見たもの、思うこと。

なんだあの疾走感と切迫感。『金沢シャッターガール』。

投稿日:2018年2月10日 更新日:

 

2018年2月9日に東京で上映が始まった『金沢シャッターガール』

金沢シャッターガール公式サイト
http://www.kanazawa-shutter-girl.com/

 

ラストはドキドキした。

なんだあの疾走感と切迫感。

なんでそこで終わるんだ。
まるで1秒後に何かが起こるかのような、精神がギシギシ音を立てて動く舞台装置であることを思い出させるような、平和じゃないかもしれないこの先の長い人生をすら、予感させるような終わり方。

振り返れば中学生の時、街へ行くと中学生ばかりが目につきました。

「お前どこ中だよ」のもっとガラの悪い言い方、その雰囲気が生活の7割ほどを満たしていたし、すごく嫌でした。
そうでなくても「私服だけどあの人、先輩だ」とか。
お祭りなんかへ行っても、すぐに目に止まるのは中学生。

男子も女子も、意識するのは同年代の人ばかり。

高校生になって制服が少し変わり、目につくのは高校生ばかり、になった。

あんなに見えていた中学生が、不思議とまったく、視野に入ってこなくなった。
気にならなくなったのです。

これは「スコトーマが外れる」と表現される、「盲点」という現象(?)です。

家族に妊婦さんがいると、街へ出ても電車に乗っても、妊婦さんがたくさんいることに気づく。
ベンツが欲しい、ベンツに乗りたいと真剣に思っていると、道ゆくクルマになんとベンツが多いのかと思う。

我々は、「見たいものだけを見ている」のです。

だから、それ以外は見えない。
自分に不必要だと自動的に判断した情報は、遮断して生きている。
見ても、見てないように感じているんですね。

高校時代は、眠かった…くらいの記憶しか無いです。

高校男子として、女子とデートした記憶もないし、告白もされたりしたりしたこともない。

何してたんだろう…と、学校を切り取った作品を見るたびに、ひそかに思い出したりします。
するんですけど、思い出せる材料がない。
どうなっとるんだ。

中学と高校は、少し隔絶した世界だけど、さらに大人になると、実はそれらが単なる地続きだったという感覚になってくる。

後悔や反省などしている暇はない。

生きていくには、卒業してからの方が長いんですから。

 

女子の、お話。

女子の視点を、こんなに意識したことがない。

女子って、そんな風に話し合って、そんな風に感じて、あんな風に遊んでるのか。考えたことがない。
まるでホッキョクギツネとかの生態を見るように、女子高生の日常に同居する感覚になります。

だから逆に、なんとなく「そうなのか…そうなんだな…へえ…」と、いつまででも観ていられる。

 

金沢が舞台。

いやぁ、もう、自転車ですよ。
そう、駅までは自転車。
それもまだマシな方じゃないですか。
駅までバス。

東京なんか住んじゃってサ、駅徒歩15分とかサ、えーちょっと遠いかもーなんてネ、そういうことに慣れてしまってるけど。
自転車です、田舎のガキは徹底的に自転車。
駅までどころじゃない。

原動機が付こうが付くまいが、自転車です。

映し出される金沢の街は古くて、現実的で、息苦しくて、そして(後に)愛おしい。

例えば小坂神社。

大事件なんか起こらないんです、なにも起こらないクソ田舎。

たいていは、友達がライブなんかやろうものなら大騒ぎのクソ田舎。
だからこそフォーカスは「眉間にしわを寄せて見える範囲」に集中して、それが感情の起伏をだんだんに触りながら、天気のように変わりながら、思い通りにならないことをただ、眉間あたりに集中してやり過ごす。

選択肢は、無茶をしないと実は、降って湧いたりはしない。

隕石でも落ちてきたり都会の男子高校生と入れ替わったりすればイベントなんだけど、実際はその1万分の1の出来事も起こらない。

ただイオンに行って、ただコンビニへ行って、バイトして就職して結婚して子供ができて…。

それがクソ田舎。なにも、悪くはないけれど。

 

何も起こらない。

日常は感情と、情報による騒擾で出来ている。
そんなものです。

友人として中学では無邪気に続くと思っていた関係が、壊れる、とまではいかないけれど、少しずつその形を変えて行く。

いわゆる「ゲマインシャフト」としての友達と「ゲゼルシャフト」としての友達の違い、に悩み時始める、ということですね。

ゲマインシャフト(Gemeinschaft)とは、自然に、なんのしがらみもなくもう、「ただ友達だから」みたいな関係。
血縁みたいな。
家が近い、とか幼馴染とか、なんとなくずーっと一緒の感覚持ってるよねーっていう、共通認識がある。

ゲゼルシャフト(Gesellschaft)とは、合理的に、実利的に、友達というよりは「仲間」みたいな、なんらかの利害関係を持ってる、打算的な関係。
先輩後輩もそうだし、会社の同僚とかもそうかも。
社会性が強い関係と言うこともできますかね。

大人になって、ゲマインシャフト的な友人ができることってほぼ無いでしょう。
個人的には、ゲマインシャフト的な友人っていますか?と聞かれたら「1人もいません」とイナヅマの速さで答えることができます。

いえ、友人は多い方が良い、というのも良くわかるのですが、「友人が多い」というその内訳を覗き見てみるに、果たして「ゲマインシャフト」なのか「ゲゼルシャフト」なのか、本人以外には確認のしようがないですしねえ…という疑いは、よくあります。

ゲゼルシャフトが悪いというわけでは全然なくて、なんらかの目的を持って集まった仲間、って素晴らしいじゃないか、と思いますよ、もちろんね。

 

象徴的だったのは雨です。

雨が降るんです、その時、その時に。
不機嫌としての雨。
悲しみとしての雨。
不可解としての雨。

思い出が、「雨の日」をまたいで繋がっている。

遊園地のデートも雨。
ああいう時の、「雨かよ…」っていうリアルさ、ありますよね。
そしてわけがわからないまま進んで消えた恋の最後も、雨。
振られて雨。夜の雷雲。轟く雷光。

その、彼氏のことにも関係するのですが、この映画には「男性」が出てこないんです。
まず主人公の家、お父さんが出てこない。

かなり立派なお宅で、思わず「風呂デカッ」と映画館で声に出しそうになりましたが高校生にもらってる自分の部屋、8〜10畳くらいある。

クローゼットにしっかりキャンプ用品を友達を代表して収納しておけるほどのお宅。
おまけとして「姉こわい」っていう設定。

出てきてもいいのに、世帯主たるお父さんの存在が希薄。
いないわけではなさそうなんだけど、物語には必要がない。
デートに行ったりして、彼氏はできるんだけど、精神を共有できる存在にはなり得ない。
思春期くらいの、女子が持つかたくなさなのか、それは男子にもあるんでしょうけど、「無邪気には仲良くなれないタイプ」目線からすると、男子は異物、たんに無神経な異物。

多かったとは言ったけどもう食わねえとは言ってねえだろ的な、無神経。生活に必要性を感じない異物。

 

だからこそ、の女性目線。

徹底的に男性、父性が、排除されているように感じます。

それだけに観客は、限りなく「女子として」見る事ができる。
この設定と主人公の思いが、胸にググッッと迫ってきた女性は、多いのではないでしょうか。
女子の物語に、男子はいらない。

女性どうしにだけ伝わる、身体性を通しての親近感、共有される苛立ち。

男子はどうしても、その社会性と社会からの評価を共通財産として、それをいわば奪い合い勝ち取り合う事で共有し、友情の糧とするところがあります。

でも女性は、身体性(女子って毎月大変よね、みたいなところから)をまず、母娘から始まって、同姓として共有しているという事実があって、内的に、うちわで(自然になんの社会的な評価がなくても)どこか言語を超えて分かり合えているという部分がある。

だからこそ年頃になって友達に彼氏ができたりすると、それは言ってみれば「社会からの評価」の一端であって、うちうちからの脱却を試みているように感じる。

ショックに思ってしまったりするんですね。
先ほど出てきた「ゲマインシャフト」的な友人だと思っていたのに、どうも「ゲゼルシャフト」的な位置付けに変わってきてるのか…という衝撃と疎外感を、持ってしまうんですね。

男性という、無神経で異物的な他者からの評価にさらされて生きるという現実に、飲み込まれてしまうのかというような恐怖。
それを裏切り、とまで思うかどうかはわからないけれど。

そしてさらにいつしか、自分も巻き込まれてしまうんですよね、とにかく雨だし。

どうやら自分もいつか大人になるらしいが、それは知識ではわかるが、そんなもん知らん、みたいなやけくそ。

ひょっとしたらラストシーンには、「知るか!!青春!!!」みたいな、やけくそが含まれているのかもしれない。

 

黄色のTシャツジジイ、あれ面白い。

ああいうことってありますよね。
こっちもどういう顔で観ているかわからないけど、なんだか不躾に、用事ありげに目を合わして来るジジイ、っていますよね。

なんやねんなにもないんかい、っていう。

あとやはり、写真部の男子がおもしろい。
何、あの感じ。なんなのあいつら。

俳優さんが素晴らしいんですけど、そもそもあんな設定である必要がないから。
寺内康太郎監督の、あれ、得意な分野ですよね…。
何回でも思い出せる。

その寺内監督と、編集の遠藤さんと朝5時までお話をさせていただいて、そのあと寝ずに10:55の回(お台場)へ挑む私。

金沢シャッターガール/上映スケジュール
http://www.unitedcinemas.jp/odaiba/film.php?movie=6484

そうなんですよね。
前日(2月9日)はキャスト・監督勢揃いによる舞台挨拶(東京版)があったんですね。

舞台挨拶(2月3日・金沢版)↓

東京での公開は2月16日(金)まで。

お台場ユナイテッドシネマは、駐車場から映画館まで行くのがちょっとだけややこしい、っていうか一回上に上がってまた降りる?ここは地上なのか?3階が地面!?みたいな楽しさのあるところです。

高校生は1000円で入れてお得ですね。
弊ブログを高校生が読んでいる可能性はゼロだと思うけど。

お台場、ちょっと歩くと、こんなの立ってた。こっち側歩くの初めてかもしれない。
「ちょっと上から見たことないもの落ちてきたけどバランスよく乗ってるからそのままにしてるねんの女神」が立ってました。

この陸橋を奥へ歩いていくと、ダイバーシティの方へ。

 

どどーん!

すごいですね!これが観光名所になってるんですね!

あんなのどうやって建てるんだろう!

観光客が写真バシャバシャ撮るはずだわ!

 

見て!あの四角い大きなビル!!!!!

 

四角いね!!!

 

 

 

おわり。

 

 

原作はこちら。

 

 







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