11歳の時、カラクリを施して天神様の顔が赤くなる掛け軸「御神酒天神」を作り、評判を得ていたという。
家督を放棄し、遊学を重ね、物産博覧会を開いたりした。
江戸での評判は、老中・田沼意次にも届いていたという。
最後は獄中で、破傷風にかかり亡くなった。
※土用の丑にウナギを食べる習慣を彼が広めた、という明確な史料はない。
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斎藤孝監修。
自然、歴史、文学、科学・技術、芸術、伝統・文化、哲学・思想の7分野からの、日本にまつわる365日分の知識。この本をさらっと読み、知ってるようで知らなかったことをさらっと初めて知りつつ、ああそうなんだね~なんて知ったかぶりしながらほんの少しだけ、書くことを1年間続けます。最低限「350ページ以上ある本を読んだよ!」の事実が残るだけでも、価値はゼロではないはず。いわんや「教養が身につくかどうか」なんて、知ったことかと。
1日1ページ、読むだけで身につく日本の教養365