崇道天皇社。
早良親王(さわらしんのう)を祀ったとされる社。
天皇の皇子でありながら、皇位継承はできなかった。
だけど、崇道天皇(すどうてんのう)という諡(おくり名)になっている。
なんで?
桓武天皇の第一子(のちに平城天皇になる)がまだ幼かったため、いま桓武が死ぬと空位になって混乱する、というような事態を未然に防ぐために、還俗させられて立太子されたんですね。それが、西暦781年。
なのに、西暦785年、たった4年後。
暗殺事件(藤原種継暗殺事件)の黒幕の一人とされ、逮捕・幽閉。
淡路島へ流されますが、その途中で憤死。
「憤死」って、「怒りすぎて死ぬ」、っていう意味です。
いや、そういうとなんだか面白味すら出て来てしまいますが、「死ぬくらい怒る」と考えれば、無念も相まって、凄まじさがわかります。
「無実の絶食」で死んだんだそうです。
本気のハンガーストライキ、みたいな感じか。
僧侶時代には、その血筋もあって、東大寺の後を託されるくらいの人物だった早良親王。
還俗してからも、東大寺への影響力は大きかったんだそうです。
彼の憤死後、都では不吉な出来事や不穏な死、疫病(天然痘)の流行があって、「あ、これは早良親王だわ…」ということになります。
ここが面白いところなんですが、不吉なこととか、実害の出ることが起こったら、「あ、これは、あの人だわ…」って思うって、なんなんでしょう。
もし早良親王が本当に無実なら、何が起こったって、彼のことなんか思い出さないですよね。
「あの人の魂を鎮めないといけない」と考えるということは、「あの人は怒っている。だって、無実だったんだもの」と、多くの人、とりわけ、刑を決めた人たちが、思ってたってことじゃないですか。
由緒書きには
国内に凶事続出親王の怨霊との声高まり同十七年天皇遺骨を大和八嶋陵に迎え同十九年陵に於いて追尊の儀執行せらるる
と書いてあります。
西暦800年、彼には、なってないけど「天皇」の諡号(しごう)が贈られます。
遺体は、八島町に送られ、「八島陵(やしまりょう)」に埋葬されます。
これが、「崇道天皇陵」。
ここです。
私が行った「崇道天皇社」がここですから、
ほぼ南北一直線の場所。
少し離れていますが、ずいぶん丁寧に、長く、祀られているんですね。
よほど、祟りが怖かったんでしょう。
実は「崇道天皇社」は、この八島陵にもいくつもあったんだそうです。
明治になって壊されたりしたらしいですが、それまでは、かなり賑わった場所であったと。
とにかく、日本を「日本ぽいな」と感じるのは、「祟(たた)り」なんです。
これについては、日本人はまったく無頓着で、自然すぎて、疑問すら抱いていないことが多いですよね。
ものすごくナチュラルに、「祟られるのは怖い」と刷り込まれている。
「先祖の祟り」とか。
どうして、自分の子孫に向かって、供え物とか、礼拝を怠ったからって、先祖が祟って不幸をもたらすんですか。
意味がわからん。
そんなことしたら、余計に祭祀がダイレクトにとどこおるじゃないですか。
これって、その中間にいる人らが、民衆に対して吐いた「嘘」だと思うんです。
中間にいる人らって誰、っといえば、そりゃ、お坊さんらに決まってるでしょう。
16世紀にカトリック教会が発行した贖宥状(しょくゆうじょう、いわゆる免罪符)も、そういうパターンですよね。
神仏の仲介役として、まぁそういう感じなのでよろしく、みたいな。
だいたい、今ではお葬式の時とか、帰りに葬儀屋が、「清め塩」をくれたりしますが、「仏教」と「清めのお塩」には、なんの関係もありません。
なんの意味もないのです。
早良親王に、「天皇」の名前を贈ったのは「天皇ですよ?天皇をつけていただくんですから、ね、もう、ね、祟りは、無しね?ね?」という、鎮撫の意味が濃厚です。
それくらい、いい名前で丁重にお祀(まつ)りするんだから、っていう。
暴れないでね、っていう。
この100年くらい後、菅原道真を「天満大自在天神」として祀ったのも、同じ理屈でしたね。
無念を残して死んだ、とされた人には、異様なほどの扱いで、その死後の安静を願ったりする。
じゃあ、「無念の死」ってなんでしょう。
そりゃ、百姓だって、「あの棚の上に置いておいた菜っ葉の煮付けを食わずに死ぬなんて…」とかいう無念はあったでしょう。
そういうんじゃなくて、「ああ、怒ってるだろうなぁ」って、生き残ってる側が思ってるということが大事。
つまり、「政治的にとか、陰謀的に、殺された」ってことになりますね。
殺した側が、「どうぞ、鎮まっておくれ!祟らないでね!」と、願って寺院を立てたり、神社に祀ったりする。
そして桓武天皇は、平安京へ遷都しました。
なんと、「早良親王の祟りを恐れた」というのが、その理由のひとつとされています。
この回に書きました、
そしてもう一つ、平城京から長岡京を経て平安京に遷都した理由には、無実の罪をかぶって決死の断食を敢行し恨みを爆発させて憤死した、ある男に理由があると言われている。
というのが、それだったのです。
ただ、私が立ち寄ったこの「崇道天皇社」、不思議なことに、鳥居の真正面に、本堂がない。
ストリートビューのおっさん
こっち見てるね?
参道を進むと真正面には、黒い扉の「お神輿の倉庫」があります。なんで?
突き当たりの、その倉庫の左手に、本殿(重文・旧国宝)はありました。
なんでだ?
単に、場所の都合なんですかね。
本殿と神輿倉庫が逆だと、お神輿出しにくいから??
それとも出雲大社と同じく、参拝者が祭神に正対しないように、みたいな、かつての為政者の配慮なんでしょうか…。
境内には、なんと菅原道真公が祀られています。
そのお隣は、お稲荷さんでした。
奈良が好きでへ観光に行かれる方も、立ち寄る人は少ないのではないかと思われる、崇道天皇社。
怨霊鎮魂は、日本の霊的作法の根幹を為すところですので、出雲大社・各地天満宮をそんなにありがたがるのであれば、同じく早良親王にも、「よろしくお願いします」的な挨拶は、しておいた方がいいと思うのは考えすぎでしょうか。
スピリチュアルなおばさま達は神社仏閣も所詮は自分をえらく見せるためのアクセサリーにしか考えてませんからね…と最後にチクリとイヤなことを書いて、終わることにします。