豊臣秀吉が天下を取ったあと、家康は突然「五カ国検地」までして収めていた駿河・遠江・三河・甲斐・信濃から、関八州へ移封させられることになった。
そのまま使える土地はわずか10町だったと伝えられる。
そこから、運河の造営や埋め立てなど、現代につながる「江戸の造成」が始まった。
苦労を重ねてきた家康は、天下人・秀吉の治世でも忍従し、自分の天下支配について構想を練っていたのだろう。
※関ヶ原の戦いの後、「本拠地は上方か江戸か」を、家臣たちと話し合ったという。
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斎藤孝監修。
自然、歴史、文学、科学・技術、芸術、伝統・文化、哲学・思想の7分野から、日本にまつわる365日分の知識を得よう。この本を読み、知ってるようで知らなかったことを初めて知りつつ、ああそうなのか〜なんて言いながらほんの少しだけ、メモのように書くことを1年間続けます。最低限「365ページある本を読んだんだ!」という事実が残るだけでも、価値はゼロではないはず。いわんや「教養が身につくかどうか」なんて、知ったことかと。
1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365