修学旅行
中学校の修学旅行は、スキーだった。当時、スキー合宿のようにインストラクターがグループ分けされた生徒にスキーを教えるという形で、スキー場と結託した修学旅行が流行していたようだ。何時間も雪山でスキー訓練を受けた生徒たちは夕方ごろにはヘトヘトに疲れており、夜間に悪さをするような元気が残っていない。さらに、もし宿泊施設をこっそり抜け出したとしても雪に閉ざされた歓楽からは隔絶された環境だし初めて訪れる土地ゆえに、右も左もわからない。完膚なきまでに服が濡れてしまうことから、部屋に帰ってからのダメージも大きいと予測される。なので部屋でトランプでもするしかない大人しい夜、引率の教師も余計な警戒する必要がなく、楽なことこのうえない。「こんなもの、やりたい奴が大人になってからやればいいのに…」と思いながらも、拙劣ではあるが多少スキー板を操り、滑れるようになった自分には喜びを感じた。だが3年後、高校の修学旅行もスキーだった時には、そこそこに絶望したものだ。
格好悪い人
格好悪いというのは格好良いの対義ではあるが、この幅は大きい。例えばファッションで言えば、あらゆる服はおしなべて「格好良い」のためにあると言ってもいいだろう。「これを着ると格好悪いです」という惹句は販売の現場には存在しないだろうから、「格好良い」がすべての服の目的である。そのはずなのに、なぜ格好悪いが存在するのだろうか。同じものを着ていても格好悪い・格好良いが存在することは事実だ。この事実は、結論としての「人による」を介し、服装みたいな低次元で表層的な事案で格好悪いだの格好良いだのを言い争っている人について、それそのものが格好悪いのだということの裏付けとして有効である。言い方を変えれば、他人を、自分の狭い基準のみに頼って「ダサい」などと軽々に言える人は、たとえその人の服装がどんなものであろうが「格好悪い」のである。
荒井注
2000年に亡くなった。インテリでありながらミュージシャンでもあり、スカウトされる形でドリフターズに加入するも10年ほどで脱退する(代わりに加入したのが志村けん)。晩年、カラオケボックスを運営しようと建築物の施工が完了したものの、当時のカラオケ機材を入り口から搬入することができず、そのまま経営ごと断念した。現在も静岡県伊東市の八幡野にそのまま廃墟として残っている。当時、ワイドショーでも話題になり、レポーターに向かって「なんだ馬鹿野郎」と往年の名台詞を言い放った伝説が残っている。Googleマップで「荒井注のカラオケBOX跡」と検索すれば「景勝地」として登録されており、往時の面影を感じることができる。ちなみに隣にある「ぷるぷるランド」という大型レジャープールも廃墟と化している。
時間がない
時間がないと言っている限り、時間はない。時間は時計で見る限り24時間しかないので、フロイド・メイウェザーも言っているように、8時間寝て、8時間働き、朝昼晩の食事で3時間、身支度に1時間。必要なこれらの時間を除くと、あと4時間しか残らない。決して無駄にはできないので、彼は自分のやりたいことに集中しろ、と彼は語る。集中力が上がれば、やれる内容の濃さが変わる。言い換えれば、集中さえすれば、4時間が5時間にもなり、6時間にもなるということだ。時計で見る限りでは24時間しかないのに、集中して取り組む人にとっては1日が27時間にも28時間にもなるのだ。秒針のスピードは平等だが、体感時間は決して平等ではない。アインシュタインの相対性理論では「速く移動するほど、止まっているものより時間の進み方が遅くなる」と言われる。時間の有効活用は、「集中して早く行動する」ことから始まるのかも知れない。