自論構築過程

死んだ後のことがめちゃ気になる霊魂のスピード

 

骨を、墓の下に埋める。

焼かないといけない「火葬」を日本人が選択したのは土地柄、湿潤な気候であったことも大いに関係するでしょうね。

乾燥地帯では遺体は、放っておいても文字通り乾燥して風化する。

湿っていて雨も多い地域では放っておくと菌が繁殖して病気の蔓延につながりやすい。
早めに焼いてしまうのがやっぱり合理的なのです。

そして土葬にするとモロに「遺体がその大きさでその場所にある」ので、火葬にして遺灰にしてその一部を埋めておいた方が、やっぱり合理的です。

火葬の国では「墓場から蘇るゾンビ」は成立しにくい。

だけどその「合理」とは、現代にやっと理解が進んだ科学的な合理の範囲であって、死にまつわることは伝統的に宗教に直結することですから、「湿った気候だからね」に優先する宗教観が存在したことも、事実でしょう。

キリスト教だと、人間は「最後の審判」で全員(今までに死んだ人を含めて)生き返り、神の審判を受けるということになっているので、遺体は焼いてしまってはいけないんですね。

儒教文化圏においては「気」が散じてしまうことで訪れる「死」のあと、親の遺体を焼いてしまうことに対する「不孝」の感覚がなかなかに強いので、土葬が中心になっていたそうです。

儒教から派生した朱子学が発達した江戸時代には部分的に「やっぱり土葬でしょう」と火葬を禁止した藩があったそうですし、明治になると火葬禁止令が出されたりしました。

それにしたって「死者は全員土葬!」ということになってしまうと場所が足りなくなります。

どこに埋めたって構わないしその上にすぐに何を建てても構わない、っていうんならなんとかなるでしょうけどそうもいかないですから、「墓所・墓地」がそれなりの区画を占めてしまうとなると、人口増加に国が耐えられなくなります。

 

日本の古代においては「殯(もがり)」という習慣がありました。

なかなかの長期間、遺体を置いておいたのだそうです。
日本は砂漠地帯などと違って、季節によってはわりと即、腐り始めたでしょうね。
貴人に対して行われる「殯(もがり)」、日本ではそうは言ってもすぐに埋葬したでしょうけれど、
古代の中国なんかでは「3年の殯」という記録もあるそうです。

そりゃ腐臭も凄かったし、そのためのお香も盛大に焚いたんでしょうね。
「殯宮(もがりのみや)」という専用の建物も建てられた。

今は日本では多くが仏教的な「火葬」を採っています。
お通夜があって告別式があって、火葬場へ移して焼く。
遺骨を骨壺に入れて埋葬する。

実は今、2025年に向けて問題になるだろうと言われてることがあります。
それは「多死社会」
ネーミング合ってるかな…?という感じもしますが、2025年には団塊世界のすべてが75歳以上になるという時期に突入するらしく、年間死亡者140万人を突破すると予想されているのだそうです。

つまり「寿命でしょうけど火葬場、足らないよ?」という状況がやってくる。

火葬場って、自治体をまたぐと焼いてもらう費用がずいぶん跳ね上がるので、自分の住んでる(た)自治体で…となると、けっこう待たされるんですよ。

自動的に「殯(もがり)」の期間が発生してしまう事態。
待機が1週間に及ぶこともあるとか。

火葬場って、どんどん増やすということにはならないんですよね。
自分もいつか死ぬくせに、火葬場の建設には住民反対運動が起こりやすい。
食肉処理場と同じで、なんだかまだまだ妙な「差別感」が残ってるんだなぁといつも思います。

村のお寺の隣で育った私としては、死や葬送は「そういうもんでしょ」という気持ちがいつもまとわりついているような、なんでそんなに死を無理やり遠ざけようとするのか、よくわからないところがあります。

それが「地域性や気候による合理」が入り混じって出来上がった宗教観だとしても、忌み嫌う死への感覚が裏返しになって出来上がったのが「呪い」や「怨み」などをモチーフにしたオカルト・ホラーの人気の土台、なのかもしれないなぁ、と思うところもあります。

他人の死・他人の念・他人の復活・他人の死後の世界からの働きかけ、など、それらをいじくり回している間は、自分の死・自分にまつわる死の役割からは、解放される。

そういう気分が、「単なる怖さ」「その怖さとの埋まらない距離感」が、エンターテインメントとしての役割になっているのでしょうか。

メリーゴーランドはメルヘンで楽しいけれど、メンテナンスは自分でしなくてもいい、みたいな。

「死」を扱うとき、「自分の死」と「死全般のこと」とでは少し、かぶらない部分が出てくるんです。

だって死んだ後のことが自分でわかるわけがないし、死んだ後の「どうこう」はすべて、生き残った側の人らがする「どうこう」のことですから。

俺のこと、絶対土葬にしてくれよな!!といくら力んでお願いしてても、死んだらどうなるかなんてわかりません。

生きてるうちにさえ、「延命治療はしないでくれ」と本人が言っていても意識不明になったら家族は延命治療をしようとします。そういう例は、すごく多いらしい。

「遺言」には法的強制力があるので守られるんでしょうけれど、でもそれは逆に言えば「法が定める範囲における遺言」という意味であって、「本人がそう望んでたすべて」が死後に望み通りになってるかどうかなんて、死んだ側にとってはもはやどうでも良いことだと言わざるを得ないでしょう。

なのに我々は、なぜこんなに「自分が死んだ後のこと」が気になるんでしょう。
それ自体がすごく気になる。

「死んだら暗黒。何もない。虚無。」という説を取りたがる人って、実は結構いるんです。
自分はこだわらない、無宗教だ、とでも言いたげな。男性に多い印象があります。

だけどその同じ口で「お墓参りをすることで先祖が守ってくれる」とか、平然と言うんです。
え、死んだら虚無の何もなしのズンベラボンなんじゃなかったっけ??って、言ってあげたくなりますよね。

神や仏を信じ込まないことは理知的で冷静で地頭が良いという印象を自分に持って欲しいんでしょうけど、「先祖」とか「霊魂」とか「御利益」サイドから話に入っていくと、いとも簡単に信心深い言説に絡めとられる人、多すぎです。

「自分はそう思う」にすぎない偏った知識とマウント取りたい欲目に取り憑かれた霊能者(金の亡者とも言う)と、テレビから発せられるインチキ都市伝説番組の言葉を、どこか「ほんとにそうかもしれない…」と、信じてしまうところから来るんですね。両方とも、不安をついてくる商売だということに気付いてないんですね。ぜんぜん、地頭が良くないですよ、あなた。

お墓も葬礼も、お金のかかることです。
逆に言えばお墓にも葬儀にも供養にもお金が一切かからないのであれば、現在のお寺さん、とっくにぜんぶ潰れてるんじゃないですかね。

逆に、「そんなものに意味はない」と直感的に思う人らが増えている現実、もあります。

つまり田舎で育った(しかもお寺の隣よ)私のように、「お寺と葬儀・死や供養」は連結しているものだ、という記憶や感覚すら希薄な世代が多くなってきてるということですよね。

私なんかは死んだら、おそらく田舎にある墓に入ったりすることになるのかな…そのあたりはほんとにどうでもいい(死んだら分からないから)んですけど、「そうしないとバチが当たる」というのは、伝統的にお寺さんがついてきた「嘘」ですからね。

伝統にとらわれている「だけ」ではなく、今、宗教は新しい段階に入ろうとしていると言えます。

況や、とんでもない事態が人類に起こったとしても、宗教が何もしてくれないことがだんだん証明されて(バレて)いってるから。もはやお寺さんじゃなくて和尚、あなた不動産屋ですよね?的な。

 

ある人にはある「奇跡」たるものが、ない人にはない「信仰」を基盤とするものが、人生のスピード感に、追いつかなくなってきている。

 

そんな中、「散骨」サービスがじわじわ、増えてきているそうです。

焼いた骨を、海に放つ。
墓も要らない、供養は家ですればよし、という合理性。
ページには「まごころを込めて散骨」と書いてあったけど、正直、丁寧にやってくれさえすれば、「まごころって何」と考えなくて済むから別にいいんだけれど、という感じもします。

この「まごころ」の部分が宗教観、になってくるわけです。
つまり「まごころを込めるからこその安らかな死後」とか「まごころこもるからこその成仏」という、宗教目線の「死後のあり方への言及」の余地となる。

あなたのまごころとは一体何、ということになって、「まごころがある人が海に骨を撒いたりするものか!」と言われたら、それはそれで論争になる。「親の骨を海に、なんて…」とすぐに思う人は、そういう宗教観と伝統と人の目に、縛られているということになります。

「死んだら暗黒。何もない。虚無。」と言っている人ら全員に、このあたりを伺ってみたい。

例えば「あなたの骨は、まきます!」と先に言われたら、自分の死について、死後について、宗教について、改めて考え直さざるを得ない。

そういうきっかけに、なるなぁ。

「二柱目以降は割引いたします」っていうのも、なんかいいなぁ。

 

 







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