鎌倉殿の13人

鎌倉殿の13人 第1回『大いなる小競り合い』

投稿日:2022年1月10日 更新日:

 

鎌倉殿の13人、ついにスタートしました。

物語は1175年から始まりましたね。
初回から牧の方(まきのかた・りく・宮沢りえ)まで出てきて、盛りだくさんでした。

北条ヨシトキ(小栗旬)の父・北条時政(ほうじょうときまさ・坂東彌十郎)の牧歌的ダメおやじっぷりというか可愛げのある田舎豪族の頭領っぽさがクローズアップされてそれがじゃあ今後、どう血生臭くなっていくのだろうという「期待感が増大する仕掛け」になってました。

北条ヨシトキ(小栗旬)は1163(長寛元)年生まれだとされているので、この時12歳。12歳?いやいや、うーん12歳。姉である北条政子(ほうじょうまさこ・小池栄子)は1157(保元2)年生まれなのでこの時18歳。

源頼朝(みなもとのよりとも・大泉洋)は、この時28歳。流人生活14年。
本邦初の武士政権を打ち立てた人なので忘れてしまいがちなんですが、源頼朝は「貴族」なんですよね。
京都生まれの、天皇家につながる由緒正しき貴族。
軍事貴族とは言え、地方の武士たちとは「生きる原理が違う」んです。
なので(なのでっていうのもおかしいけど)田舎の娘たちに次々に手を出しても「何か、悪い?」っていう感じなんでしょう。

 

ヨシトキの呼び名

北条ヨシトキは「小四郎(こしろう)」と呼ばれてましたね。
だいたい、男子に名前をつける時、長男は太郎、次男は次郎。
なので四男は四郎ということになるのですが、「小」はなんなのか。

これは「あそこの家の、ちっちゃい方の四男」っていう意味なんですね。

つまり、北条ヨシトキの父・北条時政も四郎(四男)なので、その区別をつけるために「小四郎」と呼ぶ。

言ってみればロバート・ダウニー Jr.とかドリー・ファンク Jr.とか、そういう感じですかね(ちょっと違うか)。

北条ヨシトキの父・北条時政より上の世代の北条氏についてはあまりよくわかってないらしいんですが、北条時政の兄(太郎〜三郎)のことはよくわからない。北条時政の甥か弟に北条時定(ほうじょうときさだ。甥と弟ではだいぶ違うけどさ)という人がいて、この人は「平六」と呼ばれてたそうなので六男?なんでしょうか。

北条ヨシトキの兄・北条宗時(ほうじょうむねとき・片岡愛之助)は「三郎」と呼ばれてます。
嫡男として扱われている北条宗時が「三郎」なんですから、太郎と次郎はすでに亡くなっていたのでしょう。

 

なぜ北条が源頼朝をやたら救ったのかは謎。

謎なんです。
後述しますが、時代的に、賭けのリスクがデカすぎる。
なので、北条家の嫡男・三郎宗時(片岡愛之助)にそのきっかけの責任をすべておっかぶせようという演出は素晴らしいと思いました。

北条宗時については史実としてほぼ何もわかっておらず、源頼朝挙兵後、早々に戦死してしまうのでそれがやりやすいということですね

世は平家の天下。
平清盛(たいらのきよもり・松平健)は覇者として莫大な権力と富を得ています。泣く子も黙る。

平治の乱(1160年)で敗れた源氏の嫡子・源頼朝は、そんな世の中では「爆弾」でしかない。はっきり言ってこれを抱えている以上、常に反乱の芽がくすぶっていると考えられてしまう厄介な存在です。なので伊東祐親(いとうすけちか・浅野和之・じさま)が、「娘の八重(やえ・新垣結衣)との子ができただと!!!手え出しやがって!!!!!」と激怒し、その子(千鶴丸・太田恵晴・3歳)をあっさり殺す決断をする。現代からすると残酷な話ですけれどしょうがないところもある。

「子ができたんだからもうしょうがないですかぁ」なんていう言い訳は一切通用しない。一族皆殺しが懸かってしまいます。

例え事故に見せかけようとも誰であっても、「源氏のあいつ、殺してきました!」と言って報告すれば恩賞がもらえそうな雰囲気。
実際に地域のドンである伊東祐親は源頼朝をもう殺してしまおうとしますが、自身の娘が北条時政の正室だったりして、北条家まで滅ぼすわけにはいかんのかなぁ…とかなんたらかんたらで、逃げられてしまいます(姫と呼べ)。

基本的にそれくらい、源頼朝(大泉洋)は危うい立場にあった。

 

京都にいた源氏の実力者

だけどそれを止める、ストッパー的な役割の人がいたのです。

そのころ京都には、実は2つの乱(保元・平治)の乱でうまいこと勝った側に属したことで平清盛にすら信頼されていた源氏がいました。

その名は源頼政(みなもとのよりまさ)。

この長老的なじいさんが、実は伊豆の知行国主だったんですね。
なので平清盛としては「おい、お前んとこのあれ、ちゃんとしとけよ…」と睨みを利かせつつ政治的なバランスを取ろうとしていた。
源頼政としてもうまく立ち回っていたのでしょう。
伊豆の豪族として北条時政は京の源頼政に支える形で、権威と情報を得ていました。

しかし少し後(1179年)、平家を打倒する波が起こり始め政局は混乱し、源頼政も死んでしまいます。

代わりに平清盛の義弟・平時忠(たいらのときただ)が伊豆を治めることになり、締め付けが恐ろしく強くなってしまいます。これが、源頼朝挙兵(1180年)のきっかけの一つになったんですね。

ちなみに平時忠は「平家にあらずんば人にあらず」と言ったその人です。

平家の影響が強い人らによる伊豆の支配が強まって、なんとなく関東でいい感じに住んでいた武士たち・豪族も、「雰囲気変わってきた感」に敏感になっていきます。

血筋としては大きい意味では「桓武平氏」に属する地方豪族たちも、「いやいや、平家(清盛の身内)、好きなようにやりすぎだぜ」な鬱憤が溜まってくる。

「源氏に味方した方がマシじゃね?」っていう感じに。

 

第一回『大いなる小競り合い』ではまだ、小競り合いの段階。

源頼朝は伊東祐親を殺すのだと工藤祐経(くどうすけつね・坪倉由幸)に命じますが、この時点で彼がそれを「かしこまりました」と承る理由はほんとはない。平家の横暴は聞こえてきてるものの、そこに命令系統など存在しない、源頼朝は味方すると自身が危うくなる、厄介な流人です。

しかしながら伊東祐親に、所領と妻を奪われてしまって恨んでる工藤祐経が「伊東祐親ぁあああ」と恨みを持っていることは確かです。これがのちに…っていうやつですね。伏線の伏線。

 

そういえばドラマ冒頭、若き北条ヨシトキと気心通じる三浦義村(みうらよしむら・山本耕史)との目配せがありました。
今後何十年に渡る過激なドラマの熱さを考えると、感慨深いシーンでした。
三浦義村はこの時17歳。

 

 

第一回の『鎌倉殿の13人紀行』は、ここでした。

鎌倉・鶴岡八幡宮。

伊豆国市・史跡 北条氏邸跡

 

 







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