ダニング・クルーガー効果。
これは認知バイアスの一種に付けられた名前だ。
提唱した、デイヴィッド・ダニングとジャスティン・クルーガーという二人の研究者の名前から取られている。
認知バイアスとは(正確ではない言い方だが)、事実とは異なるのに「自分がそう思うからそう思う」みたいな、思い込みに端を発する言動のことを指す。または、その言動をさせるための不思議な力、というような意味で使われる。
人間は脳で知覚し、それが記憶を形成する。
その時に感情を伴うことで、のちに判断を行う方法にまで、それが派生してしまうのだろう。
ダニング・クルーガー効果が発動すると、能力の低い人が、能力が低いのに「自分の実力を正しく認識できず、自身の能力を過大評価してしまうこと」が起きる。
なぜか一般の、デマを信じるレベルの陰謀論者なのに、その道の研究者や専門家に「それは違うと思いますよ」と話しかけている様子がSNSではよく見受けられる。あれである。
小田隆さんは画家。
東京藝術大学美術研究科修士課程修了。
京都精華大学でマンガ学科教員をされている。
「みかん」はこれ↑を多くの人に正論で詰められて逃亡。
絵についての言及もないので、ただのド素人。
別アカウント(@mikan__beauty)もあるがただの反ワクチン。
小田隆さんのショップ
https://suzuri.jp/studiocorvo
ダニング・クルーガー効果がもたらす弊害は、順を追うとこうなっていく。
1.自分を過大評価しちゃう
↓
2.勉強しなくなっちゃうから知識が減っちゃう
↓
3.正しい知識がある他者を、評価できなくなっちゃう
↓
4.思考が異様に偏っちゃうから詐欺被害に遭いやすくなっちゃう
↓
5.その他、いろんな人生における困難に対処できなくなっちゃう
上掲のアカウントよろしくそのまんま、反マスク・反ワクチン・反原発の陰謀論に堕ちていった人たちを見るようだが専門家の発信よりも来歴不明のインチキYoutube動画を信じる人たちの脳内にはすべからく「ゼロリスク信仰」から端を発する他責思考が充満しており、この「優越の錯覚」とも呼ばれるダニング・クルーガー効果(Dunning–Kruger effect)はいずれ、本人の人生に大きな影響を与えることになってしまうだろう。
「俺の方がすごい(はずだったの)に」というコジらせた認識は、初期段階で止めないといずれ、取り返しのつかない「誤った認識を生み出す(後述)」ことにつながるということだ。
「生存者バイアス」という言葉は有名だ。
生存を「成功」と言い換えることができる。
成功した(生存した)対象だけを見て、それを基準に判断をしてしまう状態を言う。
例えば「アフリカから東南アジア、南米にかけて、日本と国交はないある国を女性一人で旅しましたけどみんな親切〜!ぜんぜん危なくなかったです!意外に安全で優しい国!ウェルカム〜!」
という旅の報告者がいるとする。
彼女にとっては「自分の、たまたま安全だった旅」しか実態を知らないのでそれを基準に「意外と安全でした!」と言えてしまうが、その背後には「空港に着くなり荷物がなくなった」「タクシーに乗ったらものすごい金額を取られた」「路地に引きずり込まれて乱暴された」「性的暴行を受けたあと殺されて川に捨てられた」という、大勢の被害者の存在がある。
彼女は生存し、健康に今も生きているので「良かった経験」として語れるが、そこには「生存者バイアス」がかかっているのである。
そして彼女の言を信じてその場所を訪れた女性の安否には、彼女は感知しない。信じた方が勝手に信じて被害に遭っても、彼女にとっても驚きがあるだけ、なのだろう。
「生存者バイアス」は認知心理学の用語なので、一般には「そういうのがありますよ」というだけであり、それ自体をいつも認識するということもないのだが、これが巧みに機能し、「見えないものをなかったように扱おうとする」事例には事欠かない。
wikipediaには、冷静な筆致だがよくある光景が書き足されている。
競争の激しい業界
映画俳優、スポーツ選手、ミュージシャン、学校を中退した数十億ドル規模の企業のCEOなど、夢を追い求め競争に打ち克った人々(成功者)の話が、メディアではよく取り上げられる。才能を持っているが、本人の力ではどうすることもできない要因や、(一見して)ランダムな他の出来事のために成功を見出すことができない多くの人々に焦点が当てられることは、それよりもかなり少ない。これは、能力を持ち努力をすれば誰でも素晴らしいことを達成できるという誤った認識を生み出す。世間の目には、圧倒的多数の失敗は見えず、競争環境の選択的圧力を乗り切った人々だけが定期的に見られる。生存者バイアス(から抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/生存者バイアス
この説明文の主題は「誤った認識を生み出す。」という部分だろう。
生存者バイアスを語る時、よく使われるのが以下の画像だ。
統計学者エイブラハム・ウォールドの逸話として語られている。
激しい戦闘からからくも帰還した爆撃機のこの機体を見て、アメリカ海軍分析センターでは「損傷が最も多かった場所の装甲を厚くするべき」だと報告が出された。
しかしウォールド氏は「それは、生還した航空機しか見ていないから言えることだ」と反論。この画像を見ると、まったく損傷を受けていない部分があるが、この帰還した爆撃機は「そこを損傷しなかったからこそ」帰って来れたのであって、いくら損傷部分(赤い点)部分の装甲を補強しても仕方がない。この画像の、無傷の部分を撃たれてしまった爆撃機は帰って来ていないのだ。「赤い点以外」を補強するべきだ、と主張した。
これは生存者バイアスの説明で必ずと言って登場する話で、エイブラハム・ウォールドも図にある海軍の哨戒爆撃機・ロッキードPV-2も実在するが、どうも話の真偽は疑わしいらしい。
第二次世界大戦中のもっともらしいエピソードに仕立て上げられているが「生存者バイアス」の説明をするのにやたらしっくりくるので、実話にしてはものすごくよくできすぎている。
そんなやりとり、本当にあったのか??
少なくとも数パターンあるこの爆撃機の絵には、疑義が呈されている。
これは言ってみれば、鎌倉時代初期の武士の、帰還後の写真を見て鎌倉幕府大本営(大蔵幕府)が
「さすが稀代の豪将。むむ、しかし激戦だったと見えて、かなり矢を受けてらっしゃいますな。白い点のところが、受けた矢傷…。いやはや今後、みんなの鎧も、この白い点の箇所を補強しましょう。薄い鉄の板を入れ、二重にして…」
というのと同じである(画像は畠山重忠)。
天下の勇士・畠山重忠はそりゃ強いから死なずに帰ってくるわけだが、白い点の部分以外に集中して矢を受けていないから帰って来れただけで、白い点の部分(大袖や草摺)は無傷であってたとしても討ち死にしてしまった武士は帰ってこない、というだけなのだ。
で、大本営の言う通り、白い点のところを補強しても(補強しなくても帰って来れる)、白い点以外を撃たれてしまうのでやっぱり死者は減らない。
「誤った認識を生み出す。」というのはそういうことだ。
「夢は必ず叶う」という言葉は、それ自体にとても夢があり、高揚感を惹起する素晴らしい言葉だが、「では、必ずとおっしゃったので私どもにとっての夢が叶わなかった場合、その補償をあなたがすべて背負っていただけますか?」と問われて「yes」と言う人はいない。
なぜ「夢は必ず叶う」と言えるかというと、「夢は叶えた人」が口にするからだ。
逆に言えば、「夢は叶えた人」しか、「夢は必ず叶う」と言うことができない。
その人の人生で、その人にとって「夢を信じて突き進んで叶えた確率」は100%であり、1/1であり、努力して結果を得たその命中率は百発百中である。その人にとっては「夢が叶わなかった人生」というものは体験したことのない未知の世界であり、「夢は必ず叶う」としか言うことができないので、悪意があるとまでは思えない。
才能がまずあり、努力できる様々な環境があり、その上に本人の努力があって夢に手が届く。
おそらくどの要素も欠けてはならず、そうなれる人が自然に少なくなるのも道理である。
そして、夢叶わなかった人には、人前で「夢は必ず叶う」という機会がまず与えられないので、「夢は必ず叶う」という言葉を発する、目立つ人ばかりを見ることになる。大人になると、実はそれが虚構(厳密にはその人にとっては事実でありそう言うしかないということ)であるという事実が見えてくる。