自論構築過程

ハンコってほんとに要らないのか、それとも要るのか

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印鑑の西野 手書き印影・手彫り仕上げ 屋久杉印鑑3本セット【ケース付】 15.0ミリ+13.5ミリ+10.5ミリ < 認印 銀行印 実印 > 判子/はんこ

 

ハンコに関する悲喜交交(ひきこもごも)がたまにトピックになったりして、「判子はもう、良いのではないか」という気分が広がっているという確かな感覚、出てきてますよね。

フィジカルな印鑑が無いと決裁が進まない…。
…どころか、そこには「ビジネスマナー」があったりするそうですね。

上司に出す印鑑は「左に傾ける」のがマナー? ネットは「狂ってる」「社畜魂だな」と大批判
https://news.careerconnection.jp/?p=18210

ほんとなんですかねこれ。ほんとなんでしょうね。
上司の方向に文字の頭(苗字の1文字め)が向いてると「お辞儀してるように見える」って、変を通り越しておもしろい。
じゃあ逆に傾けたら「上司に向かってふんぞりかえってる」ってことになるのね?

ということはもし上下逆に押してたら…そこは会社員としての常識・非常識っていう範疇なんでしょうけど、「上司がいるのに逆立ちしてる」とは思わないはず。まさにアクロバティック解釈。

どんな角度であろうが面従腹背、お辞儀しててもぺろって舌出してる態度だったりしたらリアルならアウトなわけで(ここでいう「リアル」が「ネット」との対義語では無いのがややこしい)、こんなのは上司が「恥ずかしい」と思わないといけない次元のものだと思うんですけどね。

でも、その世間で常識になってしまう(ローカルルールができてしまう)のは社会性動物たる人間としては、しょうがないところだとも思います。

これを「狂ってる」とか「社畜」とか罵ったとしても、自分は自分で会社内や町内会や家庭内で、非常識なローカルルールに縛られてたりするだろうし。

ハンコってすごい

判子には名前が書いてあるので、「その人が押した」という証明になるわけですよね。
これが基本。世界に一人しかいなくて、その人が決裁することが山のようにある場合は、物理的に他人が押せる(判子の複製が作れる)からめちゃくちゃ便利なもの、でもある(あった)。

例えば、皇帝が押す判子。
御璽(ぎょじ)と言います。

日本の天皇の証明である御璽。

正倉院宝物・東大寺献物帳(国家珍宝帳)。

紙の全面にまず押してあって、そこに説明が書いてある。
これは天皇の承認のもとに書かれたものである、という何よりの証明、なんですね。
偽造したら懲役です(未遂でも捕まる)。

第19章 印章偽造の罪
(御璽偽造及び不正使用等)
第164条
1 行使の目的で、御璽、国璽又は御名を偽造した者は、2年以上の有期懲役に処する。

2 御璽、国璽若しくは御名を不正に使用し、又は偽造した御璽、国璽若しくは御名を使用した者も、前項と同様とする。

現在は、宮内庁の事務主管、侍従職補佐が押印することになっているそうです。
天皇陛下が引き出し開けて「はいはい了解です、朱肉をつけて…と、はい、ぽん、と」と押すようなものではないのですね当たり前ですね。

それとは別に「国璽(こくじ)」というのもあります。
これは外交文書などの重要な書類に押されるもの。
これも、宮内庁の侍従職補佐が管理・押印するそうです。

今はもちろん、国会の承認があって発行されるものに天皇陛下が押す、という形式なんですけれども、昔は「このハンコが押してあるということは帝からの正しい命令」と、見ただけでひれ伏さないといけないとてつもないもの、という効力(霊力か)のあったものですから、もし御璽が押してある書類が出てきたりしたら「うわぁああああああ」みたいな感じなったはずです。神棚に祀る感じ。

ハンコそのもの、については、三国志に象徴的なエピソードがありますね。

「玉璽(ぎょくじ)」「伝国璽(でんこくじ)とも呼ばれる、中国王朝に伝わる、権力の象徴であるハンコ。もちろん、スペアも作られてたんでしょうけれど、これをなんの因果か井戸の底から見つけるという、孫堅が見つけて調子に乗るというエピソード(『呉書』)。

『三国志 (6) 玉璽の行くえ』p.48〜p.53

そりゃ、天下を統べる皇帝の印鑑が、自分のもとに偶然転がり込んできたら「天命は我にあり」とか思っちゃいますよね。わかる。だけどけっきょく孫堅は息子が呉を建国する前に、殺されてしまいます。享年37歳。

今はもう、ガシャポンになってますけどね。

三国志 伝説の玉璽スタンプ
https://gashapon.jp/products/detail.html?jan_code=4549660345794000#

 

ハンコって要らないんじゃないの

ハンコのアルナシで運命が決まってしまった孫堅のような人もいれば、現代ではもう「ハンコは要らんだろ」という風潮が、かなり高くなって来ています。

「印鑑不要論」を巡る不毛な議論と電子署名の可能性 アフターコロナの世界
https://xtech.nikkei.com/atcl/nxt/column/18/01272/00066/

ハンコを押すために感染の危険を犯してまで出社するのなら、ハンコを押すロボットを自宅から遠隔操作すればいい…うーん、テクノロジーの進歩は素晴らしいんですが、やっぱり「そこかしら?」というハジける思いは消すことができませんね。

外国ではサインでオッケー、そのほうが、誰が押したかわからないハンコより、証明できる実効性が高い、と言われています。確かに筆跡を辿った方が、偽物は作りにくい。もちろん、偽造はどうやったってできるけど、ハンコよりマシだろう、っていう。

宅配便が来て、「ハンコかサインを」って言われます。
私は玄関にハンコ(いわゆるシャチハタ)を置いていて、それを押します。
出来れば配達員の人にペンを借りたくない。ほんの数秒ですが、時間もかかるし。

サインの場合、「くちゃくちゃ」とミミズをのたくらせて、「まるっ」とそれを囲んだら、その囲んだ動作が「承認ッ」っていう感じになって、ハンコより「受け取りました!」っていう雰囲気は出ます。

いや、本当に雰囲気でしょうあれ。

そのくちゃくちゃのミミズに筆跡なんかないし、「これではダメです」とか言われたことない。

まして、荷物を受け取った人が、宛名に書かれた人だとも限らない。
「本人の確認もできない、サインも読み取れない」状態で「ありがとうございました〜」と普通にやりとりしてるのって、考えてみると異常です。

最近は「置き配」もあるし、コロナの影響で「ハンコは結構です」と言われたこともあります。

もう、「荷物の受け取りにハンコかサイン」って、そもそも有効な手段だったのか!?を疑う段階にきてると言えなくない気がします。

例えば自分で注文した場合、

・その荷物が注文したそれであること
・受け取りをするのが注文した本人であること

が、確実に確認されなければ本来はダメでしょう。

自宅で待つ本人が、荷物の注文番号の控えを持っており、配達される伝票に書かれた番号と照合されなければ渡さない、とか。

あるいは宛名に書かれた名前が、今玄関先に立っているその人のものであるかどうかを、写真付き本人確認書類(運転免許証とかマイナンバーカードとか)で確認しなければならない、とか。

それはかなりめんどくさいものです。
だけど、「はい、ご苦労様です〜」と何事もなく「くちゃっ」と書いたサインでまかり通っていることは、サインはおろか、ハンコって何?ということになりますね。

銀行の口座を作るときに言われる「銀行印」「登録印」も同様です。

「※シャチハタは不可」と書いてあったり。

今回、ちょっとだけ考えてみたんですが、大きな問題は、「シャチハタ」があることが問題なんじゃないかと思うんです。三文判の代名詞としてシャチハタって普通に使ってますが、会社名ですからね。

さすが、面白い商品がいっぱいある。

シャチハタ公式サイト
https://www.shachihata.co.jp/

 

問題は、「三文判があるのがおかしい」っていうことだと思うんです。

100均のお店で、なんの確認もなく誰の苗字のハンコであろうが買えて、それを使うことにはなんのストッパーもかからない。

「ハンコ」というものが、ものすごくややこしい(すべてが印鑑登録のように、せめて陰影を役所に画像登録しなければならず、何かあったら公的に照合できる)制度を伴うものならば、一定の効力や、意味ってあると思うんですよね。

それなら、荷物の受け取りに関しても「このハンコが押されているということは、配達員に科(とが)はない」とはっきり言ってもらえたりするし。

会社のおもしろ決裁書類習慣にしても何にしても、「三文判でも良し」を許してることが、「ハンコなんて要らない」議論に繋がってるんじゃないでしょうか。

これでも、いいんですよ。

いいなぁ、これ…。

ややこしいところなんですけど、「いろんなハンコが使える」ことが、ハンコそのものの実効性(信用)を著しく下げている。下がったハンコへの信用が、「押す行為そのもの」と同化して、効力を保っている。

そう考えていくと、「押す」ことがそこまで重要ならば、「拇印」以外の選択肢はないと思います。
テクノロジー込みならば「指紋認証」ということになりますね。

スマホやパソコン関連ではもうじゅうぶんに浸透している指紋認証、
ハンコ屋さん(シャチハタ)とかはもう、考えているはずです、指紋認証への未来を。

こういうのもありますし。

もし未来に、世界のほとんどが滅んで、文明がなくなって、紀元前みたいな世界からやり直し…になったら、また築かれる権力構造のトップで、やっぱり王権の象徴として「玉璽」が使われることになるんでしょうかね。

ハンコって、何だかもっと使い勝手があるような感じもするんですよね、こんなに「要らない」って言われてるのもおかしいという気がする…。

 

 







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