鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人 第33回『修善寺』

投稿日:

源実朝が

三代鎌倉殿となった。

あまりに歪な代替わり。

源氏の棟梁を巡る

駆け引きが、

再び始まろうとしている。

髑髏の誓い

源義朝の骸骨が「証」だということ自体が、もう河内源氏が血塗られた存在だと象徴しているようなもの。「骨肉の争い」のメタファーです。

源頼朝(みなもとのよりとも・大泉洋)の父である源義朝は父・源為義を殺し、その源為義は父・源義親を追討し、当の源頼朝は鎌倉幕府を開く過程で、親戚・兄弟をほぼ皆殺しにした。

源頼朝の長男である源頼家(みなもとのよりいえ・金子大地)は鎌倉殿の地位を追われ、北条氏の手によって鎌倉政権は運営されていく流れが出来ました。

でも「征夷大将軍」の地位は武士のトップとして形式上、君臨していなければならないので、源実朝(みなもとのさねとも・嶺岸煌桜)を次に据えた。いずれこの源実朝も、身内によって殺されます。

それにしても、北条氏では征夷大将軍にはなれないんですね。
政権奪取は「実質的に」やるだけで、「易姓革命」は決して起こらない。
「鎌倉殿」は貴族である源氏でないと、血筋が届かない。冠位が足りない。

名より実を取るような、京の風習には馴染まないような坂東武者たちでも、権威や血脈というのはもう、自然法則の一つであるかのように信じてたということです。源氏や平氏の戦いはいろいろあるがそれは帝が都に永久に(永遠の昔から)おわすことが前提であって、常識というか現代で例えて言うなら「DNAレベル」で納得していることだったんでしょう。

北条氏の後ろ盾で源実朝が鎌倉殿になり、北条時政(ほうじょうときまさ・坂東彌十郎)が「執権別当」に着任しました。
そして北条時政が武士たちに「起請文(きしょうもん)」を提出させるように言い出してましたね。
鎌倉殿の力はすでに全国に及んでいますが、西国に至っては「平家に従ってたけど今はとりあえず源氏に」というような感覚もまだ根強く、そう思うと全国規模では「まだどうなるかわからんよね…」って思ってた人、かなりいたはずです。

起請文とは誓約書のこと。

ちょっと脱線します。

熊野権現に誓いを立てる熊野牛王符(くまのごおうふ)は、「破ればたちまち血を吹いて死ぬ」と言われる恐ろしい霊験のあるもの。同時に、熊野でカラスが1羽死ぬそうです。

「三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい」という有名な都々逸(どどいつ)があります。
これは高杉晋作が遊女に贈ったものだそうですが、カラスは朝になると鳴くので、帰らなければならないことを嘆いたもののようです。

「三枚起請」という落語(元は上方落語から)のオチは、

「おい、徒(あだ)に起請を一枚書けば、熊野で烏が三羽死ぬっちゅうで。お前みたいに起請書き散らしてたら、熊野中の烏が死ぬやろなぁ」

「熊野中どころか、世界中のカラス殺したいわ」

「なんでーな?」

「わても勤めの身……、カラス殺して、ゆっくり朝寝がしてみたい」

という流れです。
江戸落語だともう少しあっさりめな感じ。

このオチ自体、上掲の高杉晋作の都々逸のモジり・シャレなのだそうです。
「カラス⇄朝寝」という連想は、明治以降の人らにとっては国民常識のようなものだったんでしょうね。

「起請文」というものの存在ははるか奈良時代くらいの昔から、広く庶民にまで知られていたそうです。
その効力がどうこう、というのはもちろん、信心の深さによるのでしょうけれど。

そして時政は、比企氏を滅ぼして、武蔵国を手に入れました。
武蔵国というのは現在で言えば東京・埼玉、そして神奈川県の一部を含みます。
※「フォトさいたま」より
https://www.photo-saitama.jp/geography/musashinokuni.html

埼玉県南部の都市を紹介するときに、よく「ほぼ東京」という言い方をしますけれども、江戸時代に凄まじい発展をするまでは、東京と埼玉は全く同じレベルの、ひとつの場所でした。つまり東京は「ほぼ埼玉」であり、武蔵国がもう「ほぼ埼玉」です。

北条ヨシトキ(小栗旬)の不安を見透かすように、このままではあの父親の専横が過ぎて大問題に発展するんじゃないか…という忠告を、三浦義村(みうらのよしむら・山本耕史)がしてましたね。そもそも父親のウカツなところも知悉している北条ヨシトキは、いつそれが表面化してもおかしくない、とすでに考えていたはずです。自分がそれを抑えて、うまく立ち回らねば…と。

そして裏に、りく(牧の方・宮沢りえ)がいることも知っている。
あの毒女、なんとかせねば…とも。

そして最大の懸案の一つが、修善寺(しゅぜんじ)に押し込めた、源頼家の処遇でした。
生かしておくと(北条氏にとって)良いことが起こるわけがない。だからと言って「ハイ、会議で決めましょう。死んでいただくのに賛成の方、挙手を」とかいう公明正大なことは本来、できるわけがないんです。

黙って暗殺、しかないんです。
殺さないと、政権奪取に集まる人らが出てくるに決まってるから。
「修善寺殿の13人」を作りかねないから。

そもそも鎌倉殿は、鎌倉に将軍の「近衛兵」とか「親衛隊」とかを持ってないんですよね。
将軍1人が独断で動かせる軍隊、というものがない。
つまり鎌倉軍とは、御家人たちのそれぞれ抱える兵士の集合体のことを指します。
権威はあっても、実質的な暴力は将軍にはなく、御家人しか持っていない。
もし源頼朝が生きてた時代に「鎌倉殿オリジナルの、鎌倉在住の精鋭部隊を編成する」とか言い出して実践してたら、権力争いはまた違った感じになってたかも知れません。

平賀朝雅とは何者か

なんだか公家かぶれの嫌なやつ、という人物設定(演出)の平賀朝雅(ひらがともまさ・山中崇)という男、この人はもともと源氏です(義光流)。
平賀朝雅の父・平賀義信は源義朝の麾下で戦い、源頼朝の信頼を得ていた人なんですね。
比企側にも縁のある人ですが、「比企の乱」では北条方についていました。

この時点で「京都守護」をやっているということは相当に信用され、血筋にも申し分ないと認定されていたということですね。後鳥羽上皇(ごとばじょうこう・尾上松也)のおぼえもめでたかったそうなので、人物としてはかなり「やる男」だったんでしょう。父・兄に次いで武蔵守に就任していることから、在郷領主である畠山重忠(はたけやまのしげただ・中川大志)とは「実際の支配権」をめぐって、対立する立場にあります。

母の願い

なんだかもう「鎌倉殿の13人」については誰も言わなくなってる雰囲気ですが、そこに入っていなかった三浦義村の存在感が爆上がりしてきていますね。
なにせ鎌倉幕府に一番近い距離に、大軍を持っているのが三浦氏。
三浦が味方になってくれないと、軍事的に死ぬのが鎌倉。

彼を含めてなんとなく「元13人」が1箇所に集まって会議してるシーンがたびたび出てきますが、あんなことはあり得ないと思います。
北条氏がみんなと、相談なんかするわけない。

北条政子(ほうじょうまさこ・小池栄子)は次男である源実朝に「和歌をやらせたい」と言い出しました。
のちに「金槐和歌集」を編むほどの和歌の名手となり、小倉百人一首にも選ばれるほどになる源実朝の、本質を見抜いていた母。

でも北条政子は子を思うあまり、忘れてしまっていたのかも知れません。
彼が怪しげな髑髏に象徴される、血塗られた血統であることを。
殺さなければ殺される、略奪と殺人の世界の頂点に立ってしまっているということを。

それにしても実衣(みい・宮澤エマ)のあの態度はいったいなんなんでしょう。
まるで源実朝を、囲い込んで孤立させるかのような振る舞い。

北条政子が考えて画策することと、周りとの乖離が出来てしまっている現状。
尼御台である自分でも、将軍は救えないという無力感。
初代から、自分を置いて家族がどんどん旅立ってしまう哀しみと恐怖を、政子は抱えています。

その政子を「あのオナゴ」と呼ぶほどになってしまっている源頼家。
そして武蔵国をめぐる争い・対立を、源頼家は利用しようとしています。
窮地に立っている立場を後鳥羽上皇にさえ利用され、もう「面倒の種」としか言えない存在に育ってしまいました。

懊悩の末に源頼家殺害の決断をした北条ヨシトキでしたが、北条家の良心・北条泰時(ほうじょうやすとき・坂口健太郎)との親子の叫び合い、なんだか毎回恒例になってきた感がありますね。冷酷な殺人官僚となるしかなかった自分と、世情に翻弄され苦しむ息子を「かつての私」と見て育む北条ヨシトキ。

そして兄・北条宗時(ほうじょうむねとき・片岡愛之助)が持っていたあの宝石を、善児(ぜんじ・梶原善)の小屋で見つけてしまいました。
北条ヨシトキの苦しみは、もう暗殺の実行部隊を「必要な男」と呼ぶほどのまでになってしまった自分の心の痛み。そりゃ運慶(うんけい・相島一之)に見抜かれるわ。

今では考えられない身分の差があった時代、善児は、人権など微塵もないクラスの人です。
「下人」と呼ばれる、かんたんに言うと奴隷身分の人。主人の好きなように扱っていい人。

身分が違いすぎて、例えば貴族にとって下人は「人間ではない」んです。
貴婦人が家に仕える下人の前で全裸になっても、羞恥心は発動しません。
なぜなら飼い犬の前で裸になるのと同じだからです。モノと同じなのです。
さまざまな芸術的技能を持っていても、差別され蔑まれる身分です。
「日本には奴隷制度はなかった」とはよく言われることですが、残念ながらそんなことはありません。

「奴隷制度の定義」が、欧米と違うだけ。

事実は事実。『大航海時代の日本人奴隷』

殺人マシーンの最期

背中を切られてもたいして痛がってない彼は、やはりかなりの特殊能力の持ち主だったのでしょうが、しばらく預かり、生まれて初めて親愛の情を持った対象である「一幡」の文字を見て著しく動揺。
命を落としてしまいます。そして、恨みが恨みを呼ぶ裏の世界。
身分の激しい差ゆえに、彼らが実在の人物であっても、歴史には残りません。

ドラマでは激しい戦いの末に源頼家は殺された、という表現でした。
『吾妻鏡』には「当国修禅寺に於て薨じ給ふ」としか書いてありません。

しかし天台座主・慈円(じえん・山寺宏一)が記した『愚管抄』には「トミニエトリツメザリケレバ、頸二ヲヲツケ、フグリヲ取ナドシテ」殺した、と書いてあります。

「トミニエトリツメザリケレバ」というのは、「すぐに命を奪うことはできなかったので」という意味です。源頼朝が「成人するまでは武芸以外はさせるな」と命じたほどに武に優れていたと言われる源頼家。なまなかの刺客に、そうそう簡単に殺される人ではなかったのでしょう。

頸(首)に紐をくくり、キンタマを引きちぎって殺した、という現代でもあまり聞いたことのないやり方で殺された様子。これはいったいどういうことなんでしょう。

もちろん京で事後に、伝聞の伝聞を書き記したんでしょうが、これは二代将軍の最期が「なんだかそういう感じだった」という表現でもあるわけですよね。

ただ「詰められて、立派に武士として自害した」のではなく、なんとなく「見苦しく抵抗してめちゃくちゃにされて、みっともなく死んだ」みたいな感じになってる。

暗殺の当事者しか知らないはずのその描写を、その噂を、じゃあ流したのは誰なんだ…っていうところですよね。

 

今回の『鎌倉殿の13人紀行』は、ここでした。

源頼家の墓

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