第28回「名刀の主」をご覧いただきありがとうございました。
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※配信期限 : 7/31(日) 午後8:44 まで
※要ログイン#鎌倉殿の13人#中村獅童 pic.twitter.com/Iuz91JK9vx— 2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」 (@nhk_kamakura13) July 24, 2022
若き鎌倉殿を補佐する
十三人の御家人たち。
父頼朝を超えようと
もがく頼家は、
不信感を募らせていく。
無駄な時でござった
13人が集まってモロに会議してましたね。
流石にこのシーンは捏造してでも、見せておきたいところだったのでしょう。
13人はもともと、利害が衝突する立場の、言ってみれば独立した会社の社長たち。それぞれの事情や利権が入り乱れて意見百出するのは最初からわかっており、みんなで集まって統一の意見を作るなどは不可能なのです。その道理を押さえ込むのは「鎌倉殿の権威」。「13人全員会議」であらゆる評議をしなければならず、いちいち紛糾するたびに「評議をやり直す」とかやってたら1日が240時間くらいあったとしても足りません。「問注所」を作った意味すらない。「全員で会議した事実」は存在しないようですが、初代にはなかった組織が2代目の時に作られたということは、もうそれ自体がおぼっちゃま将軍(この時点ではまだ将軍ではないが)のプライドを、いたく傷つけたのかも知れない。
女らの密かなド欲求
結城朝光(ゆうきともみつ・高橋侃)が実衣(みい・宮澤エマ)と親密に話しているのには理由があるようです。これはつまり、「実衣しか聞いていない話がある」ということを表してるんですね。
それが「忠臣は二君につかえず」という言葉への内省だった。
普通ならそんなつもりはありませんでしたで済むはずが、済まなくなった。
その処断が、梶原景時(かじわらのかげとき・中村獅童)の手に渡ることによって、苛烈なものになろうとしていました。え?言ったか言ってないかも定かじゃないのに、死罪に…?
ところで、源頼家(みなもとのよりいえ・金子大地)が、古代ローマのカリグラ帝のごとく暴君ぶりを発揮する様子が過剰に描かれることになるのは、原作が『吾妻鏡』だからなんですね。吾妻鏡は、北条家(執権を世襲した得宗家)の正当性がまず、とても大事なので、「得宗家がやってきたことの正当化」がそこここに仕掛けられています。幕府の実権を握ることに成功した北条家によって追われることになる二代目将軍は、「暗愚」でなければならず、「暴君」でなければならず、「ぜんぜん言うことを聞かないバカ」でなければならない。屈折したコンプレックスを、暴力で発散させようとする源頼家。
梶原景時は言ってみれば、源頼家の数少ない気持ちの発散のために、結城朝光を生贄にしようとしたのではないでしょうか。「鎌倉殿」の威信を内外に対してキープするための、彼なりの苦肉の策だった。厳罰が通る、自分の威厳が勝つ、というイメージとプライドの維持を狙った。
それにしてもこれって、黙っていればよかったのに、実衣が誰かに喋った話ですよね。
実衣による「舌禍事件」と言ってもいい。
立ち上がる御家人たち
御家人筆頭のような立場から、梶原景時を引きずり下ろす…結城朝光を救いつつ、それを実行するために、連判状を作成することに。それを立案したのは、結城朝光から相談を受けた三浦義村(みうらよしむら・山本耕史)だったのか…。この行動力と立案能力。それなりの求心力がないと梶原景時にやり込められてしまうので、やるなら一気に全力で、という感じだったのでしょう。
67人の署名を集めた弾劾状、そこから北条時政(ほうじょうときまさ・坂東彌十郎)の名前を巧妙に切り取ったりく(牧の方・宮沢りえ)。両方にベットし、巧妙な権力の綱渡りを成功させたつもりの、権力欲に狂った女の浅知恵です。この様子を和田義盛(わだよしもり・横田栄司)らに見られていることが、いかに北条時政への不信感を芽生えさせることになったか、彼女はぜんぜん理解していない。
連判状は鎌倉殿・源頼家に差し出され、梶原景時は北条政子(ほうじょうまさこ・小池栄子)の慰留もありましたが、解職・謹慎が申し付けられました。
というか66人もの署名を集めた連判状で何かが変わってしまうというのがもう、「13人の会議」がなんら最高意思決定機関としては機能してないことの証拠のような気がするんですが、いかがでしょう。
そして後鳥羽上皇(ごとばじょうこう・尾上松也)からの手紙。
京へ昇って朝廷に仕える道、というのは、本当にあったんでしょうか️。
鎌倉幕府として、都との連絡役として彼ほど役に立つ人はいないと思うんですが、そういう使い方はできず、源頼家は彼を流罪にしてしまいます。上洛に際し、源頼家の嫡男・一幡を人質に取りました。イヤイヤ、そうなったらもう誘拐です。
そんなことをしてしまえば本当に、モロに、ただの謀反人になってしまいます。
なぜドラマでは、そんなことをしなければならかったのか。
やはり「ここまで二代に渡って重用されてきた重鎮が、急にみんなにひっくり返されて最終的には一族もろとも殺される」という流れに、現代人の我々が納得がいかないからなんですよね。
鎌倉武士が持っている「殺して解決!」という短絡が理解できないから、ドラマとしては色々と納得するための道筋が必要となる。それくらい、あっさり殺されてしまう御家人たち。恨みも動機も、そんなにあるようにすら見えない。
拝領の
頭巾、梶原
縫い縮め
こういう川柳が残っています。
これは、梶原景時が源頼朝(みなもとのよりとも・大泉洋)に重用され、頭巾をもらうほどの関係性だったこと、それと同時に、偉丈夫であったはずの武将・梶原景時が、そのサイズを「自分がかぶるには縫って小さくしないといけなかった」ほど、源頼朝は巨頭であったことを皮肉っている内容になってるんですね。
江戸の小咄を集めた『再成餅』(ふたたびもち)には、こんなエピソードが載っているそうです。
回向院に開帳あり。
「霊宝は左へ左へ。これは頼朝公のかうべでござい。近う寄つて拝あられませう」
参詣の人聞いて「頼朝のかうべならもつと大きさうなものだが、これは小さなものぢや」といへば、言立の出家、「これは頼朝公、三歳のかうべ」。回向院で、秘仏を見せるご開帳イベントがあった。
「珍しいお宝は左にあります、ご覧ください。こちら、源頼朝公の骸骨でございます。」
参詣に来た人がそれをみて「頼朝の骸骨なら、もっと大きいんじゃないの?これはずいぶん小さいね」と言った。
案内人を務めるお坊さんは「はい、これは頼朝公、三歳の頃のシャレコウベ。」と言った。
笑い話です。
『源平盛衰記』には「顔が大きく、背が低い」と、源頼朝公のことが書いてある。
それでいて 「顔立ちは、美しく、姿は、おくゆかしく雅である」と褒めてあるそうです。もちろん、人の姿やその優劣などは時代によって基準が変わるものです。現代の美人と言われる人を平安時代に持っていって、同じように称賛を浴びるとは限らない。
裏の権力移譲
あまりにもあっさり譲られた、恐怖のリーサルウェポン「善児(ぜんじ・梶原善)」。
殺戮マシーンが北条ヨシトキ(小栗旬)に、簡単に誰でも暗殺できる道具が渡りました。
これは北条ヨシトキが「13人会議」以外の権力を手にしたことを意味します。
尼御前として君臨する北条政子との姉弟ラインはまだまだ健在で、その中で善児のような影の実行部隊は、北条政子にとっても有用なものだったでしょうね️。いざという時、誰でも殺せるから。
今週の『鎌倉殿の13人紀行』は、ここでした。
梶原景時館址
清見寺
建長寺