自論構築過程

「世界観」ってなんだろう?

投稿日:2017年10月24日 更新日:

世界観という言葉、よく聞きますよね。

世界感、とも言うか。

世界観(せかいかん、独: Weltanschauung)とは、世界を全体として意味づける見方・考え方のことである。 人生観より広い範囲を包含する。 単なる知的な理解にとどまらず、より情意的な評価を含むものである。 情意的な面、主体的な契機が重要視される。

難しいなォィ…w

作家の平野啓一郎さんのブログ(2010年の記事ですが)では世界観を「世界のイメージ」という風に言っておられますね。端的に言えばそういう感じ。

言ってみれば「この世の中は、こういう感じだな」という、おぼろげな実感…、というか。

例えば同じ町内に住んで、同じ業界で仕事をしてて、同い年であっても「自分が思うこの世界のイメージ」は、そりゃかなりな部分はかぶってるだろうけど、実は人それぞれ、微妙に違う。違うし、自分でそう思ってればそれが間違っているとかいうこともない。だからこそ「情意的な面、主体的な契機が重要視される。」ということなんですね。

で、どうしてわざわざ「世界観ってなんだろう?」などということを不思議に思ったかというと…いえ、実は逆なんですよ。

「この人の世界観て、どうなってるんだろう??」と思うことがたまにある、というのが、そのきっかけです。

というのも、簡単に言うと「海外旅行へ行ってきた人の話が、案外つまらない」と思ったんです。そんな遠いところへ行って、そんな高いお金を払って、得てきたものって、え、そんなていどなの!?と思ってしまったんですよね。いえ、見下しているとかバカにしているとかではないんです。

そんなていどの感想なら、家で写真見てるのと何が違うわけ?っていうくらい、陳腐で月並みなものだったんです。リビングでアニメ見て語ってるのと、何が違うの?っていう。世界一周してきたのに、君のその次元の低い感じって、なに???

 

それで、「ああ、これは、“世界観”の問題じゃないか!?」と、疑ってみたわけです。

その割によく聞きますよね「グランドキャニオンとかギアナ高地とか行ってみ!?世界観変わるから!」とか。「自分はなんてちっぽけな存在だったんだろうって思った!」とか。

もちろん、先述の定義から言えば「主体的な契機の重要視」で、何も間違いとか悪徳とか低劣とかではないんですけれど、それは単に、現象を平面展開しただけの「横軸の世界観」ではないかと(後述)。

そもそも、「こういう視点・こういう世界観」が無いなら、何を見たって、陳腐な思いしか出てこないんじゃなかろうか、と思ったのです。で、なんとなく同時代に生きている(同じ町内でもなければ同い年でも同じ業界でもない)だけの我々は、周りにいる人も皆ほぼまったく同じ世界観を共有していると信じ込んでいますけれど、絶対そんなことはないぞ…?と思ったんです。

それは、その違いは、何からくるのか。
そして「世界観」とは、何でできているのか。

現時点で、一応の答えを見つけたような気がするので、以下に書いておこうと思います。
この世界を「時空(時間と空間)」というふうに考えると、まずはこの世界の、どのあたりに自分が今いるか、を感じるかが重要ですよね。

 

例えば日本の東京にいる。

行ったことはないけど北に行けばロシアがあって、南に行けば赤道があって南半球がある。地球をスッと出てしまえば月があって火星がある。たぶんある。太陽を超えると違う銀河があって…と、いわゆる「世界」を捉(とら)える上では、知識って大事なんだな、と改めて感じますよね。そりゃ昔の人は巨大な亀の甲羅の上に世界は乗ってる、とか考えてたはずです。まさかこんな(ほぼ)球体の表面に我々は張り付けられてて、中心に向かって引っ張られてるなんて、誰が思いますかって。

これは、「横軸」なんです。「横軸の世界観」。どこまで行っても横軸。

今の自分を、あくまで目線に沿っていわば地面と平行して、どこまで想像できるか、っていう。これは、知識の共有で、そのまま他者と共有することが可能です。お前ンチの近所こないだ火事だったよな。その隣は、類焼せずに残ったんだってなよかったな、みたいな。

「横軸の世界観を豊かにする」には、「実際に行った」は割と有効ですけど、行ったというだけでは「すごい経験しましたね〜」っていうだけですよね。じゃあオイ、世界を転勤する商社マンについて行ってるだけの6歳の子供の方が、インドから出たことすらなかったお釈迦様よりすごいとでもいうのかい?ってなことになる。

横軸移動、これは現在、ネットや交通機関の発達した我々において、だいぶ代替が効く部分が、出て来てはいますね。図書館に行かないと調べられなかったことが、今はスマホで、手のひらでぽん、と調べられます。とこういうことを言うと「図書館へ実際に行かないと調べられないこともある」と言う人も出て来るんでとっても面倒です。そんなのあたりまえだろバカかお前。と言い返しましょう。とうぜん、図書館をディスってるわけではないんですが、昔なら図書館に通って2時間 x 週3、1ヶ月続けて調べ上げなければならなかったことが、スマホで検索して20分ほどでわかった、としましょう。2(時間)x 3(回)x 4(週)で、=24時間ですよね。24時間が、20分になったんです。これ、「ほぼ1日、寿命が延びた」と等しいと思いません?

なんとなく脱線してしまいました。

横軸の世界観は、まさに平面図のごとく、空間を支配するがごとくに広げて行くことが可能です。

 

で、コトの問題は。

そう、私が今回、書きたいのかここからなんです。

「縦軸の世界観」。

これはまさに「歴史感」なんです。
人間に限らずですけど、「世界はどうやって出来てきたのか」。「世界は今、どうなっているのか」ではなくて「どうやって、今の形になっているのかを知ること」なんです。

当然、生まれて数年しか経っていない子供は、地球が50億年近く前にできたと言うことを知りません。それどころか、自分の親がどんな暮らしをして来て今に至っているかも、まだ知りませんね。

人間が、人類が、例えば日本人が、どんな経緯を辿って今の文化に至ったか、おぼろげに知っているのと知らないのとでは、やっぱり何か、ものの感じ方が違うんじゃないでしょうか。

いつも思うんです。
よく日本人を表した漫画やポスターや映画内の表現で「中国とごっちゃにされてる」みたいな違和感てありますよね。いや、それチャイナドレスだし!みたいな。立ちっぱなしで帝に謁見とかしないから!とか。
そうなんです。なんでちゃんと調べないの?と率直に持ったりもしますが、「親日家」と言われる方々でも、そういう感じになる。良かれと思ってw
その時代にそれはないわ〜、とか思ってしまうような表現。

これ、南米で想像してみてください。まことに無知で心苦しいんですけども、私にはコロンビア人とメキシコ人とエクアドル人とエルサルバドル人の見分けがつきません。
中欧で言えばスロバキアとスロベニアとチェコとポーランドとリヒテンシュタインの人の区別はできません。たとえ「いや、実は民族としては一緒なんだよ」と言われたとしてもw、なにが一緒なのかよくわからない。

だから、日本と中国、韓国の文化がごっちゃになって、「なんかあの辺りの感じ」を醸し出した方がより「らしい」演出になる、と言うのは、理解できるような気がするのです。また脱線したような気がします。

「縦軸の世界観」の話でした。

「横軸の世界観」は交通手段を使えば理論上、どこまでも体感することが可能です。でも歴史は、時間遡行軍でもない限りさかのぼって体感することができません。故に、想像するしかない。

それを、「どこまで、実感して想像できるか」にかかっている。つまり世界観とは、「どこまで脳内で、想像して再現したことを実感できているか」の上に成り立っている。

 

それには、歴史を知る必要が、どうしてもある。

キリスト教文化が大好きな人が、どうも2017年現在、2017年前くらいまでしか世界の歴史が無いかのような物言いをするのを聞いて、「おや、つまりお前の歴史観・世界観は…」と思ったことがあります。

「世界を創った」神を信じるのがキリスト教だけれど、そのキリスト教が生まれたのは、とうぜん紀元1世紀。紀元前には人間て、いなかった?これも余談ですが、もはや紀元前は「原始時代」だと思ってる人も実際にいるから驚きです。縄文時代はもうサルと変わらない人らが…とか思ってる。ほんと、学校の社会の先生、もうちょっとしっかりしましょうw

2000年程度の歴史しか知らないと、2000年程度の間にできた世界観しか持てないかも知れない、ということですね。人間の営みは、「繰り返す」とは言われながらも今、常に1回目です。戦争は繰り返し行われていますが、まったく同じ人による、まったく同じ理由の、同じ戦争は2回無い。それぞれが1回目です。どんな歴史も、1回目です。

 

世界観は、「横軸・縦軸」の両方で出来上がる。

横軸が、今や文明の利器でかなり補完できるようになってきたのに対し、縦軸は知識に加え、想像力も必要です。知れば知るほど、世界観は広がる。つまりこの世界を理解するのに、「歴史教育」は何より大切だろう、という結論になります。

歴史や地理を加えて創作され、展開されるフィクションも、どこか「キリスト教誕生後」の世界観にとどまっているようにしか感じないと、ああ、またそういう世界観ね…というあきらめが漂います。面白いかどうかは別にして。

海外旅行に行ってきた!と息巻く人の感想(それはもちろん、概ねサービス精神の表れなんですけれども)が、「え、そんな感じなの」と残念なものに成り下がるのは、その土地への敬意が「今の繁栄」だけにしか向いていなく、さらにそれを、「自分が思いたい、短い歴史しか知らない上に成り立つイメージ通りなことを確かめるだけの作業」に費やされているからでしょうね。

そしてそれを思えたのはたぶん今年、「ローマ人の物語」を読む機会を得た、からだと真剣に思うのであります。

 

最終巻が、もうじき届く…!







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