自論構築過程

「いろんな人がいる」「どんな時もある」で怒りの波を乗り越えろ

投稿日:2017年4月17日 更新日:

完全犯罪の座標 傑作短編集(七

 

怒りや悲しみを回避するには、それなりの準備と投資が必要だと思うことがあります。
準備というのは「考え方を増やしておく」ということであり、投資というのは「その考え方に出会うための出費」と考えていいでしょう。

あんなに腹立ってたけど、そう考えればいいのか!という経験を繰り返していけば、同じ感情に振り回され続けることは、減ります。

 

「だって、感情は止められない」というのは、開き直りです。

向上するため、改善するための努力を怠っているだけで、「人間とは本来そういうもの」というどこかで聞きかじった都合のいい言説をつまみ食いしているだけの、開き直りです。

「開き直って何が悪い」というのはさらに開き直りなので、感情を優先させている分際で「良くなりたい」とか「穏やかに暮らしたい」とか考えるのはやめましょう。そんなの無理です。

こんなのはおかしい・怒りはない方がいい・腹立ちや悲しみ/不安を少なくしたい、と冷静に考える果てにしか、それに到達する方法は見つけられません。

「人間の感情は自然なもの」と、「犬がボールを追いかける狩猟本能」みたいな感じで、開き直るのはやめましょう、

 

いろんな人がいる・どんな時もある
さて、日々、いろんな人に会いますね。

親しい人は、なんらかの「良い理由」で親しくなっているわけですからそれでいいんですが、「親しくない」人の中に、どうしてもムカつくやつとか、合わない人とか、どーもそれはダメでしょう、っていう人がいます。

結論から言えば「それはまぁ、しょうがないでしょ?」なことなんですが、でも「なんでそうなるの!?」と吐き捨てたくなるようなことは、日常茶飯に起こりますよね。

人を許せないとか。
他人が気になるとか。
自分にできることをできない人に、腹がたつとか。

 

それを、やめる方法があります。

それは、「認めること」です。
「許すこと」ではありません。

「許す・許さない」になると、「どこからを許すか、そしてどこからを許さないか」という線引きが必要になり、個人の精神の中でやるには少々コストがかかりすぎます。
そういうのは「ルール」に任せましょう。

日々に起こる「なんなんだ!」という小さな感情の波風には、「認める」という作業が必要です。

「認める」とは「いてもいい」と思うこと、です。

多様性、というとカッコよく聞こえます。

つまり「どんな人でも、いてもいいよ」と勝手に思うことです。
本来、どんな人でも、いてもいいでしょう?
いてはいけない、なんていうことは、誰にもできない。
もちろん「不法入国」とか「関係者以外」とかそういうのは別ですよ。
それは「ルール」に任せましょう。

「いてもいい」というのは、「存在しているだけでいい」ということです。

でも、なんでそんなことしてるんだ!?と、謎とともに怒りが思わず湧いてくるとき、呪文のように唱える言葉を2つ、今日はお伝えします。

 

1コめ。

「いろんな人がいるなぁ」。

これは、まさに「存在を認める」ということですね。
いろんな人いるんです。
その人が奇異に映るのは、ふだん、あなたの生活範囲にそういう人がいないから。
どんな格好だって、どんな考え方だって、自由です。

日本の人に対しては「ただしてやる」とか思ってしまいますけど、例えば南米ボリビア在住の変な人、のことはまぁ、とりあえず今日はどうでもいいじゃないですか。

とにかく「いろんな人がいるなぁ」と口に出して言えば、脳内で「ほんまやなぁ」というこだまが返ってきて、成立します。
穏やかさを引っ張り出すきっかけになると思います。

生物多様性、ではないけれど、ほんとは「害虫」などという生き物は、この世にいないですよね。
昭和天皇がおっしゃったように、ほんとは「雑草」なんていうのもない。

考えてみれば最強の環境破壊である「稲作」。
米作りは、なにせ他の植物の繁茂を許さず、「稲のみ」しか育たないように管理するんですから、そりゃその基準でみれば、米を食う虫は「害虫」だしネズミは「害獣」だしスズメは「害鳥」でしょう。
稲作が悪いと言っているんじゃなくて、「ある視点に凝り固まっている」から、他人が疎ましく感じる、ということです。

別にコメも作ってないのに、「なんなんだ!あの害鳥は!」と怒っているのは、やっぱりおかしいなあ、と思うのです。

とにかく「いろんな人がいるなぁ」と、口に出して言ってみてください。
思ってるだけではダメです。

 

 

2コめ。

「どんな時もあるよね」。

みんな、いつも平常ではないんです。
例えば狭い道路で、ものすごく邪魔な感じで停まってる車があり、これにはとても腹が立ちます。
カッと興奮する、いや「公憤」か。

緊急車両が通れないじゃないか!は正論ですし、極力、駐停車禁止の場所に「ちょっとしたお買い物、3分ほど」であっても、停めるべきではない。

でも、その停まっている理由は、運転者がいなければただの違法駐車で反則金・減点なんですけど、「その程度の違反による科料など、甘んじて受け入れましょう」っていうくらいの、緊急なことかも知れないんです。

もちろん、「そうならないように気をつけろ」と言われればそれまでですし、緊急って言ったって、人それぞれに違います。
「家が燃えている」と「リップ忘れた」ではぜんぜん違いますからね。

その人にとって、一生に1回かも知れない「その時」。
そんな事態は、自分にも5分後、訪れるかも知れない。

だから、「どんな時もあるよね」を口にすることで、他人の緊急が自分の日常に紛れ込んできたことの違和感は、払拭できるんです。

さて、ここで、理解の早い方はすでにわかっていただいているかも知れません。
これは1コめを横軸、2コめを縦軸とした、グラフで考えることができます。

横軸たる「いろんな人がいる」は、まさに地球上の70億人。
日本国内に限るなら1億3000万人くらい。

縦軸の「どんな時もある」はまさに無限パターン。

つまり

130,000,000 x 無限

が目の前に現れたとして、その無限パターンに対して腹立たしいと思わないといけないとすると、もうこれは、心の休まる時ないですよね。

逆に、「だいたい目の前に現れる、他人がやってることというのは、この式なのだ」と思ってれば、腹立たずに済むかもしれないんです。

 

「こうでなければならない!」ということも多々ありますが、それを「いろんな人&いろんな時」で割ってしまえば、もやは自分の持っている極小のこだわりに、無意味さすら感じます。

そしてそんな、極小のこだわりに気をとられているということは、もっと大事な・自分にとって大切な何かを、見失っている可能性が高いということにもなります。

「他人のやってること」「無限パターンある、腹立たしいこと」に目を向けているのは、自分がやらなきゃならないことに背を向けて、その目を背けていることの責任を、他人に転化しようとしているのではないか、と思われても仕方がありません。

というわけで、口に出して言ってみると効果覿面(てきめん)ですので、やってみてください。

 

次第に、口に出さなくても浮かんでくるようになります。

そうなったら、たいていの、今までカチンと来てたようなことはどうでもよくなり、より鮮明な「それは、あかんじゃろう」と共に解決策が、浮き彫りになります。

そして「それはあかん」と思う矛先が、きちんと自分にも向かうようになって来ます。

これをここまで読んでくれている人は、もうすでにそれだけで、素晴らしいと思いますので、ぜひチャレンジしてみてください。

 

 

 

 

 







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