アリストテレスは形而上学のことを「第一哲学」と呼んでいたそうだ。
現在、哲学者の多くは、ものごとは「実体」と「属性」に分けられる、というところで合意している。
形而上学においての問いは、多くがこの2つから生じているからだ。
「属性は、個別的なものなのか、それとも一般的なものなのか」
カンタンに言ってしまえば形而上学とは、「そこにあるものがあるのはわかるが、真に存在するとはいったいどういうものなのか」という、ぜんぜんカンタンではない言い方になる。
しかしそれを考えていけば、概念として多くのものに通用して考えることができ、個別に毎度、対処しなくてもよくなるという意味で、とても有用な考え方なのだと思う。
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1日1個、一年続けたら自動的に少しだけ賢くなるんじゃないか実験。
デイヴィッド・S・キダーとノア・D・オッペンハイムのベストセラー。小林朋則氏訳。
歴史・文学・芸術・科学・音楽・哲学・宗教の7分野から、365日分の知識。
この本を読みつつ、知ってるようで知らなかったこともちゃんと知りつつ、ああそうなんだね~なんて思いながら、少しだけ書くことを続けます。最低限、「360ページ以上ある本を読んだ」の事実が残れば、それでいい。「教養が身につくかどうか」なんて、知ったことか、と。
1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365