トラベルミン、マジで必需だった。
おまじない的にも絶対必携だった。
子供の頃、バスがすごく苦手でした。
観光バス。
なんだろう、あの独特な車内のにおい。
今ほど綺麗でも快適でもなかったんでしょうね、どこからか回り込んで入り込んで来る排気ガスのにおい。
シートに染み付いたにおい。
そして揺れ。
大きなタイヤが回っている音。その振動。
もう、「観光バスで長距離」と聞かされるだけで、ウエップ少し気分が悪くなるぜ…というくらいでした。
小学校二年生くらいの時、岡山県(高梁市)のキャンプに一人で参加しました。
そのキャンプでは着いたその日に、さらにそれぞれオプションのレクリエーションがあり、自分は「川下り」的なところに参加し(たんだと思う、違う記憶が混じってる気もする)ました。
キャンプ場から移動するのが観光バスで、とうぜん山道はかなりのくねくね。
かなり前の方の席に座らせてもらっていたのですが、ダメだった。
7、8歳だった少年はもう、体の中身全部出るのではないかと思うくらいに吐いた。
トラベルミン飲んでたけどその時はもうダメでした。
なぜか一緒に鼻血が出た。
周りの、全員初対面の大人たちも慌ててた。
そりゃそうですよね。
私の席の足元が地獄のように汚れていたから。吐瀉物と血液。
そこでバスは止められ、みんな足止め。
キャンプ本部から特別なお迎えが来たような気がする。
そこからの記憶はなぜかあまり無い。
持たされていたお弁当のことも誰にも言えず、2日後、食べずに家まで持って帰った。親も驚いていた。
とにかく楽しくなかった。
この断片を追うと、ものすごくナイーブな子供時代だったように思われてしまいますね。そうでもなかったのに。
乗り物酔いが怖かったです。今でも少し怖い。
大人になって、高速バスによく乗ってた時期がありましてその時は「2日くらい徹夜して、乗ったらすぐに熟睡できる状態」で乗ってました。
起きてると酔うかもしれないから。
それでも「起きたらすでに酔っている」みたいな時もありましたけど。
船?バスがダメなら船なんて…という思い込みは、今でも強いです。
乗船時にはいつも「大丈夫かな…」という懸念がよぎっている。
なかなか大人になると、船はやめましょうよ、とか、言い出せないですし、漁船で沖合まで行くというような本格的な釣り趣味には憧れますけど、「まあ、無理だろうな」と内心思っているところはあります。
脱北して日本海へ漂着するとか、アイツらすごいな。
乗り物酔いのしやすい人はどんな人?
追手門学院大学の研究チーム(乾敏郎教授、心理学部4年の寺前ひかりさん、杉浦優衣さん)が、「乗り物酔いをしやすい人は、他者の視点を知覚する能力が高い」ことを実験で、明らかにしたそうです。
「他者の視点を知覚する」って、どういうことなんでしょう。
お借りした、図があります。
このページからお借りしました。
https://digitalpr.jp/r/25413
「あの人の視点に立つ」ってことですかね。
想像して、あの人が見ている景色を自分が見ているみたいに感じる、っていうことなんでしょうか。
乗り物酔いには頭の中にある「前庭(ぜんてい。前庭器官)」、そして「三半規管(さんはんきかん)」が関係していることがわかっています。
ああ、フォスフォフィライトも「三半!」て呼ばれてたな。関係ないけど。
優しい人ほど乗り物酔いするってことか(違うか)
これらは、「直進運動、回転運動、あるいは運動の速度などを感ずる感覚器」なんですね。体の平衡感覚を司(つかさ)っている。
この器官の感度が高いと、乗り物酔いしやすいんです。
子供の頃の私は、極度に感度が高かった(それは優しかったってことかな?)。
実験では、乗り物酔いしやすい人とそうでない人を集めて、その中で「他人の視点に立つ能力の高い人」の割合を出してみたと。
すると
身体の平衡感覚をつかさどる前庭および三半規管の感度が高い人(いわゆる乗り物酔いをしやすい人)は、そうでない人よりも「他者の視点を知覚する能力が高い」ことが裏付けられた。
と。
「人の痛みを知る人になりなさい」と言われているような世間だったりしますが、実物の人生においては「人の痛みを己の痛みとし、優しくする」のではなく「人の痛みなどわかるわけはない。だからこそ優しくするのだ」方が合理的で汎用性が高いように思われます。
でも「人の痛みを知る人になりなさい」が慣用句になる、というのにも歴史的に、たぶん理由があったわけですよね。
つまりこの実験でわかったように最初から、「それが得意な人と、そうでない人がいる」ということですね。
強引かも知れませんが、「前庭と三半規管が敏感な人と、そうでない人」という区別が、そのまま当てはまるわけですよ。
幽体離脱の原因がこれ!?
そしてこの実験では、面白い知見を発表されています。
いわゆる「幽体離脱」も、この延長線上にあるのではないか!?という。
脳のある部位が損傷することで、他者がいないのに無意識のまま前庭および三半規管による身体を動かすシミュレーションが発生してしまい、あたかももう一人の自分が別のところにいるように認識してしまうことと説明できる。
とのこと。
つまり「前庭」と「三半規管」が、「今、自分の体はどこにある?ここか?どこだ?おお、ここか…」みたいな実験とシミュレーションを勝手にやり始めてしまい、それなりに知覚できるグレードで、脳内で再現しちゃうんですね。
それが体験となって記憶になる。
そんなの、体験としては「幽体離脱しました」と断言できるレベルの衝撃だと思うんです、そのメカニズムが、解明されかかっている。
大変面白いし、有意義な実験ですね。
ありがとうございます。
乾敏郎教授
https://www.gyoseki.otemon.ac.jp/oguhp/KgApp?kyoinId=ymkgyogeggy