金閣寺へは行けるか
嵐山によくいた。そこから思い立ち、金閣寺まで歩こうと進んだ。7kmくらいあった気がする。2時間くらいかかった。三島由紀夫などを少し読んでしまっていたのでそれもあいまって「これが金閣寺か…」と思った。三代将軍も脳裏をよぎった。そこからなぜか京都駅まで歩こうと思い立ち、進んだ。こちらも地図上では7km強くらいで、寄り道もするものだから時間はかなりかかった。なぜあんなに歩いていたのだろう。違う日には京都駅から宇治の小倉駅まで歩いたこともある。昔の人はこんな感じで毎日歩いてたんだな、というようなことはまったく思わずただ「もっといい靴を買うべきだな」という後悔を繰り返した。遠いなと思う場所も、一度無理をして歩いてみるとその距離感が、自分のサイズ感の限界になる。登山などはもしかすると、そこが快感なのかもしれない。
芸能記者はクズか
芸能人の芸能活動ではなくプライベートを追い回す仕事に就いてる人間が、まともな感覚なわけがない。写真週刊誌で有名なフライデーは講談社、フラッシュは光文社である。両社とも芸能人を追いかけ回すことや適当に思いついた嘘スキャンダルを書き殴るだけの本を出しているわけではなく、社会派ノンフィクションや国語辞典まで出版している会社である。辞書の編集をしている人などに「明日からアイドルのすけべ事情に貼り付け」という辞令が出たら、従うのだろうか。社員は全員、辞令に従う覚悟で働いているのだろうか。「それを知りたい」と思う読者がいるから雑誌は成立している。「その、知る欲求に応えるため」と会社が判断しそれに従ってタレントの私生活をコソコソ追い回している芸能記者は、二重の意味でクズである。身内は、泣いてすがって、今すぐ転職させるべきだ。
ヅラはダメか
ヅラをかぶっていることに対する嫌悪感と、ハゲていること自体に対する嫌悪感では、どちらが上だろうか。おそらく前者だと思う。なぜなら、そこには「ヅラをかぶることでハゲてないと思わせることに成功している」と思い込んでいる、低レベルの傲慢さがありありと感じられるからだ。ヅラは「帽子扱い」ならいいが「かぶってません」然とした瞬間、全世界レベルでの迷惑をうっすら放ち始める。災害が起こったら?水をかぶったら?行ける行楽地は?救急の場合は?風で飛んだら?など、周りだけが気持ちを削り本人は「フサフサに見えてますよね」とご満悦という、落差の激しい状況を醸す。できるだけ、ヅラはかぶらない方が良い。そのためにはまず「ヅラをかぶらない方が良いという精神状態」に、自分を育成していくことが大事だ。その育成は、毛根の育成よりもたぶん、大事なことである。
同和教育は謎か
部落差別について、近隣の地域を交えて学ぶ機会がとても多かった。被差別部落と呼称される町の子らにも当然だが友達は多く、駄菓子屋にも足繁く通った。歴史を知り地域差を知り、逆差別を含む現状の問題を知り、深い悲しみと怒りを感じながらも「寝た子を起こすな」という意見にも一理あるような気もして、語る機会はどんどん減っている。そもそもその問題をいっさい知らないという人が多いのだ。どんなことにしても「教育」として半ば強制的に認知させないと、自分から知るチャンスは今後、絶無になっていくだろう。テーマとして扱った映画やドラマがあったとしても、そこにはなんらかの意図が含まれている可能性も高い。ひどい差別は全世界にいくらでもあるが、部落差別は日本独特の形をしている。それを単なる歴史の通過点としてはいけない。今も日本に住む人たちの、すぐそばにある。今や発祥の根拠は謎に近いが、解決する責任は、生きている世代全員にあるのだ。
西城秀樹は永遠か
ヒデキが好きだった。ヤングマンの意味はよくわからないが、一緒に歌った。かっこよかった。コントに出演している様子も、本当にちゃんと面白い人だと認識できて好きだった。思えばその時代のスターは、お笑いの舞台に出てもキャーキャー言われてるだけではなく、キャーキャー言うファンに向けてだけ「面白いでしょ」という顔をして他のベテラン出演者が気を使って持ち上げているだけの現在のアイドルたちと違って、しっかり面白かった。脳梗塞発症から復活された頃だったか、コンサートを観に行ったこともある。声が素晴らしい。ヒデキは永遠である。