デカルトは「省察」で、懐疑論を有名にした。
カントは哲学者が懐疑論を解決できないことを恥だとした。
ハイデッガーはそれを解決しないといけないと考えていることがおかしいと訴えた。
この世は、自分は、他者の知識は、外部の絶対的な力を持った存在によって、すべて作られたのではないか??
という問い(懐疑)は、証明ができない。
「そんなことはない」と自分は、言い切ることができない。
なぜならそんな断言は、「すっかり騙されているがゆえ」のものかもしれないからだ。
我々は、コンピュータの中の、小さなプログラムに過ぎないのではないか。
我々の活動、悩み、未来への知見もすべて、水槽の中を覗く大きな存在によって、実験中のものなのかも知れない。
常識が覆らざるを得ない外界についての懐疑論は、今でも多くの人の心をとらえ、そして惑わせている。
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1日1個、一年続けたら自動的に少しだけ賢くなるんじゃないか実験。
デイヴィッド・S・キダーとノア・D・オッペンハイムのベストセラー。小林朋則氏訳。
歴史・文学・芸術・科学・音楽・哲学・宗教の7分野から、365日分の知識。
この本を読みつつ、知ってるようで知らなかったこともちゃんと知りつつ、ああそうなんだね~なんて思いながら、少しだけ書くことを続けます。最低限、「360ページ以上ある本を読んだ」の事実が残れば、それでいい。「教養が身につくかどうか」なんて、知ったことか、と。
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365