vol.1
結果的に「完結編」まで5作を数え、その後派生した作品群を数々と生み出した「実録路線」。
第1作めは「第一部」と呼ばれる。
それまで、高倉健や鶴田浩二演じる「昔ながらの任侠」を描いたシリーズで人気を博した東映が、昭和のリアルな、現代ヤクザを描こうと意欲的に制作した。
手持ちカメラの揺れまくるアングル、飛び散る血、卑怯で狡猾が平常運転な昭和の突破者たち。
江戸時代から続く昔ながらの「任侠」「侠客」が義理や人情を重んじ、着流しに白鞘(しろさや)の長ドス、悠久の歴史を感じさせ武士道すら漂わす様式美の世界で観客を魅了した時代は終わり、リアルで薄汚く、裏切りと策謀、金づくの欲望で血塗られた実感が逆に観客を沸騰させた。
劇場公開は1973年。
高度成長期を迎えた日本の1970年代、公害などの社会問題もありながら、世の中は右肩上がりのニューワールドへ突き進んでいるという実感があったのだろう。
昔気質の、いわば「江戸・明治の価値観」が総入れ替えとなって、汚くも今っぽ(ナウ)いスピード感が受け入れられたと言える。
同じヤクザシリーズであっても、この「仁義」シリーズに、高倉健はゲストですら出演していない。
高倉健・池部良の「昭和残響伝」が日清・日露の残響音すらある明治・大正から続く、男の生き様を描いているのと対照的に「仁義なき戦い」は、WW2後の混乱期のシーンから始まる。
第二次世界大戦で敗戦した日本の、荒涼とした人心、生活。
300万人の死者を出した後、占領軍に支配された日本では貧困と飢餓が一般庶民を襲い、闇市が立ち、その中で逞しく復興していくしかない現実があった。
当時「現代ヤクザ」と呼ばれた、清水の次郎長や幡随院長兵衛とは一線を画す「ドライで現実的で金に走り人心を失っていく日本人」を極めていく男たち。
この
「家族が死んだ」
「占領された」
「原爆を落とされた」
「貧困が迫っていた」
「とにかく戦争に負けた」
という戦後の苦衷と強迫観念は『仁義なき戦い』シリーズに通底する世界観であり、当時の観客の生活にこびりついた身近なリアリティであり、それが人気の背景となっていたはずだ。
1973年の公開、ということは1945年から、まだ28年しか経っていない。
戦前・戦後世代はまだまだ現役。
そんな中、この荒廃と暴力の世界は完全に、フィクションとは言い切れない迫力を持って受け入れられたのだろう。
なにせ小林旭と美空ひばりが結婚・離婚したのは、山口組三代目・田岡一雄が「ひばりがそう言ってるんだから」と決めたからであり、離婚会見(1964年)などにも氏は堂々と出席している。
《「お前一人のものにはできないんだよ」と…》
小林旭が明かした美空ひばりとの結婚と離婚
https://bunshun.jp/articles/-/63302?page=2
現在では考えられないが、「まぁそういうもんでしょ…」という、芸能とヤクザのつながりをこの頃の一般人も公然の事実として知っており、それが常識だったとしか言いようがない。
近所に組事務所があった地域ではその浸透ぶりとご近所づきあいは日常のものだったし、今からそれを責めてもしょうがない。
占領軍が日本にいる頃(1952年4月まで)、当時はまだ暴力団の正式構成員ですらなかった若者の集団と、昔ながらの伝統を受け継ぎ変化しつつあったヤクザ組織は、あまりにも無秩序になってしまった日本の、治安の一部を請け負う一面もあった。
警察とヤクザが協力する、という状況が多々あったのだ。
時間が経つにつれ、全体的な貧困は解消されていき、高度成長時代へ入っていく。
常識は刷新され、秩序は更新されていく。
テーマを具現化する人物
その流れの中でヤクザ映画は「任侠モノ」にあった「義理人情・そして卑劣を許さぬ男気」というテーマではなく「金、金、金・暴力、そして裏切り」というテーマが大きくなっていく。
『仁義なき戦い』シリーズにおいて最も印象的で、最大のインパクトを残すキャラクターが山守義雄(やまもりよしお・金子信雄)である。
彼は戦前から地域の若者を集める土建業者の社長であり、博徒の親分でもあった。
原爆投下で更地になってしまった広島には、復興のために多くの人足が集まった。
荒くれども・食い詰め者も多かった。
それらを束ねてた土地の親分になっていたのだから、胆力と知恵のある人だったのだろう。
モデルは広島県呉市に実在した山村辰雄という人で、大袈裟ではあるが金子信雄の演技は、山村辰雄その人の不可解で陰険な性格を反映したものだったという。
シリーズが進む上で、主役の広能昌三(ひろのしょうぞう・菅原文太)が「アレが上におるうちは広島はまとまらん」と喝破したが確かに、山守義雄の陰謀のせいで死ななくてもいい人間がどんどん死んでいった。電話一本で。
だけど作品の中でどこか憎めないキャラクターになっているのは金子信雄の演技の素晴らしさのおかげだ。
企画段階では三国連太郎が候補に上がっていたらしいが、金子信雄の起用はシリーズに大ヒットの要因になったと言っても過言ではないと思う。
モデルとなった山村辰雄は、激動の戦後広島ヤクザ抗争を生き延び、天寿をまっとうしている。
憎まれっ子世の憚る、だけではない。
彼からの恩恵を受けた者がたくさんいるのだ、と考えるべきだろう。
戦争から帰ってきた復員兵と生き残った国民には食糧物資が圧倒的に足らず、配給だけだと餓死すること確定な状況だった。
自由に農村部へ買い出しに行き町で売りさばかれたマーケットは一応、当時であっても違法である。
警察に黙認されていた部分もかなりあったのだろうが、それら違法な店舗を取り仕切り秩序を保つにも、暴力団の力というのは影に日向に、役立ったはずである。
カオスと化した市場では、暴力や強姦は茶飯事。
酔って勢いを増した進駐軍(米兵)が日本の女性に乱暴することも、逆らえない日本人は黙って見ているしかなかった。
それを助けた主人公・広能昌三。男気があり喧嘩も強い。彼は幸運にも太平洋戦線から復員してきたただの男だったが、その女性を助けた。
映画では冒頭にしては少しわかりにくい部分かもしれない。
しばらく経ったある日、その助けた女性がパンパン(街娼)となり、米兵と腕を組んで食堂に入ってくるのだ。
広能昌三と目が合うと女性は気まずそうに「混んでるから出ましょうよ」と出ていってしまう。
広能昌三は、戦後の混乱の中で逞しく生きなければならないそれぞれの事情を汲み取り、彼女を責めることなくただため息をつく。だってせっかく米兵から助けたのにさ。今度は自分から米兵に…?嘘だろ?みたいな気持ちになるのは当然だろう。
もちろん暴力と商売は違うわけだが、なんとなく虚しさが胸に去来することは想像に難くない。
流れる「混乱と貧困」
やはり「混乱と貧困」が『仁義なき戦い』シリーズの通奏低音であり、それが直接・間接の理由となって物語が動いていくことが多い。
基本的には「縄張り争い」と「金の奪い合い」があって、それを遂行する屁理屈として「男修行」とか「任侠」みたいなのがあって、その具体的なツールが「暴力」、っていうのがヤクザの基本仕様だ。
やたら度胸のある主人公・広能昌三は、山守組に入ったきっかけもケンカだったし、呉市の市議会議員に頼まれた形でライバル・土居組の組長を一人で襲撃してしまうし、最後の最後まで暴力性でトップクラスの強さを発揮する。数十年が経過した設定の『完結編』ですら「火のついた爆弾」という形容をされていた。
組長が死亡し壊滅的になった土居組。
ライバルがいなくなったところへ、朝鮮戦争の特需が訪れる。
第二次世界大戦が終わって、日本は武力を解体されたが3年後、1948年に朝鮮戦争が勃発。
まったく同じ民族である北朝鮮と韓国が戦争になった。
ソ連の薫陶を受け、社会主義国家を目指す金日成(キム・イルソン)が侵略戦争を始めたのだ。
当然バックにはソ連・中国がおり、韓国のバックにはアメリカを始め西側諸国がついた。
3年続いた戦闘は(緯度)38度線を軍事境界線として停止したが、終戦したわけではなく、現在にいたるも両国はいまだ戦争状態だ。
日本で言えば東日本と西日本が関ヶ原の合戦のまま睨み合っているような状態。
内乱、と一言で片付けてしまうことは出来ないが、まったくの同一民族で争い続けている朝鮮半島統一はいつになるのか、東アジアの未来の懸案でもある。
韓国軍のバックアップをする米軍に支給される物資は、アメリカ本土から運ばれれるだけでなく、日本に発注され、製造され、送られた。
何せアメリカンな軍隊の注文だから規模が大きい。
買い付けは横浜を中心に行われ、その額は3年間で10億ドルに達したと言われている。
戦争に負けて武装を解除された日本だったが、朝鮮戦争が起こる現実を目の当たりにしたGHQは、「警察予備隊」の発足を促す。これが、日本の自衛隊になっていく。
この朝鮮戦争特需関連の仕事を請け負うこと、そして眠っている旧海軍関係の隠退蔵物資(いんたいぞうぶっし)500億円ぶんにありつく、というところが、山守組隆盛のきっかけになったと、映画は暗に語っている。
隠退蔵物資とは
隠退蔵物資は、旧日本軍が戦時中、民間から貴金属や燃料・原材料・糧食など、あらゆる物資を集積し、隠しておいたものだ。日本がアメリカに実質的に占領されるより早く隠され、のちにそれが換金されて政界に流れた。
戦後すぐの大疑獄として広く知れ渡ったが、これを調査するために検察庁に設置された「隠匿退蔵物資事件捜査部」が、後に東京地方検察庁特別捜査部になる。
ヤクザは義理と人情に厚く、「残侠伝」シリーズの頃ならば最後に乗り込んで命をかけて討ち果たす、がパターンとなっていたが、時代が進み、どちらかと言うと「乗り込まれる側」につくことで財力を得て大きくなっていく、という目的に変わってしまった。
経済力のある者が勝つ。
物語の終盤、競艇場の理事室にどっかと座る山守義雄は「わしがどれほどの男か、ここにこうして座っとるのを見りゃあ、よう分かろうが」と嘯いた。
のし上がり、金で横面をはたくようなやり方で権力を掌握し、人命をすら軽んじる山守に対し、「金では言うことをきかない狂犬」の立ち回りを見せる広能昌三。
しかし金のなさ・貧困は、彼をしても軌道を修正せざるを得ない状況を生んでいく。
それらがこのシリーズの見ものだ。
男気と喧嘩の強さだけではどうにもならない、それが現実。
この人たちがもしもう少し長く生きていたら、広島はどうなっていたのだろう、と思わせるキャラクターが作中、ずいぶん死んだ。
坂井鉄也(松方弘樹)。
若杉寛(梅宮辰夫)。
上田透(伊吹吾郎)。
梅宮辰夫演じる若杉寛の居場所を密告したのは、山守義雄である。
これは現実世界で「悪魔のキューピー」と恐れられたモデルの大西政寛を警察に売ったのが山村辰雄であり、なぜそれが定説になっているかというと、逃走現場で射殺された大西の母が後に山村組長を恐喝し、大金を受けったという事実があるから、らしい。
一筋縄ではいかないキャラが続出する、シリーズ。