自論構築過程

思い出す食べ物

「思い出す食べ物」という言葉がふと浮かんで、いったいなんだろう…としばらく考えてみたけれど、ほとんど何も、それには該当しなかった。

脳裏に浮かびかける食べ物はあるけれど、それがたとえば「PHOTO BOOK 思い出す食べ物」という書物になるとしたら、そのページの質感と出版社のイメージにはまったくもって似つかわしくなく、編集者さんなんかに「なんですかこれ」と軽蔑した眼差しで呆れられながら言われてしまいそうなもの、ばかりだったりする。

たとえば「無人島に1個だけ持っていけるものはなに?」という設問にも、「持っていけるものを選択できるようなユルい条件で行く無人島は、そもそも本当に無人島か?島の反対側には集落があったりするのではないか?」とか思うようになってしまっているような世にスレた状態では、もう無邪気に「あれまた食べたいわい!思い出してもヨダレが出よるわい!」とか思うような食べ物は、もう無いのかもしれない。

いや、好きでなくてもいいのだ。
もう食べない、と思うものでも良いのだ。

それならある。

ある時期、広島へよく行っていた。
なぜか自分は牡蠣を食べないといけないと思いこんでいて、毎年、時期になると宮島へわざわざ船で渡って、商店街で大量の牡蠣を自分のためだけに自宅へ配送し、現場でもたらふく食べ、帰宅した頃に到着したそれらを、生のまま数十個も食べていた。牡蠣も業者も悪く無いのだけれど、牡蠣というのはそういうもので、いっぺんにたくさん食べると「俄然、確率がハネ上がる」ものらしい。なんの確率か、というと「熱が出て、上(あ)げ下(くだ)し」に至るレシオである。

その、数度にもおよぶ牡蠣からの鉄槌により、「自分の体がもし食中毒で変調を来すなら、食べてから5時間ぴったり」という教訓さえ得られたほどだ。

しばらくして飽きたのか、ほとんど牡蠣は食べなくなった。宮島へ渡る前に落としたガラケー。広島で仕方なく契約した新規のガラケーは最安値を選ぶとピンクの筐体。牡蠣でお腹いっぱいの上に重ねて無理やり食べたアナゴ飯。箸袋に書いてあった広島弁。

思い出ってこういうことなのか?

ものすごく小さい頃(たぶん2〜3歳)、旅行に連れて行ってもらった。鳥取県だったと思う。
そこで初めて「マグロの刺身」を食べた。大人らが食べて感想を言うように、3歳くらいの自分は「うまい」を連発して、大人を笑わせていたようだ。周りが笑うと子供は調子に乗るので、食べてはうまい、うまいと言うために食べる、を繰り返していた。その心地よい記憶が刻まれた幼い自分は、そのマグロの刺身のことを「うまい」と呼んでいたらしい。

のちに魚屋やスーパーへ行くと、パックされたマグロを見て「うまい!うまい!」と叫んでいたそうだ。なんだ、まるで取り憑かれているようではないか。

自分に映像としての記憶はほぼ何もなく、あとで大人たちに聞かされた、思春期には鼻がしらをかいてしまうような恥ずかしさがある話ではあるが、おそらく事実だ。

思い出ってこういうことなのか?

今日食べたものは、いつまで記憶に残るのだろう。
一週間前に食べたものが、思い出になるということは無いと、断言できてしまう。
日常にある食事のほとんどは、他の記憶に埋もれてしまう。

他のことを記憶するためのエネルギーを得るために食事や栄養や記憶は、濾(こ)しとられて、どこかへ流されて行ってしまうのだろうか。

それとも脳は、すべての食事の様子と味とその時の環境を記憶していて、実は丁寧に折りたたんでどこかにしまってくれているのだろうか。

食べたいと思う時しか食べ物のことは真剣に考えず、空腹の時には買い物をしても余計な食品に手を出してしまう。そんな軽薄な食べ物への思いしかないのと同時に、でもやっぱりどこかに、「一生忘れたく無い、人生の表紙になるような、食べ物を食べた濃密で優しい時間」があるはずなのだ。そう信じてはいる。

だけど、今はそういうのが一切出てこない。

これ、どこのなんだっけな…。

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