鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人 最終回『報いの時』

投稿日:2022年12月18日 更新日:

 

 

上皇は全国に

義時追討を命じた。

鎌倉は徹底抗戦を選ぶ。

この国の成り立ちを

根こそぎ変える戦乱が、

目の前に迫っている。

家康出てきた

徳川家康(とくがわいえやす)は幕府を江戸に開くにあたり、鎌倉幕府の「(準)公式記録」である『吾妻鏡』を蒐集させたそうです。

戦国時代を経て天下平定に成功したわけですがその前は長きにわたり、その名の通り「室町幕府」だったわけで、鎌倉幕府滅亡から270年ぶりの「関東覇権」を始めることになったのでした。
その参考文献として『吾妻鏡』を重用した。

逆に言えば例えば豊臣政権が壊れず、上方にずっと武家政権が存続し続けたら、『吾妻鏡』は完全に消失してしまってた可能性も高いということですよね。

東京がもし今みたいになってなかったら…という想像はかなり難しいところですけれど、北条早雲(ほうじょうそううん)が「後北条」を名乗って管理していた小田原、関東の雰囲気というのはやはり、もう失われてしまった文化のような気がします。

鎌倉時代の北条とは関係ないとは言え、徳川家康が開府以降、関東に持ち込まれたのは「上方文化」で、あとは「三河文化」なわけでしょう。純粋な「関東文化」は家康が江戸幕府を開くことで失われた。
どこかにその気質は残ってるんでしょうけれど。

次の大河ドラマは「どうする家康」なんですね。
しばらく「どうなる家康」だと思ってました。

その前の覇王・豊臣秀吉(とよとみひでよし)は「関白」だったわけで、政治の舵は武士が取るという常識があるものの、しかも戦国時代を経てるわけですから別に「征夷大将軍」である必要はもしかしたらなかったのかも知れない。だけど家康は征夷大将軍に任じられた。それも『吾妻鏡』を読み込んでた影響だった。

ちなみに「大日本史」編纂の過程で「鎌倉日記」を記したのは家康の孫・水戸光圀(みとみつくに)です。
儒学者・林羅山(はやしらざん)は徳川家康のために、『東鏡綱要』上下巻を献上しています。

 

まず「戦うか、否か」

朝敵になることを恐れる武士も多い中、やはりこれは一戦交えるしかない…というムードも高まる鎌倉。

北条政子(ほうじょうまさこ・小池栄子)の大演説以来、なぜか目がハッキリ見えるようになっている大江広元(おおえのひろもと・栗原英雄)は、最高幹部会でこう言ったそうです。

運を天道に任せて早く軍兵を京都に発遣せらるべし

とにかくまずは勝敗なんか気にせず、出兵すべしだ、と。
かなりの高齢に達しているジイ様、専守防衛を主張するかと思いきや「早よ行かんかい!」と主戦論をぶち上げます。

どうしましょうかねえ、と思いあぐねていた北条政子はそれを聞いて、「うんそうですね、そうしましょう。武蔵国の兵たちが集まったらすぐに出立を!」と腹をくくります。

そうこうしているうちに2日が経ってしまい、また「やはり京に向かって攻めるというのは慎重になるべきではないか…」という慎重論が出てきます。

するとまた大江広元が

日時を累ねるにおいては、武蔵国の衆といえども、ようやく案を廻らし、定めて変心あるべきなり。ただ今夜中に武州一身といえども鞭を揚げられば、東士ことごとく雲の龍に従うがごとくなるべし

と言います。
なんでもう80歳になっているような人がこんなに好戦的なんでしょう。

ここに出てくる「武州」とは北条泰時(ほうじょうやすとき・坂口健太郎)のことです。
武蔵守だったので、こう呼ばれています。

北条政子はその意見に再度うなづきましたが、もう一人の頭脳・三善康信(みよしやすのぶ・小林隆)にも意見を聞こうと言いました。
彼は老齢(82歳)であり重い病気に臥していたそうですが、わざわざやって来てしっかりとこう言ったそうです。

大将軍一人は、まず進発せらるべきか

やはり「北条泰時一人でもいいので、出撃すべきである」と。

意見をすり合わせていないはずの最長老二人の意見がピッタリ合致したことに北条ヨシトキ(小栗旬)は驚き、「これは冥助(神仏からの助言)だ!」と断言し、息子にその場で出兵を命じました。

大江広元は、息子の大江親広(おおえちかひろ)が京都軍に参加してしまっており、「何してくれとんねん…」と内心かなり怒っていたのだと思われます。ここで強硬とも言えるくらいの主戦論を唱えておかないと自分の身も危ない、という焦りと計算があったのかも知れない。

武士全体で言えば、まだ迷っている御家人もかなりいるでしょうしその郎党ともなると何が起こってるのか知らない連中が多かったはずです。
だけど坂東武者の団結は相当強い上、いくら北条泰時を総大将にするとは言え「たった18人にしか兵が集まらない」ということはないはずですよね。
単なるタイミングの問題だと思われます。北条泰時が総大将ということは彼が北条ヨシトキの名代であることは明白ですし、次代のトップだという象徴的存在だとアピールすることになります。これに従わないのは現職の執権に逆らうのと同じ、です。

ドラマ内では「策が当たったな」と言ってましたね。
すぐに兵は10,000を超える大軍勢になった。
とにかく「早々に出陣した」という事実を関東圏すべてに流布し、「こっちに早く乗らないと後々知らないよ??」というプレッシャーをかけた。夜のうちに鎌倉を「とりあえず」出立した彼は、まず藤沢清近(ふじさわきよちか)の屋敷に泊まりました。彼は奥州合戦にも参加した御家人です。

「とりあえず」出撃することが大事なんですね。

承久の乱、始まる(そして終わる)

戦闘は、いつの間にか19万に膨れ上がった鎌倉軍の圧倒的な勝利。

藤原秀康(ふじわらのひでやす・星智也)と三浦胤義(みうらたねよし・岸田タツヤ)は、後鳥羽上皇(ごとばじょうこう・尾上松也)を訪れ、

門を開かしませ

と言いました。
これは「御所で籠城戦をしましょう。見事に死んで見せます」ということだったんですね。

ドラマでは「上皇様おんみずから陣頭に立っていただきたい!」ということで上皇も「わかった!」と承諾してましたが、あり得ない選択です。

穢れから最も遠い、「清浄の象徴」である天皇・上皇は、決して血を見るような戦闘には参加しません。それどころか、動物の革をなめした鎧も身につけません。

実際の、後鳥羽上皇の返答は

男共御所に籠らば、鎌倉の武者共打囲みて、我を攻めん事の口惜しければ、只今はとくとく何くへの引退け

でした。

こんなとこで籠城したらさ、ワシが攻められるだろ?アホかお前らは。今すぐどっか行け

でした。

にべもない言い方。
見当違いをするな下郎、とでも言わんばかりのそっけなさです。

「治天の君」というのは、そういう存在なのです。
世上で何が起ころうと「日本を治める」という事実だけは絶対に不変の、天壌無窮の神格。

だから戦争が終わってから、トキューサ(北条時房・瀬戸康史)に対して平然と「こたびの大勝利、見事であった。私を担ぎ上げて世を乱そうとした奸賊共をよう滅ぼした」と言えるんですね。

これ、平常運転です。
後白河法皇(ごしらかわほうおう・西田敏行)もずっとそうだった。

実際に後鳥羽上皇は鎌倉軍の総大将である北条泰時に院宣を送り、

今度の合戦は叡慮にて起こらず、謀臣等が申し行う所なり

としゃあしゃあと言い切り、ついでに藤原秀康のを追討する宣旨を発給。
お互いあんなに頼りにし、頼りにされていた彼は朝敵となり、追われる立場に。
河内(現在の大阪)で捕えられ斬首。

朝廷は、ずっとこんなことをやっているのです。
源義経(みなもとのよしつね・菅田将暉)の時もそうでしたよね。

で、それで済んでた。

何があってもすべての人間が「ははーっ」と土下座をし、朝敵にならないように振る舞いさえすれば身分を保証するという立場の、絶対的な存在だったんですね。

だから今回の後鳥羽上皇自身も、そういう風に振る舞うのは「嗜み」であり「政治そのもの」だったわけです。

我々にはわけわからんけど、「そういうもの」だったんですね。

 

驚天動地の戦後処理

ところが、鎌倉幕府は後鳥羽上皇を許しませんでした。
この乱の中心となった公卿はすべて洛中で首を斬れ、という命令が届き、実行。
さすがに上皇は斬首にはなりませんが、まさかの流罪を決定。

というかこの時点で、「治天の君を裁く法律」など、この世にあろうはずがない。

公卿というのは三位以上の貴人のことですけど、ここまで位の高い人を裁く公正な法律や決め事すら、あるはずがないんです。

つまり「今回はそれまでの坂東の、戦後処理のやり方を流用する」しかないということになります。

後藤基清(ごとうもときよ)などの京方についた武士だけでなく、

一条信能(いちじょうのぶよし・参議)
葉室光親(はむろみつちか・前中納言)
葉室宗行(はむろむねゆき・前中納言)
高倉範茂(たかくらのりもち・参議)

らの高級貴族も処刑されました。

鎌倉からの命令は「洛中で処刑」だったそうですが、北条泰時が「それは流石に…」と、洛外での処刑に変更したそうです。優しいやつだ。

「こういう時にはどうするの?」という法的マニュアルが一切ない状態で、なんとなくで進んでいく戦後処理。そうなると「あそこまで連行しろって言われてるけど別にもういいっしょ」と勝手に処刑してしまうケースも多々あったと思われます。なんとなくそれで許された。

なんで平気で流せるの?三上皇の遠流

後鳥羽上皇は隠岐へ配流。
息子の順徳院(じゅんとくいん)も佐渡へ配流。
息子の六条宮雅成親王(ろくじょうのみやまさなりしんのう)は但馬へ配流。
同じく冷泉宮頼仁親王(れいぜいのみやよりひとしんのう)は備前へ配流。

この冷泉宮頼仁親王は、源実朝(みなもとのさねとも・柿澤勇人)が生きている間に「親王将軍として鎌倉へお迎えする」アイデアを体現する人物として選出されていた人です。

土御門院(つちみかどいん)は「こんな状況で自分だけ京都にはいられない」と自ら申し出て、土佐へ。

後鳥羽.順徳・土御門の三上皇と雅成・頼仁の二親王を流罪にし(罪名はないが)、西国の武士たちの所領をガバーっと手に入れた鎌倉幕府。

「完全なる盤石」化に成功します。
「パーフェクト天下統一」がここになりました。

そうそう、兄に逆らって上皇軍に入ってた三浦胤義は、東寺で兄・三浦義村(みうらよしむら・山本耕史)軍と激闘の末、自決しています。

 

乱後の人々

北条ヨシトキは、治天の君に名指しで追討対象にされた戦に完全勝利。
天下は彼が治めている、という事実を知らしめました。
だけど「北条幕府」を開こうとは絶対にしない。

それどころか翌年、陸奥守と右京権大夫を返上してしまいます。
基本的に役職は、同じ時期に1人しか就けないものですから、北条ヨシトキは現職から身を引いて、後進に譲る決意をしたのでしょうか。

それと同時に、もはや「何してる人ですか?」と聞かれるようなことの絶対にない、ものすごい立場になったということを表してますよね。無官であっても「北条ヨシトキ」という名前さえあればそれでいいどこでも全て顔パス、という。

そして、落ち着いた余生を…?

うーん、どう考えても、安寧な老後が送れるような人ではない。
そんなことは天が許しません。

 

「北条の良心」

北条泰時が「新しい世」を創出するにあたり、「やってはいけないことを決める」と自信満々に言いました。「いや、そんなことも決まってなかったのかよ…」というくらいにシンプルなことが後に定められていく(御成敗式目)わけですが、いかに現代と、「常識」そのものが違うかということを思い知らされますね。

たとえば

第12条「悪口の罪について」。

争いの元である悪口(あっこう)はこれを禁止する。
重大な悪口は流罪とし、軽い場合でも牢に入れる。
また、裁判中に相手の悪口をいった者は直ちにその者の負けとする。
また、裁判の理由が無いのに訴えた場合はその者の領地を没収し領地がない場合は流罪とする。

それをわざわざ1条を割いて書かなきゃいけないってどういう世の中ですか。

この2つもそう。

第7条「頼朝公や政子様から与えられた所領の扱いについて」

頼朝公をはじめ源家三代の将軍のとき、および二位殿(にいどの=北条政子)の時に御家人に与えられた領地は、本所などの訴えがあっても権利を奪われることはない。

第39条「官位・官職を望む場合の手続きについて」

勤勉に働きその功が認められた者は公平に吟味したのち幕府の推挙によって朝廷から官位をもらうことができるが、自ら昇進を願って直接朝廷に申し出ることは誰であっても厳に禁止する。

どこにも成文化されてなかったってことは今まで、ずーと「なんとなく」で決めてたってことなんじゃないですかね。例えば貫禄とか。家の格とか。情に訴えたとか。胸にじーんと来たとかそういう理由で。特に第39条なんかは、源義経であんなことになったのに、みんな知ってるしなんとかなるでしょう、でやって来た。法治ではなく「人治」でなんとかなってたっていうことですね。超のつくケースバイケースの時代の終わりは、秩序を守り公正さに守られる時代の始まりでもあります。

現代語訳「御成敗式目」全文
http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/kamakura/goseibaishikimoku/index.html#keihou

あ、暗殺…?

のえ(菊地凛子)が運んでいた、怪しげで臭い薬。
彼女は伊賀一族なので「伊賀の方」と呼ばれてるんですが、ドラマでは彼女による北条ヨシトキ毒殺説というのを採用していました。

源実朝の、歌の師匠でもあった藤原定家(ふじわらていか)の日記『明月記』に、承久の乱の時には上皇方についていた一条実雅(いちじょうさねまさ)の実兄・尊長(そんちょう)がのちに捕らえられ、尋問されたら

只早頸きれ、若不然ハ、又義時妻義時にくれけむ薬まれ、こひてくハせて、早ころせ

と言い出したと書いてあります。

おい早く俺の首を斬れ。それができないなら義時の妻が義時に与えた薬を飲ませて早く殺せ。

という驚愕の事実を語り出した。
承久の乱の6年後に言い出した。
これは後鳥羽上皇の側近だった尊長が、死の間際に言い出した虚言だと考える研究者も多いそうです。

しかし伊賀の方(のえ)が、自分と北条ヨシトキの間にできた北条政村(ほうじょうのまさむら・新原泰佑)を後継ぎにするべく、毒殺に至ったと考えることは可能だと思います。
なにせ北条ヨシトキの死の翌年には「伊賀氏の変」が起こります。
ドラマには出て来ませんでしたが、のえは兄・伊賀光宗(いがみつむね)と共謀し、一条実雅の将軍就任、そして北条政村の執権就任を狙ったクーデターを起こそうとします。

北条政子の機転でこれは防がれ、陰謀は頓挫。首謀者たちは配流。
のえも伊豆へ追放されます。
だけど担がれた北条政村は、後に執権になってるんですね(7代目)。

それにしても毒の入手先に平六(三浦義村)の名前を出すとは…なんという性格の悪さでしょう。最悪だなあの女。

 

北条と三浦は鎌倉幕府初期を支えた両雄でありながら、生半では済まない遺恨を残したまま、次の世代へ移ります。ああ宝治合戦。そのきっかけが北条泰時の死なんですから、ああ世に争いの種は尽きまじ。

三浦義村が北条ヨシトキの暗殺に加担したとして、心情を吐露。だけどそれが「世の中不公平だよなぁ!」みたいな嫉妬なわけがないんです。やるならもうとっくにやってる。
三浦がなければ北条はなかった。北条を支えたからこそ三浦は残った。

この「毒酒」をめぐる両者のシーンは、二人の複雑で不可解な関係性を表す見事なシーンでしたね。
「女はみんなキノコ好き、あれは嘘だ」って齢六十になんなんとする時分にそんなこと言われてもな!

 

「時」は来た

運慶(うんけい・相島一之)に彫らせた禍々しき凶像、後頭部に穴が13個開いてる!?

回想に出て来たのは

01.梶原景時(かじわらかげとき・中村獅童)
02.阿野全成(あのぜんじょう・新納慎也)
03.比企能員(ひきよしかず・佐藤二朗)
04.仁田忠常(にったただつね・高岸宏行)
05.源頼家(みなもとのよりいえ・金子大地)
06.稲毛重成(いなげしげなり・村上誠基)
07.平賀朝雅(ひらがともまさ・山中崇)
08.畠山重忠(はたけやましげただ・中川大志)
09.和田義盛(わだよしもり・横田栄司)
10.源実朝
11.公暁(こうぎょう・寛一郎)
12.源仲章(みなもとのなかあきら・生田斗真)
13.北条時元(ときもと・森優作)

無意識に「殺されてしまった人」の中に源頼家を含めてしまい、「病ではなかった」ことを白状してしまう北条ヨシトキ。
源頼家がなぜ死んだか、この時点で北条政子が知らないわけがないとは思います。
だけど本当のことは知りたくない…という母心があったんですね。
真相など、ここへ来て聞く必要はなかったのに…。

北条政子は、弟・北条ヨシトキに薬を与えず、「報い」を受ける道を選ばせました。
まさか姉である北条政子が引導を渡す時が来るとは。
武士の論理に翻弄され、家族・親族を次々に失っても悲しむだけだった彼女が唯一、弟に直接手を下した。

10月の段階でしたが私の勘は、当たらずも遠からず、というところでしたね。

穏便にも見えるし不可解にも見える史実上の北条ヨシトキ急死は、その原因について諸説入り乱れる謎に包まれています。だからこそ毒殺/暗殺の可能性も出てくるし「名指しで朝敵にまでなった男がそんなにホッコリと、畳の上で死ねるわけがあるまい?」という後世の人たちの想像力もあったでしょう。側近の人々にとっては隠すにあまりある理由が、あったとも考えられる。

事実としてハッキリしてるのは「北条政子の方が少しだけ長生きする」というところ。
ここを捉えて、絶大なる権力で自分では止められないレベルに達していた業の苦しみをストップさせてあげる役割を、肉親である姉が責任として成し遂げるシーンに仕上げた。

想像できなかったラスト、でした。

 

大河の果て

状況に流されつつも、苛烈な時代のうねりに反応し、果断に対処してきた北条ヨシトキ。

「ご苦労様でした、小四郎」と北条政子は言い、すすり泣く声を聞きながら、大河ドラマは終わりました。彼女も翌年に亡くなります。

1180(治承4)年以来、源頼朝(みなもとのよりとも・大泉洋)と一緒に伊豆を出てここまで、まさかその武士の世があんな風に展開して続き、あんなふうにして終わるなんて、彼は想像だにしなかったでしょう。

主人公に対して「お疲れ様でした」と言いたくなるドラマは、良いドラマですよね。

 

 

「鎌倉殿の13人」を毎週楽しみにして毎週楽しく見て、毎週楽しく感想を書くというだけでしたが、素晴らしい全話、楽しませていただきました。







-鎌倉殿の13人
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