見たもの、思うこと。

事実は事実。『大航海時代の日本人奴隷』

大航海時代の日本人奴隷 (中公叢書)

アジア・新大陸・ヨーロッパ。

これって、ぜんぜん習った記憶のないカテゴリー、ですよね…。

「日本人奴隷」。

奴隷と言えば、新大陸へ、アフリカから連れて来られた黒人たち。
アメリカ合衆国という国は「ネイティブ・アメリカンを1億人殺し、アフリカ人を1億人連れてきて出来た国」とも言われています。

奴隷と言えば、古代ローマの奴隷たち。
ローマ市民権を得たり「解放奴隷」として技術を売ったり、それなりの資格を持つことを許されて生きていた身分。

奴隷と言えば、古代の中国から始まり日本にも輸入されました。「奴婢(ぬひ)」と呼ばれていました。「奴(ぬ)」が男性で、「婢(ひ)」が女性。

奴隷言えば世界的に見れば、身分制度として同じ国内で、同民族で使役した例もあれば、他国を攻め、占領し侵略して、異民族を連れてきて労役を課した場合もある。

 

日本にも奴隷はいた。

なんとなく「日本人はそんなことしないよ!」的なイメージを現代の我々は持っていたりしますよね。この間、ニコ生で紹介したとき、コメントに「日本は鎖国してたからそれは違う」という反応をしてくれた人がいるんです。やっぱり、そういうイメージですよね。日本人に、まるでアフリカの奴隷海岸から連れていかれた黒人みたいな悲惨な歴史はない!みたいな。

理詰め&BLUES + 〜◯◯なき◯い〜

ぜんぜん、そんなことはない。あるんです。

そういう時代ですから。
戦国時代、他国領で捕まえた領民を奴隷として使う、もぜんぜん普通(『乱妨取り』と言う)。

そして日本国内で賎民として扱われてきたそういう奴隷以外に、「外国人に売り飛ばされた人」としての奴隷、も存在しました。

これがこの本に載ってるんです。
あまり日本側には確固とした資料はなく、今まで、私が先ほど言ったように「んなこと、日本にゃ無いよう!」みたいな、無邪気な歴史観が漂っていたのだそうです。教科書に載ってなかったはずだ…。

 

だって、「外国側から」、発見されたんですから。

どこの国にしたってやっぱり人身売買は現代の感覚からするとあまり自慢できることではないですから、積極的におおやけにはしたくない、みたいなバイアスもかかるんでしょう…ということはもっと時代が進んで、意外な形で資料がさらに発見され、日本人奴隷についての研究が、さらに進むこともあり得る、ということですね。

長崎にいた外国人、ポルトガル・スペインのキリスト教関係者、貿易商などが、日本の斡旋業者から奴隷として人を買う、は当たり前に行われていたということです。

それがマカオやマニラ、インドのゴアを経て、スペインへ連れて行かれたり。スペイン領だったチリやアルゼンチンにまで到達していたり。

もちろん土地によるでしょうが、我々のイメージでは黒船が現れた幕末、「ウワァア外国から異人がきたああ!」と、まるでアンドロメダから宇宙人が現れたような衝撃があったんじゃないか、と思ってしまってますよね。

だけどすでに、我が子を困窮から外国人に売り飛ばし、または外国船で遠い異国へ行った知り合いがいる、みたいなことは、戦国時代以前から、あったのでしょう。

それには「日本→外国」と同様に、「外国→日本」のパターンもありました。

 

信長の黒人奴隷

織田信長は宣教師の連れていた黒人奴隷を面白がり、「弥助(やすけ)」と名付けて連れて歩いていたそうです。
本能寺の変でも、彼はすでに家督を譲られていた信忠に「親方様自害」の急を告げるべく、二条城へ走って加勢しています。身の丈180cm以上あったと言われています。

信長が殺されずに織田の天下が続いていたら、「弥助」はさらに取り立てられ、本邦初の「黒人大名」が誕生した可能性もある。当時としては驚天動地でしょうが、もしそうなっていたら、幕末の外国人への偏見も、全国レベルでもっと小さくなっていたかもしれませんね。

 

日本人を誰が売るのか

日本人が奴隷として海外へ売られた場合、日本名はもはや意味をなさず、改名させられています。「日本人奴隷」ということが、名前の下に書いてあるだけ。洗礼を受けさせキリスト教徒にしてから労働させる、が常識だった。

…ということは、売られるときには非キリスト教徒だったということですよね。
ここで思い出すのは隠れキリシタンとか、長崎を中心に有名な、当時のキリスト教徒たちのことです(大名を含む)。

キリスト教の原理からすると、当時は「キリスト教徒以外は人ではない」的な扱いをしちゃっても構わない、的な解釈があるわけですよね、極端に言うと。

キリシタン大名からしてみると、戦国のならいとして他領を占領しても自領で犯罪人(やその子供)を捕まえても、キリスト教徒でなければ構わず海外へ売り飛ばすする、ということが可能になる。となるとどんな産物を作るより、非キリスト教徒が「売れる商材」になる。人身売買を責めるのは現在からは簡単ですが、当時は「人権意識」などない時代。

「売るため」には改宗させて…もあったかもしれない。

「隠れ切支丹は迫害されたかわいそうな人ら」とだけ見るのは、それはそれでもっとかわいそうな人らを見捨てることに、なりそうな気もしてくるのです。

隠れ切支丹ンの人たちは、多少なりとも「キリシタン以外は神に帰依せぬ魔」というような価値観を持っていたでしょうから、非キリスト教徒には何をしたって良心に呵責はない。

…いや、本当はそんなことないと思います。
同じ日本人なわけですし、そこは同情も悲哀もあっただろうけれど、どこかで「商売に転化する論理」としてキリスト教が使われていたのかもしれませんね。

 

日本から輸出された、多くの日本人たち。

 一六二一年三月六日、日本人で奴隷身分の二人の女性ウルスラ・ジャポーナとドミンガ・ジャポーナが「魔女」であるとして告発され、その報告がフィリピンからメキシコへ送られた。ウルスラはドゥエナン・イザベル・デ・モンテネグロという女性の病気を治す依頼を受けた。ドゥエナンがウルスラに症状を詳しく説明したところ、ウルスラは、病気は呪いのせいであると診断した。そしてウルスラは、呪いの主として、モンテネグロ家の奴隷を言い当てた。
本件に関する報告書からは、ウルスラ・ジャポーナには過去を読む力があり、依頼者の手相を読み取るだけで未来が予測できると信じられていたことがわかる。唯一「手相読み」があたらなかったのは、逃亡した黒人奴隷についてであった。

(中略)

また別の例として、一六二二年三月一七日、外科医ファン・デ・イアソゴアラは、日本人フランシスコ・デ・ハポンを「呪術師」として告発した。フランシスコは、ファンに一種の薬草を渡し、それをファンが恋する女性に与えれば、その女性もまた彼(ファン)に惚れるだろう、と伝えた。

p.104〜p.105

変わった日本人が記録されたものです。
「魔女」として。
「呪術師」として。
まじないや占いが得意だった人がいて、記録に残ってるんですね。

 

世界に、少数ながら散らばっていた日本人。

奴隷とは言っても、すべての人が過酷なだけの人生を歩んだとも限らないそうです。
遠い地で、自由を得て、幸せになった人もいたのかと思うと、なんだかロマンを感じたりもしますよね。

あとは、「日本人は苛烈なことはしない!奴隷制度もないから!」というイメージで、人身売買で同朋を売り飛ばすようなことはしないと決めつけてしまっているフシのある歴史感覚に、すっかりと風穴を開ける必要はあるな、とも感じます。

・あったことはあった。それは向こうの資料に書いてある。
・なかったことはなかった。それはいくら調べても一片の証拠も出てくるはずのないこと。

ここで1500年代のことについて「広義の強制性」を問うこと、「人権意識」に立脚して責めること、などは意味もないとは思います。

が、つい70年ほど前の「いわゆる従軍慰安婦問題」についても「広義の強制性」を元手に贖罪を求めるのは、やっぱり幾ら何でも無理筋なんじゃないか、と、改めて思う次第です。

 

 

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