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5月7日放送 第18回「あるいは裏切りという名の鶴」#NHK #大河ドラマ #おんな城主直虎 #直虎https://t.co/f6tYm1tOSs— NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」 (@nhk_naotora) April 30, 2017
この違和感のある、「あるいは裏切りという名の鶴」は、ダニエル・オートゥイユ主演の「あるいは裏切りという名の犬」というフランス映画のタイトルのモジりですね。シリアスな、パリの警察内部の疑獄を描いた映画。
「領主はつらいよ」に続き、ここでも映画タイトルをモジってくるとは…。
確かに鶴(小野政次・高橋一生)は井伊を裏切ったように見えるし、不遜な態度を取ってはいるけれど、なんとなく視聴者は「いや、実は違うんだ」みたいな彼の感情の機微を、その演技から感じとっていましたよね。
現にいま、井伊の里は今川に蹂躙されてもいないし、嫡男である直政も殺されてはいない。自身だけ憎まれながらも、今川とのギリギリの折衝役を負い、危なっかしい戦国の世で現状を維持している。その評価はもっとされていいと思うんです、あくまで現時点では。
でもそれが「よくわからんぞ」という人のために、さらにわかりやすく、さらに誰でも気づくようにw、誰でも見やすくなるように、という説明がなされましたねww
映画「犬」の方でも、主人公たちは三角関係だったんです。
その辺りを、「鶴」の方ではほのめかしたいということですね。
いや、でも、それをやるとですね…
三角関係といっても「犬」では、主人公とその妻、そして対決する元・親友。
主観は、男性側にあります。
「おんな城主」にこれを当てはめると、「直虎」の視点は小さくなってしまう。
実は「おとわ」を取り合った男ふたり、という視点が強くなり、直虎(柴崎コウ)はそれに翻弄される悲劇の、受け身のヒロイン、てことになってしまう。
女性をむりやり主人公にすると、こういう時困りますね。
ただでさえ最近の「おんな城主 直虎」は、めくるめく環境に直虎が驚き、悲しみ、対処するという「リアクション側」な立場を取らざるを得なくなっています。
自分から驚くべき行動に出る場合(寿桂尼のところへ変装してやってきた)、捏造するしかない。
バレないけどw
もちろん、多くの人は「あるいは裏切りという名の」とかで検索したりしないので、「犬」の存在も知らないまま最終話を迎えるのでしょうけれどもw、なんというか政治的大河ではなく、恋愛的・感情的ドラマとしての部分があまりに肥大してくると、特に男性は「ううむ」と唸って録画予約から消す、という事態になりかねないんじゃないか、と勝手な心配をしてしまいます。
どんな魅力的な俳優さんが次々に出てこようと、どんな人気のタレントさんを要所要所・影にひなたに起用しようと、歴史が持つダイナミズムには絶対に勝てません。どんなすごい役者でも、どんなすごい作家でも、「こんなことが、起こるかね!!!」という厳然たる歴史の流れには、絶対に抗し得ない。
その「歴史と言ってしまえばそれまでだが…なんということだ!!」みたいな奔流に翻弄される姿こそに、人間の営みとして感動するわけです。言ってみれば、「いやそこまで活躍させて持ち上げといて、最後絶対殺されるんやんな!?龍馬って!」みたいな。
今回は映画から、そして十九回のタイトルは「罪と罰」。
ついにドストエフスキーからの借用かwwww
謀反の疑いで幽閉された、という武田義信とは武田信玄の嫡男。川中島で上杉謙信を追い込んだ猛将でもあったそうです。ここから、戦国の世はわかりやすく動いていってる様が伺えますね。