「3Dがすごいので、観るとすごい」と勧めていただき、観に行っきた。
あらゆる映画を観るにおいて、3Dである必要なんかある??というか映画って、映画館で観る必要ってある??とすらうっすら普段から思っている私。
それについてはすでに、この回に書かせていただいた。否定していたりするわけではない。
せっかくのオススメだったので、3Dで。
1D(1 x Dansei)で。
この「ドクター・ストレンジ」で、3Dの功罪っていうものを体感してきたので少しだけご報告。
IMAXシアターっていうやつ。
109CINEMAS IMAX
http://109cinemas.net/imax/about.html
メガネをかけて、飛び出す映像。
いや、あの、青と赤のメガネの時代からずいぶん進化したものだ。
そういえば前に、何かの映画でIMAX、観た。
ず「3Dメガネ」じたいが、この頃(2010年)とは、もう違うんです。
ほら。この差。
↑2010年。
↑2017年。
TOHO(東宝)と109(東急)の違いはあるものの、横から見ると
↓2010年。
↓2017年。
↑、レンズ部分が大きいので画面を見たとき、メガネのフチが気にならない。
視界いっぱいに3D映像が広がるようにしてある。
しかも我々巨頭族にも配慮し、ツルの部分で頭部が痛くならないほどの幅を取ってくれている!
最近、Amazonプライムで「イミテーション・ゲーム」を観たところで、主役のベネディクト・ティモシー・カールトン・カンバーバッチを何この人!なんかすごい人だなぁ!と思っていたところだった。
確かに見たことないわ
ドクター・ストレンジは、マーベルコミックのヒーロー。
つまり子供向けの漫画の主人公です。でもアメリカのヒーローって、みんな「ちゃんとした大人」なんだな。地位も名誉もある人が、何らかの挫折や事故をきっかけにヒーローになる。そういえばスーパーマンもちゃんとした新聞記者だったし(あれは宇宙人か)、アイアンマンを作ったトニー・スタークはもう地位も名誉もそもそもありすぎる。高須クリニックの院長みたいなもんか。それは違うか。
なんかこう、日本のヒーローは少年だったりよく分からない身分の若者だったり(仮面ライダーとか戦隊モノとか)、割と「少年が世界を救う」的な感じが多い。「セカイ系」と呼んでいいのかどうかはわからないが、少年少女の視野(主観)に見える「世界」を、超常の力と努力と友情で何とかするっていう。
アメリカだと「大人がちゃんとやるから」みたいな、「子供は黙ってろ」なベースがあるような気がする。
だから安心感はあるけど、子供は主に、常に救われる対象、守るべき存在、なんだなぁとも感じる。
多文化への尊崇は異民族への差別の裏返しか!?
それにしても、アメリカ人の「東洋の神秘崇拝」はすごいなと今さらながらに思う。
どうしてアメリカで無理なものが、チベット(ネパールでしたっけ)へ行くと解決するんだ?
その流れが割と自然で、「あの辺へ行けばそういう感じでまぁ、そうだろう」みたいな暗黙の了解があるのが不思議でしょうがない。
100年前ならまだしも…と思いましたがドクター・ストレンジの初出は1963年。
戦前だろうか?と思ってたがその頃(60年代)、中国・チベット・ネパールあたりへの崇敬というか、オリエンタルマジックというか、医学や宗教や哲学に関して、憧れにも似た感情が西洋人にはまだまだあったんでしょう、今ですらあるんだから。
しかも「至高の魔術師」はケルト人だって言うんですから、出た!「ケルト」と言う名前を出せばなんとなくいい感じになる(ふわっとした神秘的な人種に思える!)っていうやつ!と思ってしまった。
ケルト人とは、絶滅したと言われる民族で、この回にも少し書いた。
東洋を実際以上に神秘的存在に祭り上げる様は、なんとなく「スター・ウォーズ」に似た感覚。
…があるのは、衣装のせいなのだろうか。
東洋リスペクトな、キモノ然とした衣装。
「ジェダイの騎士」にも通づるものがある。
テーマは2つ、か。
重要なのは、傲慢で科学と技術を信じていた医師スティーブン(カンバーバッチ)が腕の力を失い、「でも生きる意味は他にもある」と諭してくれたクリスティーン(レイチェル・マクアダムス)にも、ツラく当たってしまうところ。
そうなのだ、「生きる意味」にとらわれ過ぎると、価値観が固定されてしまい、「そうじゃなきゃいけない病」にかかってしまう。
もちろん、腕の良さや地位をハナにかけていた人からすればそれが一瞬で失われた時、自暴自棄になってしまうのはわかる気がする。
でもそうなった時、すぐに支えようとして「あなたには何もしなくても、何もなくても無限の、無限大の価値がある」と言ってくれる人が側にいることの凄まじい価値に、気づかないといけなかったのだ。これが一つ目。
それで「チベットへ行きまんねん」て、現実世界ならただのお花畑な傷心OLかオマエ、と言われて終わりだ。
勝手に行って野良犬に噛まれて狂犬病になって水怖いって言いながら死んでこいの世界。
時間を操る、とは。
ドクター・ストレンジが最後、時間を支配する(戻す)呪文で暗黒次元の支配者と取引して地球を守るわけだが、映像がすごかった。
「インセプション」(2010年)で観たような、空間がねじ曲がって重力が上下左右に入れ替わる表現。
ビルや建物が、そのデザインの延長線上で変化して行くので「あれ?幻覚観てる?」っていう感覚に襲われる。
敏感な人なら、三半規管に刺激がありすぎて乗り物酔い症状になると思う。
しかしいつも「時間を支配」って言う項目が出てくるたびに単純に思うが、ああ、それは「ザ・ワールド」もそうだし、
「時間を操る」=「時間を止める」。
宇宙の法則が適用されるなら、もちろん「ここの時間を止める」っていうことは、「全宇宙の時間も同時に止める」ってことでしょう?
自分だけがその中で動いているっていう表現があるが、あれは「地球の回転も止まっている中で動いている」んだよね?
例えば5秒止まっていたとしたら、地球は24時間(86,400秒)で約40,000kmを一周するから、時速約1,700km。1秒間に463m移動する速さだから、5秒だと約2.3kmの移動ぶん、どこかにエネルギーが溜まっていることにならないかな。我々は地球と一緒に移動しているので感じないだけで、地球が止まってるのに自分だけ動いている、っていう(しかも5秒も)のには、とんでもない負荷がかかっていることになる。
しかも、地球は時点だけでなく、「公転」もしてる。
太陽の周りを回っている。
公転軌道・約9億4200万kmを、365日で一周する。
365日は3153万6000秒なので、秒速約30km。
いや、もう物理法則のことなんてぜんぜん知らないんでよくわからなくなってくるが、とにかく「自分だけ自由に動いてるぜ」なんていうことが、どれだけすごいことか。ましてや自分の意志や呪文で、逆行させることもできるなんて。
最近知ったんですが、トランスフォーマーに出てくる「ユニクロン」というロボットは、大きさが9万kmあるそうだ。全長9万kmですよ。
これくらい大きいと、もう「トランスフォーム!」で変形すると言ったって、その動きは(アニメで見ると目測)、長さ2万kmはあるであろう腕が2秒くらいで出て来るとなると秒速1万kmで動いていることになってしまう。
ということは時速3600万km。
ちなみに、光の速さは時速約10億8000万kmです。
体調が良ければ、光速を超えてしまう日もあることでしょう。
ユニクロン、まだ小さい方だた。
ゲッターロボに出て来る「ゲッターエンペラー」は約90億kmの大きさ。
「天元突破グレンガラン」は、約283京824兆kmあるんだそうだ。
もう「光年」の世界。どうやってメンテナンスするんだろう。
と思ったら「超天元突破グレンガラン」になってくると大きさは137億光年以上で、銀河の3倍。
もう最初から光年で表してくるその態度!!
もう考えるのをやめましょう。
宇宙規模になってくると、我々が「早くしなさい」と言っているようなこととはまさに「次元が違う」という状態を指すことになる。
時間と、距離が、別のことではなくなる。
つまり超巨大な「宇宙」という規模で考えると、「時間」を考えることと、距離を考えることは同じことだということになるのだ。
この辺り、やはり人間は普遍の法則を守り、時間の進行に従って愛とともに生きることこそが美しい、みたいなところが、2つ目のテーマかなと感じた。
時間を支配することが「悪」として、いやそこまで悪じゃなくても「封印すべき力」として存在して、もうそれ以外の「アストラル体」とか「空飛ぶマント」とかは、どちらかというと現実的な側の力として描かれていた。
アメリカ映画だし娯楽作品なので、結局最後はいつも「愛がパワーだ」みたいな、宗教団体じみたテーゼで大団円を迎えるのはおきまりのパターンなのかもしれないが、やはり3Dには圧倒されてしまった。
いや、上にも書いたが、三半規管弱い人はやめた方がいい。
ましてや4DXとか。いや4DX、めちゃくちゃ面白いらしいですよドクター・ストレンジ。