最後の退却戦を戦う鉄華団。
「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」第50話『彼等の居場所』先行カット紹介、画的にはこれがラストです。
「絶対にたどりつく…オルガの目指した場所へ…!」(制作P) #g_tekketsu pic.twitter.com/vsMuCKdwq1— 機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ (@g_tekketsu) March 31, 2017
ガンダム・フレームの二機がギャラルホルンのモビルスーツ隊のすべてを迎え撃つ中、あのイオク様が、(結果的に)アダ打ちをされるために出陣…けっきょく死ぬんかい!!!
禁忌兵器の一斉使用で、バルバトスらがやられてしまいました。あの兵器すごすぎる。あれあったらなんでも終わる。
そして三日月の原風景、精神世界。
彼には、多様な未来を描く能力が欠けていた。最初から、明るい将来を築くために、やるべきことを選ぶ能力はなかった。
突出した戦闘適合能力と、ガンダムとの出会いがなければもっと早く彼は死んでいたかもしれないけど、本当にああやってアキヒロや三日月は、死ななければならなかったんでしょうか。
どうにか、やろうと思えばなったんじゃないか、という気持ちになってきます。
三日月はガンダムに乗らずに野良仕事してれば、別にそんな活動的な野心もないんだし。
「降伏」という選択肢を選ぶことができなかったのは、なぜなのか。
それを許さなかったのは「オルガの遺志」という呪縛でしょう。
言い換えれば「仲間たちの絆」。
これらがこの物語の一本筋だったわけですが、もう一方の軸は、敵をして「バケモノ」と言わしめる三日月・オーガス、そして阿頼耶識システムの怪だったような気がします。
「無意味な戦いに大義はない」というようなセリフが出てきましたが、三日月には「大義?それって意味あるの」という逆説しか産まなかった。
戦争は大義を旗印に起こされます。具体的には「自国民の安全」「領土の安寧」「治安の維持」など。大義がないと戦争は起こせません。大きな目標、大きな言葉、どんな意見もすっぽり入る抽象的な大きさが必要です。
「正義のために!」という大義には、なんでも入ります。反対派だって入れますからね。
だから全く利害の対立する相手も、同じ文言の大義を手に戦うことができる。
ギャラルホルンに翻弄される形で戦い続けた鉄華団は、その「大義というものの脆(もろ)さ」を体現してくれていましたね。
けっきょく復権したギャラルホルンはトロイカを廃止。
騒動を収拾したラスタル・エリオンは組織のトップに、民主的な組織に改変されて行くんでしょうか。
火星はクーデリアを戴いて独立。クーデリアは、忘れられた鉄華団のシンボルを形どったピアスをしてましたね。
生き残った鉄華団のメンバーはそれぞれに生き方を決め、火星や地球で活動しているようです。
それでも、火星が地球を離れた文化圏・経済圏を確立するとなると、地球からの支援なしでは成立しない段階では何も起こらないでしょうが、それなりの成長率を経て豊かになってくると、自前での防衛手段も必要になってきて、それは武力の増強になり、平和条約の締結された時代が遠い過去になった頃、新たな火種ができてしまうのでしょう。
そうやって、世界の歴史は進んできていますよね。
多人種・他民族が混合することが当たり前になっている時代であっても、覇権を得ようとするマクギリス・ファリドや、クーデリア・バーンスタインがブロンドの白人系だという事実は、アニメだとはいえ、我々がまだイメージとして「世界を動かしているのはそういう人たち」という欧米文化に、憧れを持っていることの証拠だったりはしないでしょうか。
まだ、ギャラルホルンを「バエル」でひっくりかえそうとしたマッキーの騒動は「マクギリス・ファリド事件」と矮小化されてしまっています。それはギャラルホルンが、「あれは単なる跳ねっ返りの、男娼上がりのクーデター未遂」みたいに貶めておこうという意図があるからですね。
実際は、そのバエルはさらに保管されることが決まって元の場所に戻されていました。
それはアグニカ・カイエルによるギャラルホルン創始の神話が、綱紀粛正や教育に有用だということの証拠でもあります。
鉄華団が破れ、バルバトスの首部分を剣に刺して掲げる、みたいな示威行為が当たり前な「武断時代」が終わり、これからはまた圧倒的な統一された武力による「文治政治」の時代が始まるんでしょうか。
そうは思えません。
まだ、それぞれがそれぞれに、静かな恨みを持って生きているから。
その世代が、歴史を学び、故郷を愛し、哲学を鍛えることで、相容れない敵がこの世にいることを知る。
実際の世界では、要素としてそこに「宗教対立」や「貧困」が加わる。
中東で起こっていることや東欧で起こっていることと比べると、日本て「憲法9条を守っているから平和だった」と心の底から信じているバカな人たちがたくさんいて、たぶんそういう人らがこの「鉄血のオルフェンズ」を通して観たとしても、第一シーズンの頃の少年たちのことなんか忘れて兵器で「武器を捨てればいいのよ!愛が足りないのよ!戦争やめろ!SAY!」とかいう感想しか持たないんだろうなぁ、と、ため息が出ます。
主要登場人物たちにハッピーエンドは訪れませんでした。
今思うと、オルガ・イツカが街で撃たれて殺されましたよね?
あれって、マクギリスが命じたんじゃないですか?
遡って見る必要はありますが、確か「どうする?俺たち鉄華団!」みたいにオルガたちが言ってる時、同じ船に乗っていたはずのマクギリスが、急にフッと数日、いなくなった時がありましたよね。あの時に、そういう策(オルガを殺させて鉄華団の少年たちを暴走させる)を思いつき、実行したんじゃないかと。
所詮、鉄華団を捨て駒にしか考えていなかったことは、前回、自身がガエリオと対峙した時、彼ら鉄華団のことなどは一切口にしなかったことでもわかります。
平和がおとずれ、「ヒューマンデブリ廃止条約」が奴隷解放のような形で成立したのは良いものの、植民地扱いである火星は、経済発展をするためにどんな策を打ち出すのでしょう。
なんだかスッキリしない形で「未来へつなぐ」というエンディングになりましたが、かりそめの平和を描写することで、逆に不穏な先行きを感じざるを得ません。
肉を所望します。
全てを通して見直すには、Amazonプライムがよろしいでしょう。