倭文神社(しずりじんじゃ)。通称「宮さん」。
実家の町内にあります。
機織の神である建葉槌命(たけはつちのみこと)を祀ってあるんだそうです。
倭文氏、に関連しているようで、倭文とは「しずおり」とも読み、これは織物の名前なんですね。
同名の神社が、全国に割とあります。ウィキぺディアをみると、
伊勢国鈴鹿郡 倭文神社(現 加佐登神社(三重県鈴鹿市)に合祀)
駿河国富士郡 倭文神社(静岡県富士宮市)
伊豆国田方郡 倭文神社(現 鍬戸神社(静岡県三島市)ほか論社複数)
常陸国久慈郡 静神社(茨城県那珂市)
甲斐国巨摩郡 倭文神社(山梨県韮崎市)
上野郡那波郡倭文郷 倭文神社(群馬県伊勢崎市)
丹後国加佐郡 倭文神社(京都府舞鶴市)
丹後国与謝郡 倭文神社(京都府与謝郡野田川町)
但馬郡朝来郡 倭文神社(兵庫県朝来市)
因幡国高草郡 倭文神社(鳥取県鳥取市)
伯耆国河村郡 倭文神社(鳥取県東伯郡湯梨浜町宮内)
伯耆国久米郡 倭文神社(鳥取県倉吉市)
などと豊富。
これは「延喜式神名帳」に書いてあるそうです。
延喜式神名帳は西暦927年に成立した『延喜式』の巻九・十のこと。
その当時の、全国の神社一覧なんですね。
倭文の「倭」は「倭国」の「わ」ですよね。
「文」が、「文様」とか「柄」とかいう意味だったとしたら、海外からもたらされた模様や織物の様式と違い、純日本風の織物、という意味を持っていたのかもしれません。
当時、まだ明確な文字を持たなかった日本列島に住んでいた「倭人」。
自分たちのことを「わ」と呼んでいたから「わ人」と勝手に名付けられた説、アリですよね。
つまり「われ」ってことです。
すごくややこしいんですが、奈良は常陸と縁のあるところ。
春日大社の祭神も、常陸から鹿に乗ってやってきたとか。
このページで考察されている(「鹿島神宮誌」の所)を見ると(サイトなくなっとるやないけ)、
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/oni-megami/oni-megami-2-3.htm
「倭文(しとり、と読む)」と、建葉槌命(≒武葉槌命)との関連、さらに「ヤマカガシ(蛇)」の記述が出てきて、ひっくり返るほどに驚かされるのであります。
なぜ、「蛇」に驚くかというと。
なんと「大蛇伝説」のある秋のわが故郷のお祭りには、「奇祭」に分類されてしまいかねない、変わった行事があります。
大蛇に見立てた巨大な松明を十数人で担いで村を練り歩き、最後に境内で燃やします。
現行の消防法的にはアウトっぽいクライマックスです。
そのクライマックスへ至る過程で、名前は忘れましたが村の若者が酒を飲み、盛り上がり、神事としての相撲を奉納する、というプログラムもありました。
それ、やらされた記憶もあるのです。
背中をおっさんにバッチバチ叩かれながら(赤く腫れます)、開かれて置かれた扇子に、先の尖った矢を叫びながら突き刺す、みたいなやつ。
お神酒もずいぶん飲まされる。
ここが「倭文」などという名前だと知ったのはずいぶん長じてからです。
境内で走り回っておりました。
お定まりのように、裏にはエロ本が落ちてたり。
今は立派に改築もされ、走り周っておりました本殿には勝手に入れなくなっております。
それが当たり前の姿といえば全くその通り。
この周りは他にも社があり、周辺一帯は公園になっています。
よく滑った奇っ怪な滑り台の北側にも、子供が遊ぶスペースが。
これが幼少の頃、入り浸っていた公園の遊具たちです。
うーん、ほんとにここで遊んでたのか…。
なかなか幻想的(悪い夢に出てきそう)。
このアニマルたち、当時と全く変わっていません。
色すら塗り直されていない。怖い。
それだけに、今や近づく幼児は皆無だと思われます。
ここで遊びたいと子供が言っても、許す親はいないでしょう。
あの物憂げに見つめ合うようなライオンと赤いラクダとか、一番手前のなんだかよくわからない動物(多分しろくま)。
右の黄色いイタチ(?)は目が光っているように見えるし、左奥のカバはもはや実体なのか幻影なのかすら区別がつきません。
一番奥は「違う種類のゾウ」「象その2」だとずっと記憶してましたが、ゾウは明らかにその手前にいますし、あれひょっとして「アリクイ」だったのかな…。
その2頭の間に「サイの死骸」みたいなのが転がってるような気がします。
懐かしい記憶も蘇りましたが、蛇とか出てきたら嫌なので立ち去りました。
人気(ひとけ)のなさはけっこう昔から同じだったような気もしますが、東京などにある「公園」とは、土地自体が持っている静けさ、地面から湧き上がってくる静謐、と言いますか、迫力が違うな…と、故郷とはいえ畏れを抱いた次第です。
みなさんの地元の公園は、どうですか?