自論構築過程

「嫌なら見るな」は発信者が言ってはいけない言葉なのか

高岡蒼甫フォト&エッセイ 「はじめまして、こんにちは。」

「嫌なら見るな」という言葉で検索すると、ナイナイ岡村さん、そしてフジテレビのことよりも上に、ニコニコ大百科における「嫌なら見るな」の項目が出てきます。

嫌なら見るなとは (イヤナラミルナとは) [単語記事] – ニコニコ大百科
https://dic.nicovideo.jp/a/嫌なら見るな

そしてこのページが、各種・物知り顔で書いてあるブログよりも、詳細にかつ広範にわたりつつ、「嫌なら見るな」の本質について説明してくれていました。

「嫌なら見るな」が有名になっているのは冒頭に挙げた、ナイナイ岡村さんのラジオでの発言ならびに謝罪、という顛末だったのかも知れませんが、なぜ「嫌なら来るな」や「嫌なら買うな」と同じような文脈で語られないのか、というところが謎だったりしますよね。

これはまず、「テレビに関して」だったから、ということが言えると思います。
テレビは基本的にNHK+民放、無料で観てますし、「好きで、ものすごく選択して観ている」という意識が希薄なんですよね。これがまず、「嫌なら見るな」と聴いてカチンと来ちゃう人の前提、のような気がします。

私はもちろん、「嫌なら見るな」には賛成です。

いやもちろんっていうか、「嫌だけど見ろ!」って言われるのに比べたらかなり良いと思いますけどねえ。

これを考察したくなる人たちは、「嫌なら」の方に注目して「どんな場合を嫌とするか」に着目してるんだと思うんです。

上に書いた、「ものすごく選択して観ている」とかっていうのも「観るという行動に関わる取捨選択の自由」みたいな、個人の権利とまではいかないだろうけど、行動の自由に関わるようなイメージで、反発してるところがある。

だけど肝心なのは「嫌なら」ではなくて「見るな」の方です。

見る・見ないという選択の話ではなくて「見・る・な」という、『言い方』の話です。

「嫌なら見るな」に反発をいっさい覚えない人は(私もそうです)、「嫌なら」の方に、思考の重心をとても重く置いています。割合で言うと98%くらい。
「嫌なら」がつくことには「見ない」「やらない」「行かない」「食べない」などの否定的な表現が来ることがすぐにわかりますし、それはもともと常に自分が思っていることでもあるので、「当たり前のこと」にしか聞こえない。

反発してる人ってもしかして、仕事とか、「自分が嫌なことをやらされてる」という自覚からストレスを感じてるのかも知れない…。

嫌なことをしないなんて、どう考えても当たり前すぎて「前へ進むためには前へ進め」って言われてる感じの、体操にもできないくらいの当然さがありますよね。

だけど、上のナインティナイン岡村氏の発言からの一連は、まるで「口は災いの元」と言わんばかりの報道と情報で、溢れています。

なんでこんな単純な、当たり前のことで荒れたりするんでしょう。

それにはまず、クレーマー的な主張(クレームは「主張」という意味)の存在が認められますよね。

フジテレビの一部に対する俳優さんの苦言(普通なら単なる感想の類とも言えるけど)に対して「見るな」という表現も使ってないところを端的にまとめられて「嫌なら見るな」というフレーズ化にまで進んでいる。

別の言葉で別の言い方をならば、問題にはなりにくいはず。
普通は、そう考えますよね。

…だけど、そうはならなかった。

 

つまり、文脈。

そう、コンテキスト(文脈)なんですよ。

つまり単体で「嫌なら見るな」という語句を見つめるとなんの感情も湧き上がってこない。そらそーやで、くらいにしか思わない。

だけど、例えば

A「あの放送するあの放送局、あの番組はマジでクソ」

B「見いひんのやったら見いひんかったらええのよ。」

C「じゃあお前の出てる番組も見ないからな」

という流れになっていってしまうのは、そもそも登場人物に「批判も称賛もそもそもニュースになる」というヴァリューがそもそもあるから、ですよね。そもそも。

AとBの間には、抜き差しならぬ「日韓問題」が通奏低音のように横たわってる感、ありますよね。
Aの発言に反応した時点で、もう炎上や謝罪は見えてきてしまう、というくらいのニュースヴァリューがあったわけです。やはりスルーのみが正しかった。

なので、ABのような文脈が存在しない限り、「嫌なら見るな」は「自分の好みに合わない場合は、避けて通った方が人生を豊かにするには便利よね」くらいの意味しかない。

もちろん、なぜか勝手に社会的正義の番人と化す人たちというのもいるでしょうから、そんなのからは絶対に逃げられません。

 

思い出しました。

「こっちは金払ってるんだぞ」を匂わせば提供側が折れると思い込んでる輩にも、「今すぐお前は有料会員をやめろ」と宣告したいw

とあるニコ生番組の中で「嫌なら見るななどと、情報発信側が言ってはいけない」というお説教じみたコメントがあったことを覚えています。それはもしかしたら、すべてこの世にある文脈は同じ結果をもたらす、と過剰な心配をなさっているタイプの御仁による、親切心から発せられたものだったのかも知れません。

そうでないと仮定して…。

その瞬間には、情報提供側(番組ならびに主催者ならびにP)は「嫌なら今日は見なくてよろしい」と発言する私と「嫌なら見るなは言ってはいけない言葉だ」とクレーム(クレームは「主張」という意味)をつけてくる人の会員費と、どっちを天秤にかけるかな…?ということまで一瞬で考えました。

私は番組に呼ばれて番組で話している立場なので、番組が良くなればいいなぁ、とは常々思っています(当たり前ですけど)。あらゆる番組が時間を経て継続していく中では「合わなくなってきた」と考える人がいるのも当然です。脱会者がいても、これも当然。

「思ってるのと違う」という理由は至極まっとうで、大切にしないといけない感覚です。

なので「なんだか違うから退会します」は、選択として素晴らしい。もっと尊重されるべきです。

でも、それに迎合したりはしないんでしょう、それも当たり前ですよね。

「色々変えながら継続していく中で、もしかしたらタイミング的にまた、あなたが面白そう!と感じることがあるかも知れない。そしたらまた、入会もしてみてね!」と言うしかない。脱会者に合わせるのは、もっとも愚である、と私は思います。去り際に偉そうに説教してくる脱会者など、無視すべきです。そんなに会員費が惜しいなら貯金しとけ。二度と見るな。

…いや、ずいぶん脱線してしまいましたけれどw、そんなこと言いながらも気になるのがメディアですし、テレビですし、ネット番組ですよね。

 

見る側も矜持を持たないといけない

そーっと見ることなんていくらでもできるし、コメントするとかクレームつけるとか、圧倒的大多数の視聴者が、「何もせず」を選択して、静かに見てくれてる。

テレビやスターやタレントに「コメントできる」「直接届く」時代になったからこそ、「嫌なら」はもちろん「見るな」の方も、覚悟は大げさかもだけど、ちょっと考えていかないといけなくなってる、ってことは確かなような気がします。

自分の可処分時間を、どう割り振るのか。

自分の趣味に使う感情を、どう消費するのか。

例えば「嫌なら見るな問題」で午前中に許容量の60%くらい怒ってしまったら、もう夜には怒る気力は残ってません。そんな日に、何かあったらどうするんですか。余計なことで、感情を左右されるような文言には、出来るだけ触れてはならないんです。

「怒らないこと」もそうですけれど。
ああ、また大きく脱線していきそうなので、この辺りで終わります。

 

 

「嫌なら見るな」は。

・単なる言い方。
・内容は普遍的には正しく、局所的には不適切。
・これが問題化される時はその底に(文脈)に、抜き差しならぬ別問題が絶対にはさまってる。
・TPOが違うのにそれに反発したくなる人は、その文脈を理解していない可能性がある。
・言い換えるなら

「自分の好みや今日の気分に合わない場合は、避けて通った方が人生を豊かにするには便利よね」

 

 

以上です。

 

 

 

【追記あり】怒らないこと

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