若干雑感羅列集

マスク生活と霊のせいと歩きスマホと素人童貞と孤独死

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マスク生活をやめろ

新型コロナの影響はまだ続いている。マスクをしている人や場面がいまだにほぼ減っていないこともその一つだ。実は飲食店で、食事を運んでくれる店員さんがマスクをしていないことに、かなり以前からイラ立っていた。「こちら、A定食になります」じゃねえんだよ。俺のA定食の上でベラベラしゃべるな。そう思っていた。マスクをすることが適切である、というシチュエーションや役割は、すでに以前からたくさんあったのだ。料理をする人が髪の毛を束ねたり帽子をかぶるように。おにぎりを握る人が手袋を装着するように。マスクは昔から市販されている、そもそも自由に「着けていい」ものだから、「マスクを外そう」などと、ツバを飛ばしてえらそうに、誰かに言われる筋合いはない。したい人はする。野外など、なんら問題ない場所では「外してもいい」くらいに強制力が変わるだけでいい。どちらにしても「マスクをすることのメリット」がしっかり再確認されるきっかけになったことは、もしかするとコロナ禍の、数少ない良い点だったのかも知れない。

霊のせいにするのをやめろ

霊のせいにして気が済むならそれで良いが、そんな都合良く解釈できるほどこの世は甘くない。ましてや他人に何らかの指図や徴収の拠り所にしようなどとは、傲慢にもほどがある。霊の存在を示唆できる、代表できるような立場であると自分をアピールする人間はペテン師と呼んで差し支えない。そういう連中に霊とは何か、と問えばどうせ「魂」だとか「肉体に宿る精神」とか「死んだ後も漂う実体を持たない個性」などという説明をそれぞれに曖昧に、好き勝手にするだろう。手垢のついたキリスト教イメージの説話でも持ち出してくるだろう。ただ、彼らのような「無自覚なペテン師」が「霊はある」と言うこと自体は、霊が実際に存在するということとは別に、「霊はあると言える理由」になるのだ。だからややこしい。本当に「ある」と言うのなら、なぜ病院でそれを言わない。なぜ役所でそれを訴えない。国は霊の存在を認めてこの不具合を公的に補償すべきだ、となぜ最高裁まで争わない。それは、「あると言えばある」という状態と、実際に、実存として「ある」ということを、わざと(または無意識に)混同しているからだ。これがまったくわからない人が、「霊のせいです」と断言する連中にコロッとライトに、騙されることになる。

歩きスマホをやめろ

歩きながらスマホを見なければならない局面は、歩いている以上、スマホを所持している以上、必ず訪れる。問題は、いつ見るか・どれくらい見るか・どの程度の集中度で見るか、である。この3要素を常に意識しないと、静かな部屋で座った状態で見ているのと同じ状態に陥り、周囲の状況によっては命の危険に見舞われる。まず、どんな緊急な用事が飛び込んでこようとも、横断歩道を渡りながらスマホを見るのは絶対にやめるべきである。横断歩道は、歩くルートが白い線で示されているので自動的に足さえ交互に出していれば向かい側に着く。だからこそ「歩行者最優先」の隔離された空間のように感じて歩きスマホ状態になってしまう人が多い。歩行者信号が青に変わるまでの間に見ていた延長で、スマホに視線を落としたまま渡ることになる。しかし、道路を渡れるのは「青信号だから」ではないのだ。厳密に「青信号になって車が停まっているから」渡れるだけなのだ。左右の注意は、自分でしなければならない。横断歩道で、不注意な自動車に轢かれるのは情けない。轢かれても構わないと言えるほど、スマホの中身の重要度は高かったのだろうか。それをいつも想像して、歩きスマホをするポイントは、絞られなければならない。

素人童貞をやめろ

素人(しろうと)の反対は玄人(くろうと・プロ)。玄人との経験は済んでいるのであとは素人との経験を残すのみ、という状態の人のことを、素人童貞と呼ぶ。医学用語でも行政用語でもない。単に金を払わずに挿入したことがない男性のことを指す。玄人が相手であろうが経験したらそれはもう童貞ではない、と言うこともできるが、プロ以外には「恋愛」要素が必須になるので、ハードルが上がる(というか別のレースになる)。別にそれを恥じることはないと思うが、恋愛にはやはりそれなりの対人スキルのようなものが詰め込まれているので、対価を払うだけで済むプロとの経験は役に立たない。「お金をかなり払うので恋愛関係になってくれませんか」も通用しない。恋愛を経ての挿入はあるがプロとの経験はない人のことを玄人童貞と呼んだりはあまりしないようなので、やはりランキングとしては「両方童貞」がトップであり、その次が素人童貞、玄人童貞はランク外、というところか。

孤独死をやめろ

死は孤独なものだ。誰かと一緒に死ぬことはできない。同じ場所で同じ理由で死んだとしても、死は自分だけのものだ。孤独かどうかの判断は死の直前に「自分は孤独死をするのだ」という感覚に見舞われた瞬間には可能だが、死とはそもそも孤独なものなので、それは死とはなんら関係のない「寂しい」という感情である。例えば数多くの子孫に囲まれて、親しい人たちに看取られて死に向かうとしても、心に孤独がないとなぜ言い切れるのか。生きている人たちに囲まれて自分だけ死ぬ状況に「寂しい」と感じたらそれは孤独死ではないのか。死とはどんな人にとっても孤独なものだ。逆に言えば、人間にとって、死だけが孤独をまっとうできる、唯一の光なのだ。誰の助けも要らず、自分だけで抱いて行けるもの。それが死である。孤独死は嫌だ、孤独死を避けたい、などと考えることは、よって無意味である。「寂しい」を孤独と結びつけるのは間違いであり、寂しさがいくら解消されても、孤独は消えることはない。







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