ドラマ「ROME(ローマ)」を観てます。
第2シーズンは、「カエサルの死後」の展開。
前シリーズは、カエサル暗殺で終わってました。
なんか「今からが大事なところ、まだまだこれからっていうところで殺された」っていうのが、本能寺の変とかぶるのです。
新しい国づくりをしようとして、先鋭的な策や案をたくさん持っていた両者。
それがあまりにもトガり過ぎてて、守旧派には「あいつ殺(や)らにゃヤバいぞ」とまで思わせた。
そしてそれは、実行されてしまった。
京都で織田信長が、明智光秀に殺されてなかったら、日本はどうなってたでしょう。
たぶん信長の描いていた専制国家計画は、ある程度まで進んだんでしょう。
当然、信長の寿命がある限り羽柴秀吉は「豊臣」にはなれなかっただろうし、「太閤はん」にもならなかった。
ということは家康もおそらく、東日本の大部分の管轄は任されたかもしれないけど征夷大将軍にはなってない。いやひょっとすると、大和朝廷は解体されていたかもしれない。
日本には2つ目の王権「織田朝」が成立し、2017年の現在は同じような近代化された社会であることには違いないにしても、もっと早く明治維新のようなことが起こっていたような気もします。
ペリーが来た時、いやペリーはもっと違う形で来てたかもしれない。いや、いや、といくら言ってもキリないんですけど。
※このカエサル役の人、ダンブルドア(ハリーポッター)の弟役をやってた人。
カエサルが殺されたのは、大きな権力を持っていた元老院にはそれなりの地位のあるローマ人しか入れない決まりだったのに、カエサルは「蛮族」であるガリア人を入れた、そこに大きな原因があった。
「こないだまで動物の毛皮を被ってた連中」とか「ズボンを履いてる連中」とか「髪を伸ばしてヒゲを伸ばす連中」とか、差別すべき対象だった人間が、同じ地位に登ってくることに脅威を感じていた層がいた。
「新しい階級」全てがカエサルに期待していて、彼らがついて来ていたからこそカエサルは強かったし、新しいことを断行できた。
遠くの未来まで見通していた帝政の生みの親は、寛容で楽観的過ぎて、護衛もつけてなかったからその元老院の場で、何十箇所も刺されて死んでしまう。そのうちの1箇所が致命傷だったそうで、ドラマではその一撃を、あのブルータスが食らわしたことになってました。
でも「ブルータス、お前もか」というセリフはありませんでした。
いや、なんというか、多分それは「敵は本能寺にあり」を明智光秀役が言わなかった!みたいなもので、この題材は欧米では広く人口に膾炙している、誰もが少なからず素養として、言うまでも無いストーリーなんでしょうね。
だから、どこをどう飛ばそうとも、そのスキマを埋める知識を、最初から視聴者が持っている。
どうも「裏エピソード」と言うか、カエサルに袖にされた愛人のセルウィリア(ブルータスの母親)が暗殺をそそのかす、とか、女の情念にウェイトがすごく置かれているんですよね。ちょっと鬱陶しいくらいに。
これがドラマですね。
そう言えば「おんな城主 直虎」も、女性がトラブルの発端になる時は、だいたい「情念」と言うか「感情的な行動」と言うか「ヒステリー」が元になっている気がします。
そういうのをすっくり取り除くと、多分ドラマって、味気なくなってしまうんでしょうねえ。
いくら真面目で公的な立場の人であっても、公の場では言う言葉の裏には「家族」とか、「女房」とか、「愛人」とか「恋人」とか、そのやりとりの中で培われてしまった感受性がある。
総制作費200億円以上、総撮影期間8年をかけて作られたというこのローマ、もうじき全部観終わります(全2シーズン。12話、10話)。
よく考えると織田信長の死は1582年ですがカエサルの死は紀元前44年。
ここに、1500年以上の時間差が…。
それでも「かぶるなあ」と思う部分があるというのは、「歴史は繰り返す」ってことなのかなぁ、とぼんやり考えています。
調べると、この「歴史は繰り返す」じたいがクルティウス・ルフスの言葉。
彼は1世紀の人だそうです。
そんな頃に、もう「繰り返す」って言いたくなるくらいだったのか!!