自論構築過程

自動運転地獄がくるまで

投稿日:2016年10月31日 更新日:

死傷事故

小学生など8人死傷事故 現場にブレーキの痕はなし
https://www.asahi.com/articles/ASJBY0DTSJBXULOB02J.html

この犯人は、87歳。
ブレーキも踏んでおらず、事故後は呆然としていたそうです。
取り調べる、と言っても、限界があるように思えますね…。

ここで出てくるのは「自動運転なら、緊急時にはブレーキが自動でかかって、児童たちは被害に遭わずに済んだんじゃないか」という意見。

これ、気持ちはもちろんわかるんですが、軽薄な理想論、としか言いようがないんじゃないでしょうか。
87歳が乗る軽トラにまで、自動操縦システムがくまなく装備されるとなると、一体なん年後に、どれくらいの普及率になるんでしょうか。

現在、国内では6割を超える普及率である「スマホ」を持っている87歳は、一体どれくらいいるだろう、と考えると、です。

電話ですら、それくらいなんです。
5年後ですら、80歳を超えて「自動運転機能が完全に装備されています」という「新車」に乗っている老人が、どれくらいいるんでしょうか。

そして、その自動運転の車は、本当にこの手の事故を防いでくれるんでしょうか。

問題は「自動か、自動じゃないか」ではなく「87歳」の部分にあると思います。

80歳になったら全ての保有者から運転免許証と自動車を取り上げる、という意見にも一理あると言わざるを得ません。
「取り上げる」という表現が悪ければ、「お返しいただく」。

その代わり、行政はなんらかの措置(バスの割引とか)をして、こういう事故を完全かつ永久に、システマティックにストップして欲しいですね。
「自動運転機能が完全に装備されている新車」を全員に配布するよりは安くつくでしょうし。

 

とその前に。

「自動運転の車」と書いたりしていることが、すでにややこしいのです。
「自動車の自動運転」という重複がもう、腹立たしい。

過去、Automobileを「自動車」と呼ぶことにしたのは、他の車が「自動ではなかった」からですよね。
「自動ではない」とはつまり、馬力だったり、人力だったりしたってことです。

実際はエンジンも自分でかけるしハンドルも切るし全然自動ではないんですけど「もはやこんなのはもう、自動!!」という、「動力の部分において勝手に動いている」迫力と未来感が感動と合体して「ああ、これは自動車!」と名付けられた動機なのでしょう。

わかる。

 

自動運転には「ステージ」がある

さて、今言われている自動運転(自動操縦)には、段階があるといいます。

★第1ステージ★
アクセル・ハンドル・ブレーキ、このうちのどれかを、自動で操作する。
「自動ブレーキ」など、今はこれが各メーカーで実用化されている段階。
ハンドルに手は置こう。

★第2ステージ★
アクセル・ブレーキ・ハンドル、の全てを自動で操作する。
ウインカーを操作したら、他の交通の判断もしてくれて車が車線変更してくれる、など。
ハンドルに手は置こう。

★第3ステージ★
同乗者がハンドルを手を持たずに、すべての運転をしてくれる状態。
カメラとセンサーが、もう人間より敏感に外の状況を判断してくれる。
今すでに、サイドミラーが鏡ではなくカメラになっている車種がある。録画もできるし。
でも怖いからハンドルに手は置きたい。

★第4ステージ★
完全な自動運転。
もはやバスや電車に乗っているが如し。
目的地を設定するだけで、全てやってくれる。
前を見ている必要などない。寝ててもいいくらい。
ついにハンドルからは手を離す。

MINIのムービー。
これは、ハンドルに手をおいてはいるけど、第4ステージに近いね(見れなくなってる!)

少なくともタクシーが全てこうなったら、夜の都心部の渋滞は100分の1になると思います。

 

何が問題か

でも、ここで問題になってくるのは「倫理観」だといいます。
いくら繊細にセンサーが反応し、判断してくれるとはいえ、予想外のことが起こるのが公道での運転というものです。

テキサスやユタの一本道を240kmただただ直進する、という時にはぜひ寝れるしテレビ観れるし導入して欲しいが、日本の都会でそれは、かなりのハードルだと思わざるを得ない。

そういう時に、「トロッコ問題」が引き合いに出されます。

暴走するトロッコが、分岐点に差しかかる。

右に行くと、5人がいる。

左には、1人がいる。

舵を切る人間は、正義に則って、どちらへ進むべきなのか。

1人を助けるために、5人を犠牲にするのか。
5人は数が多いから、1人を助けるよりも正義なのか。

ワロタ

これ、人類の究極の選択ではあるし、想像のみの範疇かもしれないけど、決めなきゃいけない瞬間が来ないとは限らないですからね。

 

人間が決めるのか、クルマが決めるのか

右に行くと、5人のお年寄り。
左に行くと、1人の小学生。

どちらかに突っ込まなきゃいけない時、それを決めるのは誰だ?

自動操縦車にも、それ(殺すべきは多数の老人か少数の子供か)をプログラミングしておかなければならないのか?

だって、完全に自動(第4ステージ)だと、乗ってる人は爆睡してますからね。
判断は、全て自動車がする。

そうなると、カメラとサーモグラフィが0.00001秒で判断した結果、右の団体の生命力や心臓の鼓動数、は総数で左に優っているので、左にハンドルを切って突っ込むことに…。

それは、正しいのか???

もしくは、「年齢が低い方を避ける」ということや未来への可能性を判断基準にするなら…または、現時点までの社会貢献度(納税額)などを基準にするなら…。

科学技術だけでなく、問題は、嫌になるほどに山積み、なのですね。

 

現実的には、「完全自動」な第4ステージは、来ないだろうなと思います。
なぜなら、どんな便利な自動車も、「設定定して使うのが87歳」では意味がないからです。

あ、そうか。
「80歳以降が近寄ってもドアは開かない」とかにすればいいか…いや、でもお手伝いする娘婿が60代だったら、乗れるぞ…!?
「小学生の運転するハイエースが老人の列に突っ込む」というような事態が平等に起こればいいんですが、そんなことは起こらないんですよね。
そうなると「18歳で免許証を取得できる」という法律から、すでにそぐわない感じになってくる。

「設定でミスる可能性が高い、あるいはタッチパネルの理解ができない人」にとって、自動運転など、なんの意味があるのでしょうか。
常に呆然と、自意識も朦朧と、幼い子供を殺してしまうのは運転するには集中力・判断力・操作能力が著しく劣ってしまった、お年寄りなのではないでしょうか。

別に、お年寄り全般が悪い訳ではないんです。
誰しもに訪れる宿命ですし。

単なる経年変化です。
だから色々考えると、大雑把に「年齢で」、自動操縦であろうがなんであろうが、クルマの運転はやめていただく。
これしかないと思います。

 

ああ、そうか。妙案。
87歳が乗っている自動操縦車(第4ステージ)は、上に書いているような「究極の選択」が起こったら、0.0001秒で50km上空まで飛び上がり自爆する、というのはどうでしょう。

ダメか…。







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