりあえずの面目を保てただろう。
しかし、歴史を知っている後世の私らは、知っている。

この頃が「すでに幕末」であるということを。

 

幕末の波に飲み込まれた百川

外国人の開港要求を突っぱねられなかった、という事態そのものが幕府の威信の失墜だった。
少なくともそう見る、志士たちが全国に大勢いた。
世は、もう誰も止めることのできない「倒幕プロセス」に入っていた。

上掲の書『幻の料亭・日本橋「百川」』の著者・小泉武夫氏は、その支払いを幕府からもらえなかったことも、百川が潰れた原因の一つだったと推測している。
上級武士以外は困窮を極めており、威厳だけは昔レベル、という状態にあった幕府に、一晩で1億5000万を費やすような経済的余裕があるとは思えない。

そしてもう一つ。
徳川の時代から、江戸には牛肉を出す料理屋は存在していたらしい。
そこへ、ペリーやハリス来日を経て「西洋料理」の店が作られ、上流階級を中心に繁盛していた。

希代の饗宴を取り仕切った百川も西洋料理を出すようになるが、それが百川の特権性を失わせ、凋落を加速したのではないか、とも小泉氏は書く。さらに、幕府が始めた対外国・江戸湾侵略された時用の水路確保計画である「印旛沼堀割普請」への出費もかなり響いたのではなかろうかと。

百川の名は、明治の初めにふっつりと消えた。
「明治初年までありました」と落語でも紹介される名料亭は、なぜか誰も受け継がず、引き継がず復活もせず、現在に至っている。

落語「百川」の面白さ

百兵衛さんは、言い間違い・聞き間違えられをする。
正確には言い間違いではなく、訛りが強すぎてコミニュケーション・ミスが起こるのだ。

まずは「主人家の抱え人(しゅじんけの、かかえにん)」と言ったのに「四神剣の掛け合い人(しじんけんの、かけあいにん)」と聞き間違えられる。

「四神剣(しじんけん)」は正確には「四神旗(しじんき)」という。
その名の通り旗なのだが、先っぽに剣が付いているので通称として「四神剣(しじんけん)」で間違ってはいない。

祭りの際に掲げられる決まりものの神具だから、去年の祭りに使った後に町の若い男たちが質屋に入れて遊ぶ金を作った、などというのはずいぶん乱暴なものだ。今年の祭りが近づいてきたのでアレをなんとか質屋から出さなければならない、その相談をするために料亭「百川」で宴会をしている、という舞台設定である。

聖獣
東は青竜、南は朱雀、西は白虎、北は玄武と決まっており、だいたい皇帝は北側に座っている(南面する)ので、左右(東西)の存在が重要になってくる。「龍虎の戦い」というのもこの決まりから生まれたようだ。

東西南北は春夏秋冬にも当てはめられ、

春→東/青龍/ブルー
夏→南/朱雀/レッド
秋→西/白虎/ホワイト
冬→北/玄武/ブラック

四神は四つの色にも対応しているのだ。
「青春」という言葉も、「春→青」という連なりから作られた言葉らしい。

「四神剣(しじんけん)の相談の寄り合い」などと言うと体裁がいいが、実際には集まって呑んでいるだけである。

そこへ「四神剣の掛け合い人(しじんけんの、かけあいにん)」がやって来たというのだから「おいでなすった…」となってしまったのも仕方がない。早くなんとかしないと、次の町内へ「四神剣」を引き渡せない。

なにせ百兵衛さんは、「どうぞまぁご一統様ご相談の上で、ごえーさつ(ご挨拶)を伺ぇまして罷(まか)り帰ぇりてえと存じましてな」と言った。つまり「お前らが雁首揃えてやがるんならばそれなりの対応をしないとただじゃおかねえぞ」みたいな意味に取れることを、慇懃に、劇的に訛って言ったのだ。

やばい、この慇懃さ、丁寧さは逆に怖い、と気性の激しい男たちが歓待しようとしたが百兵衛さんには通じない。

焦った交渉の末に一旦はへり下って応対をしたが、百兵衛が訛っているだけだとわかると、当然のように命令を下すようになる。

「長谷川町の三光新道(さんこうじんみち)に常磐津(ときわず)の歌女文字(かめもじ)っていうのがいるから呼んでこい」と早口に言われる。

百兵衛にこんな江戸の地名が聞き取れるわけがない。
長谷川町の三光新道は、今も「三光稲荷神社」が残るあたりだ。
百川からは、歩いて10分くらいの場所にあたる。

三光稲荷神社

常磐津というのは三味線を用いて語る浄瑠璃の一種で、江戸市民には馴染みのある芸だった。
宗家・家元は代々「常磐津文字太夫(ときわず・もじだゆう)」を名乗る。

「百川」に出てくる、裏長屋に住む「歌女文字(かめもじ)」という芸人は、この家元の名前をもじって名乗っているのかも知れない。
それとも「○○文字」という呼称は、尊敬と諧謔を混ぜ込んだ、河岸の若い者たちが作った軽口・ニックネームだったのか。


田舎者すぎて江戸弁など聞き取れるわけがない百兵衛さん、この「歌女文字(かめもじ)」と間違えて、鴨池玄林(かもじげんりん)という外科のお医者さんの家を訪問してしまう。

ここで「河岸の若ぇ方が、今朝(けさ)がけに四、五人来(き)られやして、先生にちょっくらおいでを願ぇてぇちゅうてがすが」

激しく訛って言った。

どんな調子で言うかにもよるかとは思うが、この「今朝(けさ)がけに四、五人来(き)られやして、」の部分を「袈裟がけに四、五人が斬(き)ら斬られた」と聞き取った。

「火事に、喧嘩に、中っ腹」は江戸の名物(ネガティブ編)として有名だったから、外科医・鴨池玄林は「まったく困ったやつらだ」とばかりに診察に向かうことにしてくれた。その時に、刀傷、切創に対する用意として「手遅れになるといけないから鶏卵を二十、焼酎を一升、白布を五、六反、用意するように」と言いつける。焼酎は消毒、白布は巻くのだろう。鶏卵は?

「切り傷には卵の薄皮を貼る」というのは有名な民間療法だ。
卵の殻の内側の薄皮のことを「卵殻膜」という。
コラーゲン・ヒアルロン酸・グルコサミンなどの皮膚組織を修復する力があるとされている。

治癒の過程における栄養補給に鶏卵は有効だが、日本刀で斬られた現場に黄身があってもしょうがない。やはりこの「卵殻膜」が目当てということなのだろう。

しかし場違いなところへ鴨池玄林(かもじげんりん)が到着してしまって、噺は終わる。

 

なぜ、こんな落語があるのか?

落語「百川」は、「実際にあったことをただ落語にしただけ」という説明があって始まる落語だ。
それがもし本当ならこの「百川」が面白いのは、落語家のとんでもない話術の結果だということになる。なにせ起こったことと言えば「ただ訛って聞き間違えられただけ」なのだから。

これがこんなに面白いのは、噺家の技量だと言える。

逆に落語「百川」がおもしろくなければ、その落語家がただ面白くないだけ、ということなのである。

 

ところが、やっぱりおかしい。
そんなに高級な料亭で、外科のお医者への支払いも滞っているような、町内の祭りの後に金に困って四神剣を質屋に入れてしまうような連中が宴会などできるはずがない。しかも百川の主人は彼らを「馴染みのお客様だ」と言っていた。

なんだかおかしい。
実際、百川の料理の値段は、最下級でも1000文、最上級で2000文もするのである。
現代の価格にして1人前、約1万円〜3万円くらいのコースなのだ。

そんなところに、行儀もよく知らないような魚河岸の若い連中が常連になって出入りしてるなんてことが、あるだろうか。

やはりこれは噂通り、主人の百川茂兵衛が、宣伝のために戯作者に作らせた噺のような気がする。

 

幻の料亭・百川。

 

 







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